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カラオケのキーを3つ下げるのに5年かかった話

「くだらないプライドなどさっさと捨ててしまえ」と洋の東西を問わず偉い人たちは言った。

博識高い哲学者も、世の中の仕組みを変えた経営者も、世界中に愛読者がいる作家も。「裸になった人間はそれだけ強くなれるんだ」といったのは金八先生だったっけ。

確かに。

人の目など気にせず、後ろ指を指されたとしても自分の好きなことをやる方が格好良いし楽しいに違いない。

それなのに、僕らは変な意地を張って、得られるはずのオモチロイ経験を無駄にして、後で後悔と書かれた重石の下敷きになってしまう。その時になって「助けてくれぇ」と叫んでもどうしようもない。一人さみしく野垂れ死ぬ。

どういうわけか妙チクリンな価値観というのはいつの時代にも存在して、それに支配され、誰に言われるでもないのに愚直に守る阿呆が一定数いるのがこの世界の妙である。

カラオケボックスの隅で一人固まっていた奴も、そんな人間の一人だった。


「原曲キー」の呪縛

誰がカラオケの曲のキーは原曲通りに歌わなければならないと言ったのか。

わからないことは恥を忍んででも聞くべきであり、失敗したのなら非を認めるべきであるように、カラオケで選んだ曲のキーが高いのであれば下げて歌えば良いのである。

しかし、こんなものは建前だと声高に主張する人物がいた。20代そこそこの男であった。大学に入学した5年前、バラ色のキャンパスライフを夢見た彼はどこの誰とも分からぬ人に「カラオケでキーを下げて歌うのはダサい」と指南を受けたらしい。

そのせいで、喉が馬鹿になっているにも関わらず原曲のキーで歌うことに固執し、毎度「ア゛ーア゛ー」と苦しそうに声を出すのだった。

いくらやっても高音なんて出ない。歌っては演奏を中断し、また歌っては中断しを繰り返す。最後まで歌い切れた試しがなかった。もちろん一応の努力はする。YouTubeで元の歌を検索し、必死に音程やリズム、歌詞を確認する。3回くらい聞き直し、アカペラで歌ってみて、これならいけそうだというタイミングでもう一度歌をリクエストする。

ところが、音域が変わる小節で再びつまずく。声が出ず、リズムも狂い、全く歌えない。小さな部屋にカラオケ音源だけが物寂しく響く。ラジオなら放送事故だ。本来楽しく盛り上がる空間であるはずなのに、彼の中には鬱憤だけが溜まっていく。なんじゃあ、つまらん。

結局その人物は4曲目を断念してマイクを放り投げ、荒々しい足取りで店を出て行った。家に帰るとソファに寝転び、最近の曲は音域が高いからイケナイと屁理屈を並べ立てた。


基本的にそれでなんとかなるなら問題ない。カラオケが苦手だと言っておけばよいから。

とはいえ、それで全て乗り越えられるほど世の中甘くないのである。困難など次々に押し寄せてくる。例えば、彼にとってそれは学生同士で催す飲み会だった。

楽しく盛り上がった流れでカラオケボックスに移り、皆が米津玄師やOfficial髭男dismなんかを熱唱する場面に彼は何度も遭遇した。

そんな時、歌える曲がない彼は一人、ポツンと取り残される。「歌いなよー」と気を使ってタブレットを渡されないよう、地蔵のようにひっそりとしていた。キーの合っていない歌なぞ披露できるはずがない。

ついに耐え切れず、トイレに行くと言ってバックを抱え、そのまま店をコッソリと逃げ出したこともあった。

さっさと繁華街の隅の暗い脇道を抜け、喧騒から外れた小道にある閑散としたカフェに避難する。途中、古びたビルから出てきたネズミたちとすれ違い、目立たないよう暗闇を彷徨う姿に自分を重ねた。なんだか似たようなものだと彼は感慨深そうに見送った。

コーヒーを注文して席につき、ふぅと大きなため息をつくとようやく安心するのだった。カップを持ち上げ一口啜り、それから二次会の相場はなぜカラオケと決まっているのかと悪態をついた。

逃亡に失敗したこともあった。トイレにバッグを持っていくのを不審がられて捕まり、部屋に連れ戻された。タブレットを無理矢理押しつけられたら流石に逃げようもない。そういう時には渋々コブクロの桜を打ち込むのだった。歌える曲はこれしかない。

画面が切り替わると、舞台役者がゆったりと階段を降りるようにスピーカーからローテンポな前奏が流れ、美しいメロディが部屋に満ちていく。

直前まで抜け出す事に必死だった彼も歌い出しの頃には曲に入り込み、黒いサングラスなんかをかけたつもりで目元に手を伸ばすフリをする。気合を入れ、名もなき花に名前をつけるべく奮闘するのだった。

ところが、彼が熱くなって熱唱すればするほど、部屋の空気は静まっていくのである。ある人はトイレに立ち、またある人はドリンクを取りに行った。ふと横を見るともう寝てる人がいるなんてこともあった。目を瞑っていたものだから、きっと聴き入ってしまったのだろうと思っていたが、近づいてみるといびきが聞こえてきたので彼は憤慨した。

コブクロの歌は素晴らしいはずなのに、なぜなのか。憤りを覚える彼を横目に、歌うほど場は盛り下がり、夜の森にでもいるような不気味な気分になっていく。

「コブクロはちがいますよぉ」

歌唱後、酔っ払った声で後輩に笑われたのを最後に彼はカラオケに行くのを止めた。選曲には正解と不正解があるらしい。全く憎き娯楽である。

その人物とは、もちろん僕だった。


ちっぽけな意地と友人の優しさ

「まぁキーを下げて歌うのも簡単じゃないよ」
最近よく一緒に過ごす歌好きの友人にカラオケ嫌いの話をしたら、そんなことを言われた。流石にそれは嘘だろうと笑ったが、彼はまじめな顔を崩さなかった。彼曰く、キーが変われば音程を掴むのが難しい人も多く、絶対音感を持つ人も歌いづらくなるらしい。

キーを下げて歌ったことがあるのかと聞かれたが、もちろんない。だったら今から行こうと誘われ、未経験が露呈した手前断るにも断れず、しぶしぶついて行かざるを得なかった。随分簡単に誘導されたことに後で気が付いた。

「まず2つ下げてみ」
友人に促され、試しに2つ下げてGReeeeNの「キセキ」をかけた。だが歌い出しの所で絶妙に音程が狂い、「あ”ぁしぃたぁ」と変な声が出た。恥ずかしくて止めようとしたら、友人がタブレットを取ってもう一つキーを下げた。
「まだ高いかもね、これでどう?」

相変わらず音が合わず、探り探り声を出して音程を変えてみた。すると、ある音域で急にスピーカーから流れるメロディとバッチリ合う瞬間が訪れた。
「おぉ!?音が合うぞ?」
思わず歌詞と違う言葉がマイクに入った。喉が苦しくないのに、思い通り歌えている。不思議な感覚だった。
「3つキーを下げて歌うのが丁度いいね」
友人はそう言うとタブレットを戻し、何事もなかったかのようにソファにもたれた。

高音が出ないとかサビが気持ちよく歌えないとか、そういった悩みが霧散していった。考えなくても次の歌詞がスラスラ出てくる。なんだか興奮してきた。

あれ、もしかして、これは楽しいのか?

それからはもう夢中になって知ってる曲を次々に入れた。RADWIMPS、EXILE、湘南乃風等々。中学生の時に歌詞を調べて覚えた歌ぐらいしかレパートリーになく、古い曲ばかり歌った。

「そんな曲歌うんや」と友人に言われたが、それは無視した。だってこれしか知らねぇし。悔しいからいつになく大声で歌い散らかした。もちろんキーを3つ下げて。


気持ちよく歌えたのは数年ぶりだった。程よく疲れて少し汗もかいたが清々しいものであった。歌い終わってトイレに向かいながら、これだったら人前でも歌えるなと少し誇らしくなった。

柔軟に物事を考えて、素直に生きていく方が人生オモチロイのだろう。20数年生きていればそれくらい分かるし理解している。けれども、いつの間にかしょうもない意地や見栄が選択肢を狭めていて、楽しいことやオモチロイことに飛び込んでみる勇気がどんどん失われていく。

大層な言葉だけを並べ立てて、見かけ上立派そうな上っ面の見解を押し付ける小さな人間が、どうして豊かな人生を送れるだろう。周りを気にして、上手く歌えないからとカラオケボックスで地蔵を決め込む人より、下手でも、キーを下げてでも、楽しく思いきり歌っている方が幸せだ。

でも、そうやって物事を柔らかく捉えて目の前のことを楽しむ境地に一人ではなかなか入れない。色んな価値観や経験が邪魔をしてくる。だから、その障壁を崩してくれるような人との交わりが大切だったりするのである。

それはやっぱり心を許せる人だったり気を使わない人なんじゃなかろうか。彼らと過ごす日々を通して、氷が自然に溶けていくようにゆっくりゆっくり時間をかけて到達していくのだと思う。

友人というのは、その時間を受け入れ、共に味わい、大切に心にとどめられる人のことを言うのではないか。それは表面的で好感度を狙った優しさとかではなくて、わざわざ形にしなくともその人からにじみ出てくるような温かいものだと思う。

僕はカラオケ嫌いの治療に助言をくれた友人に感謝した方がいいような気がした。友人の言葉がなければ、きっとカラオケには行かなかったから。そして僕が歌っている最中、気を使わずに済む絶妙な角度から見守ってくれた。
友人は「優しい」やつだった。


怪物の前には意地もプライドも砕け散る

お礼を言おう。ドリンクバーのカウンターでコーンポタージュをコップに注ぎながら、僕は決意した。意気揚々と部屋に戻ってみると、すでに新しい曲が流れており、友人はマイクを手に歌っていた。

King Gnuの『白日』

一瞬部屋を間違えたと思った。その声色は店内の喧騒を忘れるくらい透き通っていた。それほど聴き心地が良かった。画面を確認すれば、彼は原曲キーで熱唱していた。高音がめちゃくちゃ綺麗でびっくりした。

魅惑のミックスボイスとはこの事かい?と誰かに尋ねたくなった。友人の美声が狭いカラオケボックスに反響して僕らを包み込んだ。もはや彼の独壇場であった。

先程の僕の決意など遠くへ消えていった。そういえば、彼はアカペラサークルでリードボーカルをしていたんだった。

単純に上手すぎて聴き入ってしまったが、時間が経つにつれだんたん腹が立ってきた。

やっぱり原曲キーで歌えるやつが格好良くない?
必死にキー下げてまで歌わなくてもよくない?
いやもう上手いやつの聴いてるだけでよくない?

もはや上手すぎて笑えてきた。下手とか音程とかもうどうでもよくなった。仕方なくドリンクバーから持ってきたコーンポタージュを口に流し込んだが、いつもよりしょっぱい気がした。

とりあえず友人は歌のコンテストとかに出ればいい。




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