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【超短編小説】ダ・ヴィンチとどんぐりの少年

 「レオナルド・ダ・ヴィンチはモナ・リザを死ぬまで持ってたって学校の先生が言ってた」
 「ひとのものなのにって。」
彼は言った。
 「どうして持っていたのだと思う?」と私は尋ねた。
 「とても気に入っていたからだよ。」
彼は得意げに答えた。彼の語り口からは、古い象牙がたたえるような、ある種の威厳が感じられた。
 「そうかもしれないね……。気に入ったものはずっと手元に置いておきたくなる。」と私は言った。
 「それとまったく同じように……」
私は私の次なる思考を予感し、わずかな時間、ひるんだ。責任感が形づくる無責任の砂漠に、口の中の水分が吸い込まれていく。私は己を強いて水を一口飲んでから、つづけた。
 「ダ・ヴィンチはモナ・リザを、とても気に入らなかったのかもしれない。もしかしてずっと直そうとしていたのかもしれないね。」
 彼はそれを聞いてじっとしばらく考えていた。時計の針の音を聴きながら、私はふたりの間に広がっていく砂漠を想った。無限の時と空間のなかで、いま、少年と私は蜃気楼の街を建てている。果たして、そこに暮らすひとびともまた、幻であるのかもしれない。幻の街、幻の家、幻の花たち、幻のひとびと……。そういったものたちを映し続けるために、われわれはことばを使い、感情をくべて生活している。ことばや感情が燃え尽きたとき、そこにはなにが残るのだろう。しおれた花や、ひからびた骨だけが、時のなかに残るのだろうか。私はテーブルに置いた自分の手の甲に目を落とし、浮かぶ骨を一本ずつ順になぞった。私の骨たちは、われわれの蜃気楼に比べて、ひどく頼りなく、現実味を欠いた感触だった。

 少年は自身の中でひとつの結論にたどりついたといった様子で、またしても雄弁に語り始めた。彼はレオナルド・ダ・ヴィンチについて私に詳しく教えてくれた。
 ひとしきりその歴史的演説を紡いだのち、彼は言った。頼りなく、不安げで、とてもやさしい語り口だった。
 「僕は6歳のときから、机の引き出しにどんぐりをひとつ持っている」
 「4年間見た目はほとんど変わらないけれど、中身は虫がぜんぶ食べてしまって、今はとても軽い。お父さんにレントゲンを撮ってもらったら、どんぐりの殻だけが映っていて、その中は”すっかりからっぽ”だった。」
 「中身を食べた虫はどこへいったんだろう?」
私は相槌をうつのがやっとだった。
 「あなたは”すっかりからっぽ”を、見たこと、ある?」と彼は言った。
 今度は私が黙って考える番だった。私は長いこと考えていた。彼も黙って私を見ていた。時計の音だけが部屋に響いていた。そこには、もはや砂漠は存在しなかった。私の骨と、彼のふたつのかしこい目だけが、たしかにそこにあった。
 「わからない」と私はついに答えた。
 「もしかすると、中身を食べた虫が、”すっかりからっぽ”になった、ということかもしれない。だけど自信があまりないよ。」
 「虫が”すっかりからっぽ”になったのなら僕はうれしい」少年は言った。
 「もしそうなら、みんなもうれしいよね。」
 「うれしくないひとだっているかもしれない。けれど、きみのうれしい気持ちも、だれかのうれしくない気持ちも、そのどんぐりのなかにあるんだと、私は思う。」私は言った。
 少年はしばらく黙っていた。もう、時計の針の音もしないような、そんな気がした。
 「僕はずっと死ぬまで、持っていようと思う。」
 彼は言った。

 われわれはそれからしばらく他愛ない話をした。昨日、今年初めての雪を見た、と彼は言った。

 「バイ。」
 帰り際、私の方を振り返って彼は言った。どういうわけか、まぶしそうな顔をしていた。
 「バイ。」と私も言った。
 ドアの錠前を3つ、しっかりと閉めてから、私は鍵束をコートのポケットに入れた。そして、弱々しく静かに沈んでいく太陽を眺めながら、家の方へ歩き出した。真っすぐ家へ帰る気にはなれなかった。もう二度と彼に会えることはないのだ、と私はあらためて思った。

 夕陽が息絶えるように沈み、風もなく、すべてが立ち止まっているような時間帯に、私は公園のベンチに腰かけて、ついたり消えたりする灯りを眺めていた。朝消えなくてはならない時刻、灯りは同じように迷うだろうか。あるいはまったくいさぎよく、プツンと消えるのだろうか。残念ながら、それは私には関係のないことがらで、もっと悲しいことに、それは灯りそのものにとってすら無意味なことがらなのだった。
 腰をあげるころには、恐ろしい長さの時が経っていた。薄闇の中、私は目を細め、自信を取り戻した灯りを見やり、それから冷たい表情で立つ時計を確認した。まだ閉店には時間があるな、と私は思った。コーヒーを飲んで帰ろう。一杯だけなら、今晩こそは眠れるかもしれない。明日もまた目覚めなくてはならないということが、なぜだか突然、とてもいとおしく思えた。

 人間には元来、あらゆる時間の長さを縮める能力がそなわっている。人は光の速度で走ってみせることだってできるのだ。必要なのは経験と、いくらかの訓練だけだ。
 まったく同じように、われわれは長い長い時間の中で思考することだってできる。そのなかでずっと誰かと過ごせたのなら、どんなに素晴らしいだろう。ことばと感情を、燃やすことなく、ただ眺め、それらの輪郭をやさしく、なぞることさえできれば。
 時間というからには、それにはかならず始まりと終わりがある。しかし時の長さだけは永久に不定で、同時に、無情にもそれは存在しつづける。うつくしさって、そういうものじゃないかな。われわれはただ、その中を流されていくだけだ。急いでみたり、花を愛でたり、時のなかに何か残そうと、あがいてみたりしながら。

おわり

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