想いが変わること
鍵のかかったドアをいくつも開けてもらい次男と面会をした。
あの頃どんなことを話しただろう。
あれだけ反抗していた次男でも話す相手は私しかいなかった。
テレビの話や新聞広告に載っていた本を差し入れして欲しいなどそんな話だった。
次男はどんなことを考えていただろうと思う。
なんとなく元気のない日もあった。
辛いとも言わなかった。
次男は自分の気持ちをあまり言葉にしなかった。
小さな頃は誰よりも喜怒哀楽を表現していたのに。
ある時は少年院の中で違反行為をして出院が1ヶ月ほど延びた。
私は次男の出院が延びたことが残念だった。
教官が
「お母さんも辛いぞ」と言うと
次男は
「その1ヶ月を実際に過ごすのは俺で母さんじゃない。母さんは辛くない。」
と言った。
非行を重ねるたびに次男は淡々としていった。
暑く、寒く、好きなものも食べられず、人と話も出来ず、決められた期間をただこなす日々に感じた。
前回の少年院の時に比べると次男からの手紙はほとんど来なかった。
そういう分かりやすい反省の表現もしなくなっていた。それでも私からは手紙を書きつづけた。
夫は相変わらず面会にも行かず、次男の話もしなかった。
次男はまだ未成年だった。
基本的には親が受け入れるか、または受け入れ先を探さないと退院は出来ない。
理想的な家庭で育った私は家族にこだわっていた。
夫と次男にいつか仲良くなって欲しかった。
家族なんだから必ずなれると思っていた。
2人はよく似ていたし、だからこそ衝突するのも分かっていたし、時が来ればきっと、だって家族なんだからと思っていた。
それがある日急に思ってしまった。
『2人をどうにかしようとしなくていい』
自分でも驚いたが、
合わない人とは離れていくのが普通だろう。
家族だから離れてはいけないという思い込み。
こうあるべきと思う私の癖。
もう無理をするのをやめようと思った。
叶わないことをいつまでも手放せずいる私も、
2人のそれぞれの気持ちを無視して仲良くさせようと私が動くこともしなくていいやと思った。
次男が少年院にいる間、私はやれるだけやってみようとだけ思った。
やれるだけというのは、私が楽しく毎日を過ごすこと、深刻にならず、面会にも行き、夫にも何も求めない、もうダメならそれでいいと思った。
そして夫が次男を受け入れなかったらその時は次男と一緒に暮らそうと思った。
…生きているといろいろある。
自分の当たり前が急に変更されることもある。
浮かぶ思いを疑わずやってみるといいね。
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