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壊れたカメラが映す景色

日曜日、前日の深酒が起因するであろう有象無象の悪事について、友達からの鳴りやまないLINEに項垂れていた。

それらをフリックして既読をつけずにスルーを決め込んでいると、母親からの電話が鳴る。

家族とはかれこれ半年弱会っていない。

「おじいちゃん家に使わなくなった昔のカメラが山ほどあるんだけど、あんた見に来ない?」

と、私の体の心配もほどほどに打診があった。

そういえば、おじいちゃんは、私が小さかった頃、いつもカメラを持ち歩いていた。

公園、動物園、お遊戯会、運動会、、、幼稚園から、小学校の高学年くらいまでだろうか。

行事やイベントごとには毎回、肩からカメラを担いで参加して、いつも私の近くでいい場所で、カメラを構えているおじいちゃんの姿が今でも鮮明に思い出せる。

なぜだろうか。思い出そうとする他の景色は全てぼやけているのに、髪が薄くて、度の強い眼鏡をかけたおじいちゃんの姿だけがくっきりと浮かび上がる。

幼稚園に入りたての頃、砂場で私に砂をかけた同級生のことを親よりも先にしかりつけることができたのは、シャッターチャンスを一瞬でも逃すまいとして、常に一番良いポジションでカメラを構えていたからだろう。

母親に、

「今度行ったとき見てみるよ。」

と気のない返事をするまでの一瞬で、懐古した。

今おじいちゃんは90歳。

体だけじゃなく、脳も衰えているのだろう。私の存在をちゃんと認識しているかすらわからない。

”久しぶりに帰ってみよう。”

翌週には遅めの夏休みが控えているというのに友達とは予定が合うわけもなく、一人で行動する勇気も車もお金もない。

翌週は毎日晴れ予報で、案の定、何の予定もない私をあざ笑うように晴れた月曜日。

おばあちゃんの家に着くと、

「久しぶりね。あんた全然連絡もよこさないで。」

いつも通り食べきれないほどのご飯を用意して迎えてくれるおばあちゃん。

少し会わないだけで、見違えるほど老けて弱弱しくなるこの頃。

会ってすぐは現実を受け入れられず、元気のよい声が出せない。

「あんた老けたわね。働きすぎなんじゃないの。」

 「彼氏はできたの。29にもなって、遊び歩いてないで、彼氏の一人でも見せなさいよ。」

「ああ、まあ、うん。」

声にならない返事をキンキンに冷えたビールで流し込むと、少し寒くなった。冬が目前に近づいてきたことを改めて自覚する。

人と合っている時も、季節の変わり目や日常の悩みなど取り留めないことを考えてしまうのは私の悪い癖だった。

隣では、おばあちゃんが作った食事を黙々ともぐもぐ食べ続けるおじいちゃんは可愛い。

ちょっと前までは、

「美味しいね、ちゃんと食べなさい。」

だとか

「会社の先輩には挨拶はきちんとするんだぞ。」

だったり

「お金は何よりもだいじなんだから、

 ちゃんとためなきゃダメだよ。」

とか、私のことばかり気にかけて、続けざまにいろいろ言われて少し鬱陶しいくらいだったのに。と寂しくなる。

食べ終わると、

「ちょっと見てくるね。」と

一階の事務所に向かう。

前まで、左官屋の社長をしていたおじいちゃんの事務所だった部屋。

今は物置小屋になってしまっていることも時間の流れを感じさせて寂しい。

奥の方、カーテンを開けると物置のスペースがある。積み重なるカメラやレンズの山に、ひときわ大きいバッグがあった。

ファスナーを開くと、PENTAXの重厚な一眼レフカメラ。

持ってみるとやけに重い。

前におじいちゃんから貰ったデジタル一眼レフカメラ。

今では全く使わなくなってしまったそれより倍はするだろう重さを、噛み締めて、使ってみたいなと思った。

「これ貰ってくね。」

「今日もありがとう。また来るね。元気でね。」

「またすぐに来なさいよ。」

と声をかけてくれたのはおばあちゃんだけだった。

自分でトイレに行くこともできなくなり、おなかに管を通しているおじいちゃんは、ちゃんとご飯を食べて、散歩も毎日している。

けれど、大好きな銭湯に行けなかったり、記憶もおぼろげだったりと、今までの元気な姿ではないことがはっきりとわかるからこらえきれないほど切ない。

またすぐに来よう。こんな時期だからって会えないでいて後悔はしたくない。

家に持ち帰り、電源を入れて、シャッターを押してみる。

カシャッ。

となるべきはずのカメラが一切音を発しない。

おかしいと思い、乱打するも、ウィーと、中途半端な音を立てて、止まる。

どうすることもできないもどかしさを抱えながら、明日カメラ屋さんに見てもらおうと、眠った。

翌日、高円寺のフィルムカメラ屋さんに、重いカメラとレンズを抱えていって、

「このカメラおじいちゃんが昔使ってた大事なものなんですけど

 全然動かなくて。見てもらえます?」

と言うと、二つ返事でカメラを見始める。

フィルムを出し入れしたり、レンズを外してみたりと、目の前で試行錯誤して、結局

「これダメっすね~。PENTAXは修理が難しくて、

 うちではできないんすよ。

 しかも少し前に、PENTAXの会社が修理受付をやめてしまって。」

「え、、、どこか直せるところはないんですかね。フィルムカメラ全然詳しくないし、使い方もわからないですけど、これだけはどうしても使いたくて。」

 「わかりますよ。大事なものですよね。でもこの型だと、電池式でオートなんで内部の構造が複雑で、修理できる人なんていないと思いますよ。後、このカメラファッション関係のスナップとか広告の素材撮影用として使われていたりするぐらいでかなり難しいっすよ。はっきり言って、初めての人にはお勧めしないっす。」

「はあ。。。でも。」

「もしよかったら、レンズ代込みで3万で買い取りますよ。ゆっくり考えてみてください。」

真摯に向き合ってくれるカメラ屋さんのお兄さんだったけど煮え切らない思いで、店を出る。

店を出て、片っ端からカメラ屋さんに電話してみても、どこも、「うちじゃ受けられないっすね~」の一点張り。

ようやく一軒のカメラ屋さんが

「以前PENTAXから紹介してもらったとこがあって。このお店ならできるかもしれないですよ。」

と紹介してくれたのは稲荷町の如何にもな町のカメラ工房だった。

電話すると一度見せに来てみては。とのこと。

藁にもすがる思いで、下町のカメラ工房ののおじいちゃんに渡す。

ややあって、

「うーん、直せますが4万はかかりますね。」

4万。

同機種の相場が4万~5万で、さっきの高円寺のカメラ屋さんに持っていけば3万で買い取ってくれるから1万~2万出せば同じものが手に入ることになる。

そう簡単に決断できなかくて、一度持ち帰ることにした。

帰りながら、

プロ用のカメラ。望遠レンズ。維持費も馬鹿にならない。

なのになぜおじいちゃんはこのカメラを選んだのだろうか。

風景とか物とか、孫以外に撮りたいものがあったとは思えないし、

事実、現像された写真の束に、一つとして、孫の誰かが映らない写真はなかった。

「カメラはお金かかるんだからね。」

このカメラを取りに行った日、おじいちゃんは一言だけ言った。

おばあちゃんはカメラ屋さんに騙されたんだよと言うけれど、なぜこんなものを持っていたのか本当の理由が気になる。

孫をきれいに紙に焼き写すだけで良ければいくらでも他のカメラがはず。

おじいちゃんはファインダー越しに私たちを見て、何を思い、何を伝え、何を残してくれようとしていたのか。

おじいちゃんから思いを聞き取ることが難しくなってしまった今、唯一の手掛かりである壊れたカメラを前に置いて考える。

この壊れたカメラは私に何かを教えてくれるのだろうか。

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