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18年付き合った東京とのお別れ

関西のバッグですが、戻ったのは東京から。出発直前まで引っ越し準備に明け暮れていた。

はじめまして。かわまりです。
2019年秋に、東京から地元の北海道・釧路へ、Uターンしました。

幼少期は父の転勤で札幌や富良野に住み、小学校から高校までは母の実家のある釧路で過ごします。
大学進学とともに、関東へ。埼玉・東京に18年在住。
東京では印刷会社の内勤営業、IT企業の営業事務、新エネルギー団体でのアウトソーシング、ホテルの人事と、業種も職種もなかなか統一感のないお仕事をして東京生活を満喫していました。

東京で最後に勤めていたホテルの人事では、全国各地へ人財を採用するため出張の日々でした。
今や遠隔地の方とのやりとりはオンラインで完結しますが、当時はまだコロナが出てくる前の時代で、完全なるオフライン業務。
北海道から九州まで、原則日帰りで出張します。
「今日は網走、明日は名古屋」「明日から富山、あさっては大阪」・・・
当時は30代半ばでまだ体力はありましたが、
「この仕事を歳をとっても続けていけるのだろうか・・・」と
漠然と考えるようになりました。

釣りと魚に明け暮れる

平日は朝から晩まで仕事。自宅最寄り駅直結のスーパー「ライフ」か家系ラーメンか、マクドナルドで夕飯を調達する体たらくな日々でした。

ただそんな中、どんなに疲れていても仕事後に唯一自炊ができたのは、
ライフで安売りされていた未加工の生魚を調理することでした。

いつでも店頭で見かけることができた魚は「アジ」。
目がやや濁っているので鮮度は落ちており、1尾100円、安い日だと60円くらいで売られていることもありました。
火を通せば何も問題ないと思っていたので、しょっちゅう買っていました。

アジはおろすのがとても楽しいのです。
尻尾から頭に向かってついている「ぜいご」取り。
手で向ける「皮はがし」の音と剝きやすさの快感。
三枚おろしのやりやすさ。
量も1匹で1人前くらいなので、食べやすいというのもありました。

別の記事で書きますが、同時期に「釣り」にもハマります。
平日は働き、土日は釣りへ行く。
今考えるとよくそんな気力と体力があったなと思いますが、
昔から好きな事には全精力を注ぐタイプのようです。
土日に好きな事でしっかり遊べるからまた平日頑張れる。
そんな日々でした。

釣った魚をさばいて食べたい!

東京での移動はすべて電車。
釣りに行ってもし釣れたとしても、記念写真を撮って
海へリリースしなければなりませんでした。

仕事帰りに夜釣りをしていた、とある日。
ぼんやりと海に糸を垂らしていました。
「ん?」
引っ張られる重たさを感じます。
「根掛かり(針が海の底にひっかかること)かな?」
とにかく糸を巻きまくります。
夜で真っ暗、街頭だけを頼りに、空中にほのかに見える
シルエットを眺めます。
「なんか付いてる!!!」


「メバル」でした。
しかも良型。尺(30cm)弱ほどありました。

ありがたいことにちょうどその日の釣りは、
車を持っている釣りの師匠と一緒に釣りをしていたので
電車の中でナイロン袋の魚をガサゴソ暴れさせないで
家に帰ることができました。
魚を初めて持ちかえり、自分で釣り上げた魚を煮つけにしました。

我ながらびっくりする美しさのかけらもありませんが(笑)
味はめちゃくちゃ美味しかった!!!!!
ここから釣りにさらにハマっていきます。

「母さん、わたし釧路に帰るわ」

働きながら釣りをして。働きながら魚をさばき楽しんで。
そんな毎日でしたが、メバルを釣ってから半年経とうとしていた頃、
地元釧路の企業と縁があり、18年住んだ東京を離れる決意を固めます。

お休みの日に、クロダイを狙いに豊洲へ行きました。
豊洲市場を目の前にして、母に電話をかけます。
「母さん、わたし釧路に帰るわ。転職も決まってるから生活は大丈夫だよ」

私の父は私が25歳の頃病気で亡くなり、それから母一人で家で暮らしていました。
私が一人っ子ということもあり、いつかは釧路へ帰ろうと思っていました。
東京よりもっと身近に魚と釣りを感じられるであろう釧路へ帰ることを
決めたのは、あながち難しいことでは無かったように思います。

移住・Uターンの決め手とは

移住やUターンは人生の一大決心ですが、ひょんなきっかけ、タイミングでトントン進むことがあると思います。
特にUターンは元々住んでいた土地なので、戻った後の生活のイメージは
しやすいです。

お金、生活、働き方、暮らし方・・・何を重視するかは十人十色です。
私の場合は、お金よりも暮らし方を重視していました。
東京では駅ビルもあれば百貨店もあって、ほしいものはお金さえあれば
何でも手に入る街だと思って過ごしてきました。
釧路へ戻ってきて、たとえば服を買おうとするとイオンやユニクロになりましたが、ネット通販も併用すれば何の不自由も感じません。
むしろ朝の満員電車からマイカー通勤になったので、
大声で歌いながら出勤もできます。
車という個室空間は実に快適極まりないです。

釧路は「そこそこ都会、そこそこ田舎」の街。
最近ではスシローやバーガーキングも釧路へ出店しています。
都会っぽさと田舎っぽさが、ほどよくミックスされた街です。

Uターンして3年が経とうとしています。
東京での話や釧路に戻ってきてからの話、釣りの話、魚の話、海の話…
綴りたいことが山ほどあるので、もし宜しければ、
この「かわまりのnote船」に一緒にお付き合いいただければと思います。

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