現実でしかものを考えられないこと。理想でものを考えること。

仮に、何かしら世間を沸騰させる犯罪が起こったとして。その犯罪の、加害者への処罰を語ること、また加害者の経歴から人間性を語ることなどに、世間は執着し過ぎではないか。
処罰が甘い、厳しい、その討論は秩序維持の観念から必要なことだと思う。
しかし、なぜ、加害者を受け入れる方法は考えないのだろう。

加害者は法で裁かれ、処罰。場合によっては刑務所に入る。よっぽどでないかぎり、殺さないだけで加害者を受け入れていることになるのだろうか。
いや、ならない。
理想は全人類が平和に生きること。情熱あるものは情熱的に生き、情熱のないものは、情熱を見出すか、諦めて平穏に生きるか。
現実だけを考えるべきではない。理想を語らねば始まらないだろう。

現実に落とし込むなら、秩序維持の観念から、やはり悪事を定め裁く必要があると思うが、せめて、悪事を働かない者として、悪事を働く意味について、考えねばならないと思う。
善と悪、その区分けは、その世界の性質によって決定されるものだから。

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