美しき世界

多様性を理解する世界を理想としています。 哲学、倫理及び根本的な観点で「価値観・幸福と…

美しき世界

多様性を理解する世界を理想としています。 哲学、倫理及び根本的な観点で「価値観・幸福と何か」や世間と身近な問題である「学校教育」「現代社会」について問題提起、改善案を考察します。

最近の記事

怖い夢詰め合わせ

覚えている夢の中で、怖い夢の割合がどことなく多いような気がする。夢占いの吉凶関わらず、見ているときはただならぬ狂気があるため、ちょっと控えたいものだが。 供養の意味も込めて、夢日記的なことを書こうと思う。 1.人形を包丁で刺す夢舞台は実家の近所。グラフィックが現実世界ではなく、某ホラーゲームのような、リアルだが画質がザラザラしている感じ。 私は住宅街の道路で大きな化け物を見る。どのような形状だったかは思い出せない。その化け物を避けるように、公園へ繋がる道を進む。すると公園内

    • 普通とはなにか。理想という指標。〜太宰治『斜陽』を添えて。

      ※本は未読。 いわゆる健常と異常に、優劣のようなもの、特別な性質はないとする内容なのだと思う。 それと論点は外れるのだが、発展として、健常と異常には、優位性があるかもしれないということを考えていく。 理想、そして健常と異常我々には理想がある。理想の人物像は? と問われたとき、あなたは何と答えるか。 真面目、親切、明るい性格。と、聞いて、否定できるところがあるだろうか。これらは決して、なくてはならないものではない。ただ、あった方が理想的かもしれない、というものではある。 上

      • 破滅願望。飢えて死ぬ。

        最近はとんと、運がない。私の浅薄さを自覚されるための北風と太陽の太陽なんだろうけど、あれって、太陽も暴力ではないかしら。 ここ一週間くらいで白髪が増えた。いいね。 全て運命なのだから、しようがないのだ。 感情の起伏が激しい。なにも感ぜられないのと、ときどきの怒りがあるだけ。 私はもう、まともな生活をしたくない。 精神も肉体も、満身創痍な、それでいて人から忌避されるような、そんな生活をしたい。 部屋はほこりだらけ。万年床。寝たきり。飲まず食わずで餓死。する。 これが私の運命

        • 水のように流れる

          この世のすべてのできごと。 自分の身に降りかかる、不幸と幸福。 もしそんなものが運命だったら、しようがないよな。 抗ったってどうする。抵抗して、反逆して、必死の望みをしても、意味がない。 はじめから運命は決まっていたのだ。 たった十年の人生だ。 水のように流れる。運命を受け入れる。 それだけしか、しようがない。

        怖い夢詰め合わせ

          30歳になったら死ぬ

          いつだったかしら。 私は学生時代、この文章を書いた。それからもう四年は経って、今では毎日、労働している。 あのときからなにも変わらない。 それでも、卑劣な自己正当化だとしても、悩んできたのだ。太宰治の『富嶽百景』より、人一倍悩んできた自負だけはある、とあったが、それと同じようなもんだ。 そして現在、一つ決めたことがある。 30歳になったら死のう。 なぜ三十歳なのか。幾ばくか猶予が欲しかった。 行きたい場所があったし、育ての親が私の死を感知して欲しくないと思ったから。

          30歳になったら死ぬ

          諦念について。

          諦めて、まあ、いいかあ。みたいなこと。 しようがない。もうどうしようもない。 卑怯なやつは卑怯だし、自覚がないのもあたりめえ。 じゃなイカ。くコ:彡 不機嫌そうかもね。 でも、無感覚なんだ。 努めてなにも考えないこと。 きっとこれは、心の防衛反応。 できれば不機嫌そうなのを隠せればよい。 いつもより、意識して明るく、ふふふ、と楽しそうに。 そうやっていこう。 あらゆるコミュニケーションは諦めたのだ!

          諦念について。

          死の幸福。

          美味しいもの食べたり、趣味をやったりして ときどきの楽しさや平穏を感じて それを生きがいに頑張って生きても それはほんの、ひとときの幸せ 不条理、不整合の毎日を耐え 一日一日が消えゆくことを見つめ そして、天罰が下る。 無慈悲に、脱け殻の運を絶え 唯一の平穏さえ侵しゆくのを見つめ 苦しい、不幸から自分を解放してほしい いっそ、なにも感じない世界へいきたい。 死んでしまえばなにもなくなる これから得るだろう幸福すら差し出して 最期に、なにも感じない幸福を手に入れる。

          現在に居る、生きる人。 〜近代文学たちを添えて

          幸福と時間、これには深く関係性がある。 幸福のうち一つには、平穏というのがある。 平穏に生きる人には、未来や過去が存在しない。ただ、今を生きている。今しか想像できない。 時の流れは瞬間のため、速度の概念はなく、気づいたら一日が経っている。 平穏とは、無感動、ときどき感動。 この感動の状態にあるとき、時の流れはとてもゆっくりで、今にも死に絶えそうだ。痴呆老人のような歩き振り。 今際の際に居る人は、どのような時の流れをしているのだろう。それはきっと、平穏に近い、今を生きる、と

          現在に居る、生きる人。 〜近代文学たちを添えて

          悪をする意味、悪をしない者の責務。

          この世は思った以上に非情のようだ。 大多数の人間、おそらく偏りはあるが、カンニングは卑怯な行為で死んだのも自業自得だ、というような考えがほとんどだった。もしくは学校側を悪く捉えず親にも問題がある、という考え。 このような思考は極端だ。善悪が10:0で毎回存在するという思考。 浅ましい。この世はそんなに簡単じゃねえんだわ。 この世は複雑。一つの結果のは複数の要因があって、その要因にもまた複数要因がある。それらの過程を無視してはいけないだろう。 そしてね、私はね、自覚なき狂

          悪をする意味、悪をしない者の責務。

          狂人であることを自覚する。

          常人。人として当たり前のような人というのは、ほとんど少ないのだと思う。 狂人。皆狂人である。 それを誤魔化してはいけない。常人の皮を被り、狂人を貶めてはいけない。 私は、今までどれだけの罪を犯してきたのだ。 人をどれだけ傷つけてきたのだ。 理想を軽視してきたのだ。 私は私の身の内には善が住んでいないことを知っている。無意識の領域に、親切心というのが存在しないのを知っている。 なぜなら、自らが狂人であるからだ。 常人でないなら、せめて狂人であることを自覚しろ。そうでないと、

          狂人であることを自覚する。

          美しいと思うことをしなさい。

          日々、生きている中で、罪悪感を抱くような行動は、なるべく慎むほうがいい。 規律上定められていないもの、ほとんど常識にそぐわないもの、だったとしても、美しくないならば、やってはいけない。 私達には理想がある。 その理想は境遇から形成されたものなのか、人間という生物が最初から持ち合わせるものなのか、分からないが、前者であったとしても、その境遇を作り出した源を辿れば、人間本来が持つ理想なのだと思う。 理想のような人、聖人、賢者、いい人、を想像して、どのような人を思い浮かべる。

          美しいと思うことをしなさい。

          現実でしかものを考えられないこと。理想でものを考えること。

          仮に、何かしら世間を沸騰させる犯罪が起こったとして。その犯罪の、加害者への処罰を語ること、また加害者の経歴から人間性を語ることなどに、世間は執着し過ぎではないか。 処罰が甘い、厳しい、その討論は秩序維持の観念から必要なことだと思う。 しかし、なぜ、加害者を受け入れる方法は考えないのだろう。 加害者は法で裁かれ、処罰。場合によっては刑務所に入る。よっぽどでないかぎり、殺さないだけで加害者を受け入れていることになるのだろうか。 いや、ならない。 理想は全人類が平和に生きること。

          現実でしかものを考えられないこと。理想でものを考えること。

          自由への責任を果たすこと。果たせない責任をシステムや科学で補うこと。

          自由には責任がともなう。という言葉がある。 私はこの言葉が嫌いだった。自由に責任が伴ってしまえば、それはもう自由ではないのではないか。 例えば殺人を犯すという自由、それへの責任は、一般には秩序維持のための処刑。個人では精神異常。 ということを考えれば、確かに自由には責任がともなうのかもしれない。いやわかんねえけど。 しかし、タイトルにもある通り、いわゆる一般の人ができる自由を、責任が果たせない異常な人がやるべきではない、という、考えは間違いだと思う。 それは例えば、障害。

          自由への責任を果たすこと。果たせない責任をシステムや科学で補うこと。

          謙虚になるには

          他人を変えるのは難しいと言うから、自分が変わればいいのだが、これがまた難しい。なにしろめんどうくさい。そこまでして、改善したくもない。 そうなると、他人と自分を変えずに、結果を良くする方法を考えれば良い。 この場合、謙虚になりたい理由が、どうしても自身が他人より上位に見えて、またなぜ、上位に見えてしまうように他人は怠けるのか、自分は苦労したくないのに、と苛立つことにある。 ここで、苛立つ理由が、苦労したくない、にあるから、苦労しなければいい。そのために自分も他人も変えられない

          謙虚になるには

          人間性について、誤解

          人間性。 私は太宰治の斜陽からの受け売りだから、浮世一般の定義とはちょっと異なるみたい。 ふざけんじゃねえ。 人間性のある人間はどんな人?と問われたとき、周囲からの信頼だとか、夢や目標があるとか、なにゆえ、そんな(形容する言葉が見つからない。仮に)難しいことを求めるんだ。 なめてんのか。 人間性とは、ヒュウマニティとは、 彼らはどこから、周囲からの信頼、夢目標なんてものに、人間性を見出したのか。無神経。

          人間性について、誤解

          人間性のある人間以外を排除したら

          私は言うよ。 排除とは、殺すこと。 どれだけ現代の便利を失っても、最終的に幸福ならいいのだから、平穏を乱す害悪の一切を排除し、ヒュウマニティある人間のみを生かしたなら、ほんとうの幸福がやってくるのではないか。 ヒュウマニティある人間は、人のことを考えることができる。他人が他人の幸福を心から願えるなら、不幸すら乗り越えて、心の安寧は維持できる。 多くの人が死ぬことになる。それを悲しまない訳がない。実際には気が狂うことになる。しかし、例えば、最初、多く死んだヒュウマニティのない

          人間性のある人間以外を排除したら