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#1 月の気分

母方の祖父母の家は、実家の団地よりも南にある。あの夜、じいちゃん家に向かう車中にはヘンテコなメロディにのった九九のテープがかかっていたから、小学2年生のころだと思う。東の空に、低く、満月がかかっていた。僕は助手席の後ろで窓に張りつき、オレンジ色に浮かぶ月を見ていた。

通学路の細道を横切って、見知った酒屋の前を通り過ぎる。隣の学区に入る。補助輪なしの自転車でようやくたどり着いたプラモデル屋がある通りに出る。車は南に向かって走っている。でも、どれだけ進んでも、月は同じところに浮かんでいた。目線の先に、同じ顔をして。

「ねぇ、月が追いかけてくるよ。ずっと」

と、助手席に座る父に問いかけた。父は、「そうだねぇ。なんでだろうね」とだけ答える。

入学時に揃えてもらった学研の図鑑が愛読書だった僕には、月が、ずっとずっと遠くにあるものだ、という知識はあった。そして、見えているよりもはるかに大きいことも知ってはいた。でも、それが実感できない。図鑑を読んでいるときは「でかっ!」と思っていたのに。

学校も市民病院も大きい。大きいものは大きい。ダンゴムシは小さいから、小さい。そのはずなのに、学校よりも病院よりも大きい月が一円玉くらいなのはなんでだろ、と思う。右手に振り返ると、小さい弟は月の何倍も大きく見える。

ふと、ここからだと学校も病院も見えないなぁと考えて、ひとつ謎が解けた。

「そうか、大きくても離れて遠くにいったら見えなくなる。月は、大きいのにちっちゃく見えるんじゃなくて、大きすぎてすごく遠くからでも見えちゃうんだ。ちっちゃいけど」

学校と比べて、月がどれほど大きいのかと想像した。視界に収まりきらないくらい大きな満月をイメージして、それをちょっとずつ遠くのほうに離していく。すると、どんどんどんどん小さくなって、今、自分に見えている月と重なった。さらに遠くまで月を飛ばしていくと、もっと小さくなって見えなくなった。

あの夜、僕は初めて、「月の大きさ」を実感した。

この発見に、後部座席の僕はひそかにニヤニヤしていた。追いかけてくる理由はまだわからないけれど、月の大きさがわかったから。そして、もう一つ、新たな気づきがあった。

さっきイメージしたみたいに月は超でかい。なのに、僕がちょっと目線をそらすだけで見えなくなる。「あんなに大きいくせに」と思う。窓と目の間に手をかざしただけでも、見えなくなった。弟は小さいのに、大きく見えている。

どれだけ大きいものでも、僕が見なければ、見えないのだ。だから「追いかけても無駄だぜ」と思う。僕が見なかったら、追いかけてこれないんだから。

1日に二つも新発見があって、家を出る前に「じいちゃん家行ったらドラゴンボール観れない」と、ぐずっていたのはどうでもよくなっていた。

月に追いかけられないように、月を見ないように、前に座る父と話す。発見の話を伝えようかと思ったけれど、追いかけてくる理由はまだわかってないし、大人には当たり前のようなことの気がして、恥ずかしくて言わなかった。車は南に向かって進んでいる。

一度も行ったことのないボロボロ屋根のプラモデル屋がある交差点で停まる。ここを左に曲がったら、すぐにじいちゃん家だ。信号が変わり、ゆっくりと左折する。すると、フロントガラスのど真ん中に、さっきよりもずっと大きく、近くなった、オレンジ色の満月が現れた。

見てなかったのに、ずっと追いかけてきてた。僕を先回りして、じいちゃん家のほうの空に浮かんでいる。「僕が見てなくても、ずっと、月は、そこにあった」。それがとても不気味な感じがして、怖くなって、忘れたくて、それから何日も月を見ないように無視していたのを覚えている。



ある日、ホームレスのおっちゃんたちと新宿西口の路上に座り、行き交う人たちをぼーっと眺めていた。何百、何千という人たちがたちまち駅に吸い込まれていく。駅には吸引力があるのだろう。掃除機メーカーのCMを思い出す。

せわしなく目の間を通り過ぎる人波をじいっと眺めながら、カチコチの路上に座る僕は、まるで自分がそこに存在しないかのような感覚に襲われた。

なるほど、そうだよね、と思う。理由も理屈も考える間もなく、察することができるだけ歳は重ねている。路上に座る僕たちを、みんな、見ないようにして歩いている。視線は交錯しない。視界の端っこに映っていたとしても、こちらを見てはいない。

僕はたしかにここにいる。座っている。だけど誰も見ていない。誰の目にも映っていない。こんなにたくさんの人が、同じように「見てくれない」から、通り過ぎる人それぞれから「お前はここに存在しない」とハンコを押されている気分になる。ちょっとずつ、自分の身体が新宿の空気にとけていく。

そんな想像をすると、ちょっとだけ悲しくなった。僕に何日も見てもらえなかった月も、少しくらい悲しかったのかな。

あのころの月の気分だ。




新宿に生きるホームレスと大学生が出会って、感じて、考えて書いた『トーキョーサバイバー』を出版するため、クラウドファンディングを行っています。
僕の、ぬるーい「編集後記」とは違い、とっても重厚な内容となっております。ご協力いただけましたら幸いです。詳しくは以下のリンクまで!



追記:クラウドファンディングは皆様の温かいご支援のもと、SUCCESSし終了いたしました。ご協力・ご支援いただきました皆様、誠にありがとうございました。うつつ堂代表 杉田研人拝(2022/3/17)

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