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全力のパラドックス

この前、YouTubeで「全解説するチャンネル」なるものを見た。

その中でも印象に残っているのがこの、「全てのパラドックスを解説する」というものである。

海外でバズった形式を踏襲しているらしく、視認性がよくてためになって、正直かなりの良動画だと思った。忘れていたパラドックスを思い出したり、知らなかったものもあったりと、大いに学びになった。QuizKnock然り、ただ遊び呆けているんじゃなくて「勉強もしてるんだ」という自覚が生まれるようなコンテンツは、見ていてそこまで後ろめたさがない。


最近、何かと忙しくしている。就活のイベントがあるほか、昨日と今日は早めの集中講義があったし、研究も曲がりなりにもやっている。この3つの中で研究が最後に出てくるのにはいささか疑問を呈されそうだが、まあ自由な校風を歌っているからいいんじゃないかという結論に、今は落ち着いている。

忙しさを乗り切るには日々の安定性が必要だ。では今、生活が安定しているか、ギリギリまで娯楽を封じて禁欲的に生活できているか、と問われると、そんなわけがないじゃないですかという話になってくる。
忙しいのに (というよりあるいは忙しいからこそなのかもしれないが)、YouTubeを飽きもせずに見過ぎてしまう。夜中の2時や3時になってYouTubeを開いて、QuizKnockとか全解説とか、さらばとかバキ童とか、東海とかオモコロとか、そういったものを見るのが日課になっている。それも30分や1時間ではなく、トータルで考えると2時間とか3時間とかになったりする。10分ごとに「そろそろ休憩しましょう」の通知が来るにも関わらず、だ。
流石にまずいと思って今日、スマホの再生ボタンをゴミ箱に捨てた。

動画ばかり見ていたら目や体が疲れるのはもちろん、時間を浪費する (動画を作ってくださっている人がいる前で浪費というのは少し気が引けるが) ので当然寝不足にもなる。集中講義なんて酷かった。

1日目。日々の疲れが祟ってか、1時に寝たのに目が覚めたのは9時半。このままでは授業の開始に間に合わないので、電車のルートを少し変更して出町柳駅へ。幸い自転車を置いていたので、それに飛び乗って必死でチャリを漕いで総合館に向かったら、5分遅れくらいで到着。
すでに点呼は始まっていた。名簿順なのかと思っていたら、あ行→わ行、さらに戻ってあ行→わ行と、名簿を並べたような呼び順。おそらく専攻ごとに分けた名簿をくっつけて読んでいるらしかった。
自分の名前が一向に呼ばれないので不審に感じていると、最後の人が呼ばれた。「ああ、終わった」そう落胆したのも束の間、慈悲深い先生の「じゃ、返事なかった人、もう一回呼びますね」によって、僕はなんとか出席をもぎ取った。

2日目。1日目の教訓は何処へやら、前日寝たのは4時過ぎとかで、それもYouTubeばかり見ていた。4時間寝れば大丈夫だろうというのはすごくきれいな思い違いで、結局起きたのはまた9時半、しかも出町柳に自転車を置いていないから1日目より遅くの到着になることが確定する。家を出た時は今度こそ終わりだな、と確信していた。
それでも諦めきれず、電車の中で必死に頭をフル回転させた僕は、山科から地下鉄で東山へ行き、そこから市営バスに乗って農学部近くまで行くルートを思い出す。東山を降りてバス停に全速力で向かうと、遅延していた1つ前のバスがちょうど到着したので乗り込んだ。そうしてなんとか、また5分遅れくらいでの到着に成功したのである。当然点呼には間に合わず、確認の2回目でぜえはあ言いながら返事をして事なきを得た。
かと思ったら、十分に睡眠を取れていないので2回くらい寝落ちした。気持ちよかったが10分くらいのブラックアウトのせいで内容は頭に入っていない。


「おまえ就活生やろ、何やっとんねん」
はい。すみません。

関西弁のキツい「うつろ.Jr」にキレられたので、まともな生活を久しぶりにやってみる。家に帰っても毎日、全力でやるべきことをやる。YouTubeにうつつを抜かしている暇なんてない。当然、ゲームに時間を奪われるのももってのほか。

思えばまともな生活なんてしたことがなかった。寝る時間も起きる時間もバラバラな僕の毎日は、イレギュラーがレギュラーみたいなものと言ってしまってもいいくらいだった。それを自分の部屋で寝るようになってからはずっと続けていたのだ。これまでも何度も試みてきたが、できないままなんとなくでここまできた。

本当にできるのか?
この不安と闘いながら、ひとまず全力で立ち向かう。


そんな中、早くも前提条件が覆されようとしている。

「『全力でやる』ってなんなんだ?」

全力というのは、それ以上頑張ったら死んでしまうくらいの全身全霊ではないのか。だとしたら死のギリギリを攻めることになるが、そんなことはしたくない。というか自分で自分の「全力」を決めることなどできるのか?火事場の馬鹿力は「全力」以上だったりするのではないか?

全力を定義することができない。
これはまさしく「全力のパラドックス」と言っていい。
夜な夜なYouTubeを見ていたからこそこの考えが生まれたのだとしたら、YouTubeを見るのも悪いことばかりではない。


全力という言葉はなるべく使わないようにする。
限界を決めているのとほとんど変わらない。
毎日、今できることをやっていく。それだけだ。
とりあえず明日が〆切の適性検査、やろうか。エントリーフォームへ行ってきます。

あなたの力で、僕が何かをなすかもしれません