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知識欲はどうやって生まれるのか

勉強をしていると、こんなこと別に覚えたいとは思ってないんだよなと勝手に生意気なことを考えます。試験の方から私たちに寄り添ってほしい。そう本気で思います。

とはいえ定められた基準を設けないと試験で人を選び取ることはできませんから文句なんて言わずにやれという話ではあります。また試験に出る問題はこれまで自分が受講してきた授業で紹介されていた内容ですから、解けて当たり前というのもまあそうです。

そういったことは重々承知の上で、もうちょっと知識欲を高める努力をしてほしいな、というささやかな愚痴を述べさせていただきたい。


8月の頭に花火大会がありました。琵琶湖大花火大会。近畿では指折り数える有名な夏のイベントです。今年はゲリラで参加したのですが4年ぶりの開催とのことで来場者も多く、人混みを縫うように歩いてなんとかニッチにビニールシートを敷いて鑑賞しました。

今年の花火は時間差で上部から下部へと色が変わっていったり (説明難しいですね)、大きな花火が散った後に小さい花火が複数出てきて、それが四方八方に飛散したりなど様々なギミックが搭載されているものが多く見ていて飽きませんでした。大抵花火を見ての感想なんて「きれいだね〜」とか「炎色反応が…」とかですが、今回本気で「どうやって花火のギミックを作っているのか」が気になって仕方なくなりました。

ネットで調べればすぐに得られる知識ですが、花火を実際に見ていなかったら抱くはずのなかった疑問です。知識欲のためには実物を見て疑問に思うことが大事なんだと実感しました。

また昨日、お盆休みということで母親の実家に帰省しお坊さんの読経を聞く時間がありました。なんた〜ら〜かんた〜ら〜とずっとおっしゃっているのに黙って耳を傾けているだけだとなんか眠くなってきて、「この内容を理解できたらもっと意味のある時間になるんじゃないか」とふと思った時に、知識欲ってこういうやむを得ない状況でも生まれることがあるんだと気付いたものです。


その点院試勉強はどうでしょう。実際に触れてもいないような農学の知識を延々と頭に叩き込んでいくだけの単純作業。それを知っていても、院試が終わればなんの役にも立ちません。なぜなら普段から農業に触れていないから。

「農学部が必ずしも農家になるわけではない」とよく言いますが、だからと言って農業体験をしないのは知識欲の起爆剤を失うことにつながるように感じます。大学2年の時に一応お遊び感覚の農場実習をしましたが、あれでは私たちはあくまで「体験者」であって、実際に農業に触れる「従事者」の感覚を味わうことはできません。

もっと私たちの努力次第でその後の作物の展開が変わるようなやむを得ない状況を作ってくれるなら、少しは真剣に学んで最適解を見つけ出そうとするような気がします。そして経験によって得た知識は長く残るはず。こうした生の経験が今の大学教育に足りてないんじゃなかろうかと勝手に思っています。

授業を受けさせてもらっている側が偉そうな口を聞くなと言われればそれまでですが、なんかモチベーション上がらないんだよな。なんか、そういうところがなんか気に食わないです。


悪口なんて子供か。すみません反省します。院試に合格すれば全部OKですからね。受かって全部忘れてやりますよ。
いやそれはダメか。
それではこのへんで。

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