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名前を知って「見方」が変わる。ベルリンで留学して

「私を変えたあの時、あの場所」

~ Vol.49 ドイツ/ベルリン自由大学

東京大学の先生方から海外経験談をお聞きし、紹介する本コーナー。

今回は速水 淑子先生に、ドイツ留学時のご体験についてお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。


交換留学でベルリンへ

——初めに留学のきっかけからお聞かせください。

速水先生: 研究者を志したのが遅く、三年回り道をしてから専門領域の修士課程に入学したので、とにかく早く博論以外の単位を取得して学費減免を受けたいと、留学は後回しにしていました。ただ、博士二年の秋ごろに生活環境が変わり、当時の語学力のまま研究を進めることにも不安を感じていたので、締め切り間際に思い立ち、在学していた慶應義塾大学の交換留学に申し込みました。

ポツダム広場で撮影。「ベルリンに到着した翌日に訪れました。皆が日向ぼっこをしている芝生の丘が、ベルリンの壁の跡だと気が付いて衝撃を受け、思わず撮影しました」と速水先生。


正体不明の虫と遭遇するも、名前を知って見方に変化

——博士課程時代に交換留学でベルリンへ行かれたのですね。留学に行かれて、特に印象的だった出来事はどんなことでしたか。

速水先生: 学生寮に入ったのですが、クローゼットのあたりに、黒っぽく細長くて平たい虫がたくさん住んでいたんです。それが部屋中に出没するので困りました。夢にまででてきて、寝台を這い上がってくるのではないかと不安で安眠できません。同じ寮の仲間に聞いても、虫が出るのは私の部屋だけのようでした。しばらく様子をみていたのですが、出ていく気配もなく、むしろ増えてくるようでしたので、心を鬼にして柔軟剤をかけてみたところ、あっけなく溺れ死んでしまいました。それから10日間ほど毎日、黒い虫を見かけては柔軟剤をかけて溺殺する日々が続き、芳香が充満する部屋の中で、心が荒んでいくのを感じました。それに加え、裏庭にナイチンゲールとおぼしき鳥がいて、美声で夜通し鳴き頻るので、虫の恐怖と時差ボケと相まって、どんどん寝不足になっていきました。

——時差ボケだけでもお辛いはずなのに、得体の知れない虫と同居とは、気持ちの面で削られそうです…。

速水先生: それである日、共同洗濯機用のコインをもらいに行ったときに、管理人さんに虫のことを相談してみたんです。すると管理人さんが私の知らない単語を言い、聞き取れない私のために、紙に書いて渡してくれました。そこで黒い虫がSilberfischchenという名だとわかりました。辞書をひくと「シミの仲間」とのことで、人を襲ったりもしないようです。スーパーマーケットにいってみると、なるほどSilberfischchen向けの殺虫剤がありました。悩んでいるのは私だけではないんだと、非常にほっとしました。それに、Silberfischchenというのは直訳すると「小さい銀のおさかなさん」という意味です。たしかにそういわれてみると、黒いというよりは銀色で、鱗状の背中は光沢があり、身をくねらせる様子はメダカの稚魚のようにも見えます。そう考えたら、あんなに不気味だった虫も、少々可愛らしく思えてきました。それで結局殺虫剤は買わず、溺死作戦も中止して、共存の道を選びました。


不安と恐怖がふっと消えた体験

——「小さい銀のおさかなさん」はたしかに可愛らしいですね!
いつもですと、この流れで「印象に残った出来事から受けた影響などありますか?」とお尋ねしているのですが、何か影響などあったりしましたか…?

速水先生: Silberfischenが私に与えた影響といわれると…。海外の空港って、それぞれ独特の匂いがないでしょうか。ドイツの場合はそれが、コーヒーとパンと洗濯柔軟剤の香りからできていると思います。それでいつも、ドイツに到着して飛行場の匂いがすると、良心の疼きとともにSilberfischchenを思い出してしまいます。

今になって思うのは、留学最初の数週間、私を悩ませたのは、正体がわからないものへの不安と恐怖だったということです。Silberfischchenという名前がわかったとたんに、いろいろなことが楽になりました。一般的な害虫で、そう害にもならず、何より多くの人が対策を考えていて、実際に薬もあるということで、孤独ではなくなり、未来への見通しが開けました。アドルノとホルクハイマーは『啓蒙の弁証法』で、理性による自然の支配としての啓蒙の過程の端緒を「言語的組織化」と言っていますが、言葉が対象を客体化することで、主体と客体が分化する瞬間のようなものを体験した気がします。トーマス・マンの言葉を借りれば「案件を分析し、言葉にし、名づけ、表現する」ことで、不気味なものに対する恐怖が「片づけられ」てしまったのでしょうか。言葉で名指すことの力を感じた出来事でした。


劇をテクストや観劇メモで味わい尽くす

——虫自体は同じなのに、名前が与えられたことで恐怖心が薄らぐというのは、不思議なことですが理解できます。言語や風土が異なる地で出会ったからこそ、「言葉にする」効果が明確に感じられたのかもしれませんね。
他にも留学中、印象的だったことはありましたか?

速水先生: ベルリンには劇場がたくさんあり、学生割引で格安でみることができました。言葉の壁があったので、最初はできるだけ古典作品を選んで見に行きました。古典作品であれば、あらすじを知っているし、事前にドイツ語でテクストを読んでいくこともできます。特にRegietheater(演出家演劇)と呼ばれるような、演出家の解釈を前面に押し出した舞台に関心を持ちました。私は文学的テクストを主な分析対象として近現代の政治思想史を研究しています。政治と物語の関係に関心があるので、古典的なテクストが現代社会の課題がどのように結びつくのかを、具体的に体験できて興奮しました。

たとえばソポクレス『アンティゴネ』のヘルダーリンによるドイツ語訳と、ヘルダーリンの『ヒュペーリオン』を組み合わせた作品を思い出します。戦争で死傷した兵士を戦後の社会がどう受け入れるかというテーマを軸に、ギリシャ悲劇と、18世紀末の祖国解放戦争と、2000年代のドイツを含めた欧米諸国による中東への出兵を重ね合わせる演出で、強い感銘を受けました。

劇場に行くときは、作品をドイツ語で事前に読み、観劇後に友人と感想を交わし、Nachtkritikというサイトを利用して主要な新聞と雑誌に掲載された劇評をまとめて読みました。ドイツの劇場ではパンフレットに関連論文や演出家のインタビューが掲載されていることが多いので、それを手懸りに、作品に関する他の論文やそれ以前の演出の歴史を調べたりもして、毎回、観劇メモを作っていました。


——ドイツで劇場に行く際の具体的な楽しみ方をありがとうございます! 観劇前も観劇後も反芻するように味わわれていたのですね。現地で劇を観た経験は、その後の研究にどう作用しましたか。

速水先生: そうした観劇の経験は、その後、古典的な文学作品を政治思想の枠組みで解釈する際のヒントになりました。作品を読みながら、もしこの作品を私が舞台にするとしたら、どういう演出にするだろうかと考えるようになりました。たとえばハインリヒ・フォン・クライストの『ペンテジレア』という作品については、演劇と映画を作っている友人と一緒に、実際に舞台化しました。1年ほどかけて皆で作品について議論し、2015年に上演し、その際の経験をもとに2018年に論文を書きました。舞台化の際にはアドルノとジュディス・バトラーの思想を、論文ではアライダ・アスマンの思想とギュンター・グラスの短編小説を主に参照したので、舞台と論文ではまったく異なる内容になっています。ただ、論文の核になる『ペンテジレア』解釈は、舞台化の過程で演出家や出演者との議論を通じて生まれました。


留学時の友人と訪れた「ハデスの入口」

——ドイツでの観劇の体験から、実際に舞台化するところまでつなげられていたのですね…! じっくり理解を深めたからこその実現だったかもしれませんね。
お話が前後してしまうかもしれませんが、もし留学に関するこぼれ話などがありましたら、さらにお聞きしてもよいでしょうか。

速水先生: 留学生活が楽しかったせいか、帰国してからしばらく不調が続き、博論の仕上げに行き詰りました。鬱々としていたとき、留学中に知り合ったギリシャの友人に誘われてドイツに戻り、ベルリンからアテネまでドライブしました。アドリア海沿いにイタリアを南下し、フェリーでギリシャに渡ってすぐ、アケローン川のほとりにあるハデスの入り口を訪ねました。その頃ちょうど、トーマス・マンの小説に繰り返し現れる黄泉下りのモチーフについて考えていました。ハデスの入り口に触れていると、いったん冥府の底へ降り、そこで新しい認識を経験して、再生して地上に戻るという、マンのイメージを追体験する気がして、暗い不調を乗り越えて博論『トーマス・マンの政治思想』(創文社、2015年=講談社、2021年)を仕上げる際の励みになりました。

ギリシャのネクロマンテイオンで撮影。「ハデスの入り口で黄泉下りのモチーフについて考えました」


「言葉になる以前の感覚」を楽しんでみて

——ネクロマンテイオンの写真、迫力がありますね。冥府の底から地上へ戻るという追体験を博論執筆の励みにされていたとは…。
さて、さまざまお話を伺ってきましたが、最後に留学や国際交流をしたいと考えている学生へ、メッセージをお願いします。

速水先生: 思想や文学を研究する学生さんは、たぶん、読んだり書いたりするのが好きで、思いを言語化することに比較的慣れているだけではなく、無意識のうちに言葉で自分を少し取り繕うことも多いのではないでしょうか。それだけに外国語で暮らすと、自分の思考をうまく言葉で伝えられず、もどかしく感じるかと思います。私もそうだったのですが、母国語の鎧をいったん脱いでみると、言葉のできない状態がかえって心地よく、言葉になる以前の感覚で右往左往することで、自分を取り戻せたようにも感じています。母国語の外で思考する経験をぜひ楽しんでもらいたいです。

——ありがとうございました!


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