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【ダイヤルアップ探偵団】第8回 最後に並んだのはいつ? 行列と「家電量販店」の思い出

90年代末から今世紀初頭にかけて、ブロードバンドインターネットが普及する前夜の「ネット文化」に注目する連載。第8回のテーマは、インターネットデビューには欠かせない「家電量販店」について。

●本稿は、2019年7月に刊行された「懐かしパーフェクトガイド Vol.8」(ダイアプレス) https://www.amazon.co.jp/dp/B07YZ66923/ 掲載するため製作したものです。noteへの掲載にあたり、改稿・再編集を行っています。

 タピオカに行列ができている。

 ああいうものを見るたび、一旦は冷ややかな眼差しを送るのが、平均的な日本人の「しぐさ」というやつだろう。「でんぷん質で高カロリー」だとか、「ヤクザの資金源になっている」とか、どこかで聞いてきたようなことを話して悦に入る。我々日本男子はそういう人種である。

 それでもやっぱり人気なわけで、いっぺんくらいは「タピって」みたい。とはいえ、ミニスカートの居並ぶところに我々オッサンが混じっていては不審だというのは百も承知である。したがって我々は、甘ったるいナタ・デ・ココの缶詰を開けながら、どこにいても許される存在だった少年時代のことを懐かしむほかない。

 ところで行列といえば、「家電量販店」がよくその舞台になった。そこで今回は、ゲーマーにとってもおなじみ、家電量販店について振り返りたい。

ゲーマーやPCマニアが行列を楽しんだ頃

 家電量販店への行列が最初にニュースになったのは、1988年2月の『ドラクエⅢ』発売である。

 広告キャンペーンが大々的に打たれたこともあって、混乱はあらかじめ予想されており、各地では「子どもが学校を休んで買いに行かないように」という通達が出された。地元のおもちゃ屋の入荷数が少ないことを見積もった賢いゲーマーは都会の家電量販店に足を伸ばしたが、そこも激戦区であった。

 凍える2月の真夜中に、寝袋持参、徹夜で並ぶという執念。『ドラクエ』に興味のない人の目には異質に映ったはずだ。もっともこの頃といえば、少なくないオトナが「列車の切符を取るために徹夜で駅に並ぶ」という経験をしていたはずなのだが。

 この光景は後に風物詩となる。スーパーファミコンやドリームキャスト、『ドラクエ』『FF』の新作など、品薄が懸念される商品の発売日が来るたび血眼のマニアが列をなした。当時の映像を見返してみても、インタビューを受ける人の表情が揃ってにこやかなのが印象的である。

 また、ウィンドウズ95の発売日には全国の家電量販店がにぎわったが、このときには深夜に「発売記念イベント」を催した専門店もあり、つまりは行列に並ぶこと自体が目的になっていた。

 意外なところでは、ナローバンド全盛期の2001年、Mac OS X アップデートディスクの無償配布に行列ができたという事例もある。

 今日なら「ソフトウェア・アップデート」としてネット配信されるのが当たり前だが、当時のインフラでは不可能だった。かつての「最新デジタル」の不便さを思い出す反面、この行列が、マイノリティたるMac派にとっての貴重な交流の場になっていたことは想像に難くない。

 2006年11月のプレステ3発売日には、行列の混乱に収拾がつかなくなる一幕も。「物売るってレベルじゃねぇぞ!」という、いかにもゲーマーらしい野次がネット流行語になったのは、もう12年半も前のことである。現場はビックカメラ有楽町店だった。

 その後2010年代になると、転売業者が外国人を動員して行列を作り社会問題になるが、この舞台となったのも家電量販店である。「爆買い」が流行語大賞になった2015年、授賞式に登壇したのは家電量販店ラオックスの羅怡文社長であった。

あの名前はもうない…… 再編前の家電量販チェーン

 ところで「インターネット老人会」の読者諸兄は、最初にコンピュータを買い求めた店舗を覚えておいでだろうか。そのお店が、今も当時の名前のままで存続しているケースは稀だと思う。ここからは、家電量販店・PCショップの栄枯盛衰を簡単に振り返ってみたい。

 グーグルやフェイスブックがまだ影もなかった90年代半ば、「来たるべきインターネット時代に儲かる業種」として注目されていたのが、日系の半導体メーカーと家電量販店である。

 ここに来て、かつての最新家電普及の立役者だった「系列電器店」は、その役割に限界を迎えていた。エアコンの取り付け工事は得意でも、パソコンやインターネットに詳しいとは限らないからだ。この頃から郊外にも家電量販店が林立し、熾烈な競争が始まることとなる。

 この競争から早々に脱落した全国チェーンが、Macに特化していた「T・ZONE」である。ブロードバンドの普及を前にした02〜03年、大半の店舗を不採算として閉店。その後のアップルの躍進を思うと、なんとももったいない気持ちになる。同社は、変容しつつある秋葉原の町で「美少女コンテンツ専門店」と「メイド喫茶」に生き残りを賭けたが、いずれも閉店している。

 00年代に自作ユーザーの間で支持を受けていたのが「PCデポ」だ。しかし従来のビジネスが頭打ちとなったのか、いつの間にやら方針を転換。近年では、初心者・高齢者を対象とした「サポート契約」商法で利益を生んでいたが、高額な解約料が批判を呼んだ。

 00年代後半以降は業界再編が本格化する。有名店では、「新宿3カメ」の雄たる「さくらや」、「あなたの近所の秋葉原」のキャッチフレーズで知られた「サトームセン」の名前が消滅。「ムラウチ電気」や「でんきのセキド」など、ロードサイドの中堅チェーンも消えていった。

この先どうなる!? 「夢の国」だった家電量販店

 ここ数年、日本の大手家電メーカーには凋落が叫ばれている。

 アナログ停波に伴う「地デジ特需」があったのが約10年前。これが需要の先食いとなり、家電メーカーに深刻なダメージを及ぼした。利益率の高い大型テレビを売ろうとどこも必死だが、50型や60型をポンと置けるほど日本の住宅は広くない。

 韓国・台湾・中国など、海外メーカーの躍進も逆風である。今はもうユーザーの目が肥えていて、たとえばパソコンを買い換えるとなったとき、国内大手のラインナップだけを参考に選ぶことはない。白物家電やオーディオなど、海外メーカーの席巻を受けている分野はほぼ全商品にわたる。

 日本の家電量販店といえば、国内大手メーカーと結託し「大量仕入れ&安売り」で商圏を拡げてきた。しかしネット通販との競争もあり、昭和以来のやりかたでは立ち行かなくなる日が来るかもしれない。都市部にはすでに、安くて機能的な海外ブランドが主力となっている店舗もある。

 我々オタク少年にとっての家電量販店は、陽気なミュージックに彩られた夢の国だった。製品名を列挙して「安い!安い!」と繰り返すコマーシャルは今も変わっていないが、令和時代の子どもたちにも同じ夢を見せることが、果たしてできるのだろうか。

★その他の…… 「家電量販店」あるある

1. ヨドバシカメラのCMソングを
いまだに「やまてせん」と歌ってしまう
2. ダイエー資本の量販店「メディアバレー」の展開は
あまりにも時期が悪かった
3. 中国人の「爆買い」がこんなに早く終わるとは思わなかった
4. マッサージチェアのブランドに詳しくなるが、買っても置く場所がない

著者■ジャンヤー宇都
19歳の夏、「地元のアニキ」的な存在の人に言われるがままに、彼が店長を務めるハードオフでアルバイトを始めたものの、爆音のシャコタン改造車に同乗して出勤するのがイヤで2日目でバックレた。

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