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手放すことはじぶんにしかできない

マガジン・"音楽"を伝える音楽教室に


前回に書いた記事、音程感を補修していくことをかいたものの中で、「掴むことより手放すことのほうが難しい」、と書いて、あれから手放すっていうことについて、つらつらと考えています。羅列というか覚書みたいな感じで書き出してみました。これは正しいと思っているわけではなく、「手放す」という言葉に対する私の中の情報を引き出してみよう、という試み。辻褄はあっていないかもですが、とにかく書き出してみました。

教える側は「掴む」ことを前提としている

何を教えるにしても、教材やノウハウ(うちの音楽室でいうなら、utena drawingや音楽理論)は、その生徒がその対象を掴むことができるようになるための教材やノウハウなので、今、生徒のなかで常態化している方法を手放すための、というようなもののマニュアルは、かんがえてみたら、ないような気がします。

つまり、往々にして教える側は「掴む」ことを前提としたマニュアルしか持ち合わせていないのです。その辺、教える(伝える)側は正直、鈍くなってるんだと思います。
けれど、実際学ぶ側からしたら、簡単に掴みに行けないのは、ミスマッピングや、思考方法のクセやら、思い違い、ときにプライドやら、過去の傷やら、劣等感やら、いろんなことですったもんだしているのが、普通です。むしろ、スポンジのように吸収し、どんどん掴んでいく生徒というのは、じつに稀。

「手放しなさい」というのは胡散臭い

そしてもし、教える側が「手放しなさい」と言ったら、それは、なんか胡散臭い、と私はおもってしまうのですが、どうでしょう?
胡散臭い宗教みたいにきこえてきます。
ま、だから、教える側が「手放す」ことに無頓着であるかのように「掴む」側からものを伝えるのは、ある意味良心的なのかもしれません。

また、例えば、発達障害の方にそのやり方を手放して他の方法にしてみて、と言っても体のリズムに深く深く刻まれている方法は「言えばわかる」という状態ではないので、無理強いにしかなっていかない。

時にその無神経さは暴力的にもなってしまいます。

安全に手放すこと

手放しなさい、というのが胡散臭いのには、そこに危険性を感じるからだと思います。

余白や、遊びや、他の使い方、が見えてきた時に、握っていたものを手放すのがプロセスとしての必然性なのであって、手放すことが目的となってしまったら、流れから外れてしまう。主体は、手放すことではなくて、別にあって、手放すことはひとつの理解への道すがらのアイテムにすぎない。

そもそも、手放そうと思って手放しても、戻ってくる。
逆に拗れることの方がおおい。
例えば、間違っていい、という思いが逆に呪いになってしまうことだってある。

安全に手放せるのは、その人の流れの中で、起こるべくして起こる出来事だけ。
手放すというのは自分にしかできない、と考える所以。

手放したいものを憎んでしまうのも、手放せなくなる一つの愛着。

手放したいものは実は手放してはいけないものだったりしないか?
そもそも手放せるものではないとか。
そういうものを自分から遠ざけようとするのも安全な手放し方、ではないかも。

「手放す」と「諦める」の違い

私の捉え方に過ぎないかもしれないのですが、手放すということと諦めるということは、二つの意味の円の重なる部分もあるけれど、かなり違っているようにも思います。
教える側として、生徒が諦めてしまったという時ほど、悲しいことはない、それは私(教える側)の過ちがきっとどこかにあったのだ、と私は考えてしまいます。

ああ、ただ、諦めることも手放すことと同じように、自分にしかできないことかも。教える側が不可侵の領域。

「手放す」と「捨てる」の違い

手放す、握っていた手をただ開いて開放する。
捨てる、ゴミ箱へ、あるいは自分の外へ放り投げる。
捨てるの方が積極的?、能動的?かも。

「諦める」や「捨てる」よりも「手放す」は途中経過的な。
手放すはその行為に対して・・誰かや、対象に対してではなく、手放すという行為そのものにおいて・・受動的なのかも。

気がついたら手放していた

気がついてみたら、必要のないものだったから抜け落ちていた。
あるいは、今までは自分にとって必要なものだったけれど、もうそれがなくても大丈夫な状態になっていた。
絡んだ毛糸の結び目が固くそこに何かあるようだけれども、解けてしまったらじつはなにもなかった。車の自然渋滞みたいな。
そういうシーンで手放す、というアイテムが働くんだと思います。

教える側にできることは、それを邪魔しないこと。
手放せない状況に掘り込まないこと。適度に遊ぶこと。
音楽を理解し楽しみ、自分の体感に染み込んでいくプロセスを共有しあゆんでいくこと。

そして、つらつら考えて、読み直して思ったのは、
手放す、ということに関して
特に何もしなくていい、ということ、だな。
なのに、とてもとても大事なこと。

画像を探してて、ああ、そうか、マスクの外しどき、ってのも、これにあてはまるなあと思いました。


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愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!