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自己紹介②〜挫折した大学浪人時代


 前回の自己紹介で自分のあざについて話をしました。今日は大学浪人時代の話を書こうと思います。

 私は大学では経済学部を専攻していましたが、元々は、理系の学部を目指してまして、工学部に入って、ロボットを作り、人の役に立ちたいなと高校3年生の時に思ってました。

 ただ理系を目指してた大きな理由としては父の夢を叶えたいというのが1番でした。父は高校卒業後、家の経済的事情で大学に行けず就職しました。父親自身は大学に行きたかったようで、しかも働いてから、大卒の人に見下されることもあったようです。

 そもそも高校にも行けない可能性もあったようで、5人姉弟の4番目で、お姉さんとお兄さんは中学卒業後、就職し、父も働いて欲しいと言われたようですが、高校だけは行かせて欲しいと頼んだそうです。

 父親は勉強熱心で頭も良かったようで、中学の先生が下宿になるが進学校に行かせてもらえるよう親を説得しなさいと言われたものの、家から近い工業高校に行くことになりました。父親はアマチュア無線が好きだったりと、バリバリの理系の人間でして、大学も理系の道に行きたかったようです。

 こういった父の過去を母から、物事をついたときから、何度か聞き、いつのまにか私自身の目標として、父が行けなかった理系の大学に行きたいと思うようになりました。

 しかし私自身、不器用なため、工作が苦手で、数学も正直得意でも、好きでもありませんでした。中間試験や期末試験前には数学は1番勉強しましたが、勉強した割には得点も伸びなかったですね。どちらかというと、社会が好きでしたし、得意でした。

 高校に入ってからはとあることをきっかけに部活に専念することになり、引退した3年の6月から本格的に大学受験に向けて勉強しました。しかし2年間勉強をサボった代償は大きく、大学浪人することになったのですが、この時に理系から文系に進路を変えることになりました。

 私が高校3年生の時から、家の経済状況が悪くなりました。リーマンショックの影響で不景気になり、父が経営している会社の業績が悪くなりました。従業員にお給料を払うため、父親の給料が入らない月が増えました。私は当初、家の事情を知らず、普通に大学に進むことしか考えてなかったのですが、気づけば、大学には進んで欲しいと言われたものの、最初に払う入学金の兼ね合いより国公立しか行かすことができないと言われました。

 家から行ける国公立の大学、しかも父はある程度のレベルのところに行かないと意味がないと言ってたので、名前の通る大学を目指してました。浪人時代は予備校に通わず家でずっと勉強してたのですが、家からもろくに出なかったことで心身を疲弊させていきました。自分が成長しているかもわからず、不安な日々を過ごし、母に頼み込んで、夏期講習だけ行かせてもらったのですが、これが仇になりました。なけなしの10万円を使わせてもらって、夏期講習に行かせてもらったので、夏期講習を受けて、帰ってすぐに復習をし、疑問点を洗い出して次の日に聞くを3週間毎日行ってました。1日10時間ぐらいの勉強時間ではありましたが、心身ともに疲弊した状態でムチを打ってたことで、より心身が疲弊しました。

 そして、夏期講習が終わったあとに文系に変わる決断をすることになります。

 夏期講習最終日に教えてもらった問題でどうしても分からない部分があり、聞ける人がいないため、1週間もずっと考え続けました。しかしどうしても分からない。当時、問題の答えをしっかり理解しないと、理系の大学に進んだあとにつまづく可能性があるかもしれないという思い込みがあり、どうしても理解したい、理解しないといけないと思い込んでしまいました。そうして悩み続けた結果、自分には理系の大学には行けそうにないと思うようになり、それよりもこの浪人生活が辛い、逃げ出したいと思いました。

 母に大学に行くのを諦めようと思うと話をしたら、母がとてもショックを受けまして、次の日、父と母と3人で話をすることになりました。初めて母を泣かせたので、今でもその日は鮮明に覚えています。

 父からは大学には行ってほしい、だから家から通える文系の公立大学を目指さないかと言われました。母も高卒だったので、大学には行ってほしいという思いも強く、そもそも大学行かずして、どうするかのあてもないので、父の提案通り、文系の公立大学を目指すことにしました。

 元々目指して大学に比べると、レベルは下がったとはいえ、当時の自分では合格できるところまで達してなかったので、そこから半年間、コツコツと勉強を続けました。

 もう心身ともに限界だったので、1日3時間だけ集中して勉強することにし、難しい問題はやめて、教科書レベルの問題の本を1冊、何回も行うことにしました。これが功を奏しまして、基礎力が向上したことでセンター試験の点数が合格ラインに達しました。そして驚きなことが2次試験で起こりました。本で何度も解いてた問題と同じ問題が出題されたのです。第一問目だったのですが、問題を見た瞬間、合格したと思いました。これも縁だなと感じました。

 大学を合格してホッとしたのも束の間、そこからまた新たなスタートが始まり、大学時代も紆余曲折ありました。その話は次回書きたいと思います。

 辛かった大学浪人時代の苦しかった出来事や挫折したことが長く尾を引いたのてすが、今では良い経験だったなと思います。(いや思えるようにようやくなりました。)

  学生時代、何不自由なく過ごしてたので、このまま社会人になり、どこかで壁に当たり苦しんでたらと思うと、早めに壁に当たり乗り越える経験を1つできたというのは恵まれていたなと。その経験があったから、その後の苦しい場面でも、自分なら大丈夫と思え、乗り越えることができなと改めて思います。

 長文になりましたが、お読みいただき、ありがとうございました。ではでは、今日はこれで。

 


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