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母親失格

だと思うことがたまに、いや、よくある。

娘のことは可愛い
→世間的に、自分の子どもは可愛いと思うものなんだろうな。いつの間にかそう刷り込まれていて、そう言わなくてはいけないと思っているような気もする。

私は本当に可愛いと思っているんだろうか?

生後数ヶ月の時、全然寝てくれない娘に苛立ち、1人でのんびり寝たいと祈った。夫は協力的だけど、日中は仕事でいない。
でも、イライラしている私を責めるでもなく、娘とよく寝てくれた。1人で眠れる日は、本当に幸せだと思った。

一緒に寝てくれるのは今だけよ

という人がいるけれど、私はあまり一緒に寝たいと思ったことがない。1人でのんびり眠れることが幸せだと思っている。
「この寝顔を見る時間が幸せ」と投稿している人を見ると、心底すごいなぁと思って、自分はおかしいんだなと、とても悩んだ。

食べるのが遅い娘にも苛立った。
口の中に食べ物を入れると、そんなにたくさん入っているわけでもないのに30分以上溜め込むことがよくあった。食べるのが早い子の話を聞くと羨ましいと思った。
号泣しながら実母に電話した。

どんなに散らかされても、時間がかかっても、笑い話にしている人が眩しくて、
自分はなんて心が狭い人間なのかとまた落ち込んだ。

人見知りをしていつまでも泣き続ける娘を疎ましいと思った。笑いかけて優しくしてくれる支援センターの先生や他のお母さん達と目があっただけで号泣。いたたまれなかった。いつもにこにこしながら先生達や他のお母さんたちに可愛がられている子が羨ましかった。

人見知りなんて個性だし、娘のせいでないことは頭ではわかっていた。それでも居場所を減らされているようでつらかった。

癇癪を起こして地団駄を踏む娘に本気で苛ついた。イヤイヤ期なんて当たり前だと思いつつ、理不尽な怒りに爆発しそうになることがたくさんあった。
いい大人が小さな子ども相手に本気でいらついて本当にだめなやつだと毎日自分を責めた。

子どもを産む前の自分は、
いつもにこにこしていて明るい
滅多なことでは怒らない心の広い人
と言われていた。

だけど

子どもを産んだ後の自分は、
いつもイライラしていて暗い
些細なことですぐブチ切れて落ち込む
心の狭い人
になっていた。

多分、後者が本当の自分なのだと思う。
なぜなら自分が心を開いた相手には度々見せていた姿だったから。

そんな自分が大嫌いだった。
娘は、そんな自分の醜い姿を改めて認識させる存在だった。子どもを産んでから、私のただでさえ低かった自己肯定感は、どん底に落ちた。

・だったら産むな。
・そんな親に育てられて子どもがかわいそう。
・小さな子相手にいい大人が何してんだよ、みっともない。毒親か。
・世の中には子どもが欲しくても授かれない夫婦がたくさんいる。ふざけるな。
・自分で選んで産んだんだろう。
・子どもは親を選べない。

世の中には子どもを守る美しい正義の言葉が溢れている。すべて正論だし、自分が1番そう思っている。自分自身に何度も言った言葉だ。よく知っている。

私も子どもができない時期が長くて、妊娠した時は喜んだのに、それでも子どもに対してこんなことを思っている自分は、本当に頭がおかしいと思っているし、毒親の仲間ではないかと思っている。

自分の時間がもっとほしい。
片付けたらしばらくは綺麗な家がほしい。
イライラしないで過ごしたい。

ないものねだりだよなと思う。

娘はいつの間にか
ちゃんと寝るようになり、
よく食べるようになり、
人見知りもしなくなった。

あの日願っていたように成長したはずなのに、
今度は言葉が達者になった娘が時々言う、
「大っ嫌い」「あっち行って」
という言葉に本気で傷つき、怒り、落ち込む。

言葉を話さなかった頃にはなかった悩みだ。

私は娘を思い通りに動かそうとしている。
嫌な親だと思う。
夫のようにきちんと話を聞いてあげることができない。
高圧的に注意した後、
「わかった?」
と念を押す。娘の方が弱いことを知っているから。自分が優位に立ちたいんだろう。

じゃあ、いずれ娘が成長して強くなったら?
私と同じような話し方をするようになるのだろうか。

私は間違いなく娘に反抗されるだろう。
反抗されるだけならまだしも、心底嫌われているという日が来ると思っている。
仕方ない。今の自分のような母親だったら私だって嫌いだ。

自分がしたことのしっぺ返しはいずれかならずやってくる。

私は自分と母のように、大人になっても仲良くできる親子になりたかった。
私は母が大好きだったから。

今のままではそれはできない。
だって私は母親失格なんだから。
変わりたいと何度も思った。
だけど、怒りや気持ちの落ち込みを抑えられない時がどうしてもある。

自分の心を制御できる人でありたい。
つらいことがあっても笑顔を忘れない人でありたい。
思いやりを大切にする人でありたい。
人生を楽しむ人でありたい。

子どもを守る正義の言葉も、
母親を庇う子育て経験者の言葉も、
毒親を憎む人の言葉も、
子育てを経験していない人の希望に満ちた言葉も、

どれもその人にとっては正解で、
他の人が
「あなたは間違っている」
と言うことはできないと思う。
だってその人にはなれないのだから。

だけど、
それでも、
たとえ子育てがつらくて、
どんなに自己肯定感が低かったとしても、

私は母親には向いていない。

それはこの先も変わらないかもしれないと思ってしまった。

本当に思っているのかさえ自分ではわからないけれど、

ごめんね。娘。

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