見出し画像

たりないふたり「以前」「以後」となった現代社会と芸能界

「たりないふたり」というお笑いユニットをご存知だろうか?

南海キャンディーズ山里亮太、オードリー若林の二人が、お笑い番組内のいち企画として結成したものがそのまま番組の外に飛び出し、番組終了後も残り続け、12年間もの間、定期的に番組が製作されたり、ライブを行ったりしてきたお笑いユニットである。

お二人の人間的「たりなさ」にスポットライトを当てる形で繰り出されるテーマに沿う形で広がっていく企画と、それらを足掛かりにして二人が縦横無尽に展開する漫才は圧巻だった。今現在、どの時期、どの映像を見ても本当に面白い。最高である。

そんな二人がついに解散ということで、無観客でライブを行った。オンラインチケット制で大人気。当初予定から見逃し配信期間を延長、6/13まで視聴可能なので是非。



(以下、記事中敬称略)

さて、山里と若林はいわゆる「じゃないほう芸人(元)」であり「生きづらい芸人」であり「内気」「コミュ障(死語?)」であった。人望が「たりない」とか、飲み会(へのモチベ)が「たりない」とか、そういう人間だった。

この内容、人付き合いの苦手な人々が非常に強く共感するものであった。
一人が好きな人。会社の飲み会に行きたくない人。わけわからん上司や先輩からの意味不明な説教に心の底から反発したい人。そして、自意識過剰で、自分が大切で、湧き出てくる能力に一定の自信がありつつ、それでいて本当は思いやりに溢れている人。

強い共感で人気を博したこのユニット「たりないふたり」は、大げさでなく、大真面目に、時代の境目で活躍した(一つの時代に区切りをつけた)、巨大な歴史の流れを示していると思っている。


■「たりない」と言いつつ世界にキレている

主にこのたりないふたりにおける「たりない」要素というのは「人間力」みたいなものが挙げられる。
曖昧なのでちゃんと書くと「社会通念上、他人との関わりにおいて重要視される事柄であり、多少の負荷が認められるものの、頻繁に、ごく当たり前のように行われていること」に対する「同じ重さでも強い負荷に感じてしまい、なんとか避けて生きていきたいと願うこと」である。

もっとあっさり言うと「負荷に対する耐久力がたりない」である。

(「恋愛力がたりない」みたいなことも取り上げられたりするが、これもたとえば、恋愛行為におけるステップみたいなものとか、ごく当たり前のように行われるタスク、恋愛関係を育むうえで必要なプロセスに対する「耐久力がたりない」と評せるので、この表現はなかなか的を得ていると想像する)

で、これ、「たりないので頑張って増やそうとする」という試みとは当然のように異なり「たりないので死んでもやりたくない」として回避方法を模索するのである。すなわち、とても頑固で、負荷に耐えられるわけがないので「たりないんだから関わるな!バーカ!帰れ!」ということである。

状況に対する向き合い方としては「たりないんだから反省して、鍛えて、なんとか頑張っていこう!」という前向き思想とはまるで逆の、超ネガティブ思想である。ありていに言うと子供が勉強したくなくてなんとか勉強しているフリをするとか、そういう我儘っぽいことをやっているのである。

見たことのない人向けに一つだけ例を紹介すると、飲み会での説教回避のために使う技として「伊達政宗」というものがある。
これは「だいたいお前はな…」とか上司だか先輩だか訳の分からない人がわけの分からないことを言ってきた際、急にコンタクトが外れた雰囲気を出して片目を抑えて、「アッすみません…目が…すみません…」と言いつつ離席してトイレに行くというテクニック(?)である。

書いていて笑ってしまったが、こんなことを半ば真剣に考え、日常生活でも実践しているというのだからなお笑ってしまう。ものすごい発想力と実行力である。そんなことができる勇気があるなら普通にしゃべれるだろう、と一瞬思う。また笑えてくる。

これは、つまり、単に飲み会に行きたくない、とかそういうことではないのだ。本質は「なんでこんなクソみたいな飲み会に行かされているんだ!ふざけんな!」とキレているのだ。キレて、一石を投じたく、一発かましてやりたく、バレたとしてもアクションによって場を引っ掻き回せればいい、くらいの気持ちが透けて見えるのである。そうでなければ、単に飲み会に参加しなければいいし、ヘラヘラしていたほうが負荷が小さいことは火を見るより明らかなのだから。一発ぶん殴りたいが故の「伊達政宗」なのである。

(余談だが、某ステキ曲「うっせぇわ」を聴いて「たりないふたり」が思い浮かんだ。「酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎなさい」とか、社会人じゃ当然のルール」に吠える様子は、形は違えど見ている方向は同じである。唯一の違いは、リリース時期に12年ほどの乖離があることと、12年前は「たりない」と言っていたのに対しての「私が俗に言う天才です」「一切合切凡庸なあなたじゃ分からないかもね」だろうか)


■世界が、芸能界が「多様性」とか言い出した

ダイバーシティとかいう単語が肩で風を切って歩くようになったのは、ここ10年くらいのことである。これはグローバル化の影響であり、インターネット普及の影響でもある。既存の価値観というのは単にその当時までの価値観でしかなく、人々は人々の考えや価値観、性別など、個々を形成する要素が人によって全く異なるということを独自に理解することはできなかった。インターネットの普及、SNS利用者の爆発的な増加に伴う形で、たくさんの人々がたくさんの人々を傷つけ、それが修復しつつまた傷つけを繰り返すことで、ようやく実感を伴う形で理解し始めたのだった。

それが今である。多様性を尊重せよと言い始めた(つまりダイバーシティという言葉が流行り始めた)時期から、ようやくそれが「わざわざ言われなくても当然尊重するべきもの」として定着するようになった今まで、約10年間を要したと考えると感慨深い。

いまや「たりないふたり」は、彼らが何も変わっていなかったとて「そのようなふたり」なのだ。飲み会が嫌いなことも、人付き合いが好きでないことも、もはや単に「個性」であり「たりない」等とは誰も言わない、思わない。彼らもそれを「たりない」と自称すれば、同じように悩んでいる人たちが「たりないのか」と傷ついてしまう。それが単なる個性として扱われる現代、もはやどんな形でもたりないふたりは存在しない。

これが最も「たりないふたり」が臨界点で活躍したユニットであり、以前以後だと表現したくなる理由のひとつである。

ちなみに、SNSの普及によって多様性が認知されるようになったという前提がある中で、「たりないふたり」はTwitterをツールとして番組やライブ、宣伝活動、前フリとして組み込んでいるというところも非常に面白い。時代の最中で活躍した彼らがSNSをフル活用しているというのは、なんというか、かなり示唆的である。

(若林は、自身のエッセイ本をリリースするタイミングでインスタを始めるまではSNSに対して強い偏見を抱き続けていたが、今やバスケ動画をインスタに挙げる等(※大怪我に繋がってしまったが)、活発に投稿している。会員制noteでエッセイを投稿する等、独自にSNSを活用して、ファン向けの活動を丁寧に実施しており、このあたりも「たりない」要素との乖離はどんどん大きくなっているなという印象を受ける)

山里、若林はともに令和時代のMC芸人であることは自明だが、そんな「たりない」過去時代を経験している、すなわち一般的でなかった、多様性の端っこで生きてきた芸人らがMCをやる今の時代だからこそ、多様性の象徴みたいな芸能人が増えてきたなという印象を受ける。

例えば二人と共演するテレ朝の弘中アナは、総合職への応募のついでにアナウンサー試験を受けたら合格してしまったといった(超人的だが)異色の経歴だし、アナウンサーに重要視されるであろう原稿読み、活舌、発声、アクセントなどの観点で相対的に優れているとは言い辛い。だがバラエティ番組での売れ方は尋常でないし、何より彼女の一挙手一投足は魅力的である。

フワちゃんのような芸人(?)の登場も分かりやすい。大御所でも臆さず攻める様子、収録中に自撮りしてSNSへ投稿してしまう破天荒さ(否、聡明さ)は「漠然とマナーでやってはいけなさそうなことをやりたい場合、明確にやってはいけない理由が無ければやる」というある種の爽快感を覚える。

弘中アナもフワちゃんも、10年前なら間違いなく「たりない」のだ。アナウンス技術が足りない、礼儀やマナーがたりない。でもそんなことを言う人間はもはや居ない。いや、居る。居るが、前時代的発想だと扱われがちである。誰かの何かを指摘したり制限しようとしたりすること自体が、もはや昔のことのようである。


■日本語ラップブームの中心人物が「たりない」

CreepyNutsという超売れっ子ヒップホップユニットのことは説明不要だと思うが、彼らのデビュー曲(ミニアルバム)のタイトルが「たりないふたり」だということもご存じだろうか。

いわゆるオマージュ作品というか、本家お笑いユニット「たりないふたり」に対する圧倒的リスペクトから生まれたこの曲「たりないふたり」は、まさにこの山里・若林の「たりない」部分と自分たちを重ね合わせて、共感し、改めて自分たちの「たりない」部分を歌った曲になっている

私は本家を知った状態でこの曲を聴いて、コラボでもしたのかな、とか勝手に考えているほどに本家と重なり合う素敵な曲だった。そもそもR指定(ラッパー)とDJ松永はそれぞれ山里、若林の大ファンであったが故、より強く共感し、よりマッチした曲が出来上がったのだろうとも思う。

(これは偶然かもしれないが、若林は日本語ラップオタクを自称するほどに日本語ラップが好きである。4人の交流が活発になった背景には、様々な偶然が重なりあっているように見える)

ヒップホップという音楽は、ロックのように分かりやすくもなく、ポップ・ミュージックのように普遍的なものでもなく、とにかくヤンチャな人たちに好まれているようなイメージが強い。それはCreepyNuts自身がその通りだと言い切るくらいには正しいが、しかし、この二人は全くそういう「危な気」のある人間ではない。ヒエラルキーだと3軍以下、教室の隅っこでこそこそとヒップホップを聞いていたような二人だったからこそ、こと音楽業界の中でも異色の音楽ユニットとして注目され、まさにこれ「多様性」の波の中をものすごい速さで泳いでいるのだ。

ヒップホッパーはけんかっ早い不良だけじゃない、そうではなく、おとなしい性格の、色んな事の経験の浅い若いヒップホッパーが居たって構わないということは、ヒップホッパーとしても「たりないふたり」である。


■たりない時代は終わった

しかしそんな二人すらも超売れっ子となり、何が「たりない」のかもよく分からないような状況である。

総じて、
・「たりないふたり」の蒔いた種が成長して花開き、大活躍
・本家「たりないふたり」自身も売れっ子
・時代の流れで「たりない」という表現すら適切でなくなってしまった

もはや「たりない」時代は終わってしまった。

他にも見えない要素が様々重なり合った結果(スタッフの栄転との情報も見え隠れしつつ)、たりないふたりは「解散」となった。

勿論、CreepyNutsの活躍とか。当人らの活躍も関係してくるが、私は「たりないふたり」の解散と「たりない」という表現の終わり、すなわち「多様性時代の始まり」を重ねる。

この12年間でたりないふたりは確かに成長し、二人とも明らかに「たりない」部分が減っていった。でも「明日のたりないふたり」で若林が言っていたように「結局、人間力のマシンガンもモデルガン」であり、「たりない」から逃れることができたわけではないのだ。

人間性の問題であり、生き方が少しずつ変わっていったとて、180度ひっくり返るようなことは無い。多少変わってもどうせ「たりない」はずである。だが10年後にまだなお「たりない」と言っていては、もはや彼らとの乖離ではなく、時代との乖離で押しつぶされてしまうだろう。

彼らは即席ユニットであり、一時的なコンビでしかないのだ。空気を敏感に察知することができる超人的お笑い芸人とそのスタッフ各位は、なんとなくそういうことを分かっていて、辞め時みたいなものを感じたのではないだろうか。

もはやたりないとは言えない。能力も、立場も、環境的にも。

「そのようなふたり」では、コンビではない。故に解散である。


「たりないふたり」の12年間、山里、若林は「たりない」という攻撃的な言葉で、多様性を尊重しようとしない世界をぶった切り、吠え倒してきた。

竹やりとモデルガンを駆使して、姿形を変えつつ叫び続けた彼らの12年間は、焼け石に水だったのかもしれないし、彼らなんていなくても時代は変わったのかもしれないけれど、しかし雨垂れ石を穿つ、「たりないふたり」が発足して12年後、多様性を尊重する時代が始まったのだ。

たりないふたり”以前””以後”で、時代は変わった。この12年間は本当に目まぐるしかった。もはや「たりない」人は居ないのだ。


はたして元「たりないふたり」は、この息苦しい時代に、どのような活躍を見せてくれるのか。引き続きラジオをホームとしつつ、二人の最大の武器である竹やりとモデルガンを駆使して、少しずつチューニングしながら、私たちを笑わせて、感動させ続けてほしいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?