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遊びをせんとや生まれけむ ー プロフィール用の記事 2



過去に一度、プロフィール記事を投稿しました。その後、みっともないから消そうと何度も思ったのですが、出来の悪い我が子ほど可愛いもの、畸形に生まれたのはお前のせいじゃない!(ワシのせい) ああ不憫なり我が子よ‥‥というわけでnoteから削除はしませんが、プロフィール用の記事2と入れ替えることにしました。

 実はプロフィールと言うより、
近況報告と言った方がいいのです。

昨年末より、既に所属している詩の同人誌とは別に、ある地方文芸誌の立ち上げを手伝っておりまして、主にこの地方在住の書き手を対象に、参加者(投稿者)を募っていました。

令和6年7月末が原稿募集の締め切りなのですが、6月を迎えた時点ではまだまだ少人数だったので、この一か月ちょっとの間はnoteへの投稿はお休みし、参加者探しに注力していました。

その結果、少数ではありますが、参加者が増える見込みとなりました。とは言えやっと10人台前半。まずはこれで出航することにしました。 そういうわけで、またぼちぼちと、noteへの投稿を再開したいと思っています。おわり。

さようなら。

近くの漁港

いやいや待て待て。せっかくなんだから、今度の地方文芸誌に投稿する予定のエッセイを、ここで先行披露してはどうか?
 
う~んどうしましょ‥‥。じゃあさわりの部分だけ。始めから4分の1くらいまでです。でもいまいち面白くないんですよねえ‥‥。つーか刊行物の性質上、あんまりふざけたアホバカ作品を載せる訳にもイカンのです。本名で投稿するから、この小さな街全体にアフォがバレる。「あの人タダのおバカだったのね」。私は辛い、つらいです~‥‥ っと、さっさとやりましょう。

(タイトル)

遊びをせんとや生まれけむ


 「遊びをせんとや生まれけむ」。これまで何度かこの言葉を目にしたことがある。平安時代末期に編まれた、『梁塵秘抄』に収録されている俗謡中の言葉だそうだ。この後、「戯れせんとや生まれけん‥‥」と続く。『〇〇〇文化』に参加するにあたり、詩やエッセイを書くことも、本作りを手伝うことも、みんな「遊び」の一種なのだと思った時、この言葉が脳裏に浮かんできた。

 当り前のことだが、これまでの人生で、遊ぶことが嫌いだと言う人間には会ったことがない。振り返ってみれば、私などは遊んでいてはいけない時に遊んでばかりいた。
  
 読書という「遊び」が好きな方だった私は、そもそも「遊び」とは何だろう?との興味から、歴史学者ヨハン・ホイジンガの著作『ホモ・ルーデンス』(「遊ぶ人」の意)や、思想家ロジェ・カイヨワの著作『遊びと人間』を、学生時代に読んでみたりした。尤も今では何が書いてあったのか殆ど忘れてしまっている。本棚の奥から『ホモ・ルーデンス』を引っ張り出してみると、裏表紙の内容紹介文に、「遊びのなかで、遊びとして、〈文化〉は生まれ、発展した‥‥」とある。そういうことだ。これでもういいや。再読する手間が省けた。さあ書を捨てて遊びに行こう!?‥‥(つづく)


*一応最後まで書いているのですが、まだ全体を推敲中。 
*『〇〇〇文化』は新文芸誌のタイトル。〇〇〇は街の名前。
(ダサイって言わんといてくれ頼む🙇‍♂️)


新文芸誌のキーワードは、

「どちゃく!」
「ど★ローカル!」
「ボケ防止!」


(ドンクサイって言わんといてくれ頼む🙇‍♀️)

では、親愛なるnoterの皆様、
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。




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