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ノストラダムスに関する考察 番外-予言を信じる心理-

 昨年、五島勉の「ノストラダムスの大予言」シリーズ(以下「大予言シリーズ」)の問題および大予言シリーズがオウム真理教をはじめとした新新宗教に与えた影響に対する批判的考察、ノストラダムス自身の実像についてnote記事で皆さんと一緒に考察しました。(※1)

 今回、前回のノストラダムス関連の記事からだいぶ時間が空いておりますが、番外編としてなぜ私たちは予言をはじめ占いなど非科学的で、根拠がないものを信じてしまうのか、菊池聡著「予言の心理学 世紀末を科学する」(KKベストセラーズ)(以下「予言の心理学」)より考察したいと思います。


予言に対する科学的考察

「真性の予言」と「疑似予言」

 菊池聡は、「予言の心理学」において、人が予言を信じる動機付けとして、心理学的観点からは、①自分に関する正確な情報を知りたいという動機づけ、②予言が明るい未来を保証する場合には、それを信じたいという基本的な欲求、③(ある状況下では)否定的で暗い未来を予言する情報を求める心、があるという。その上で最大の理由として、④「予言が現実に当たる」として、「的中した実例」が予言の神秘的な力を保証し、予言を信じる最大の根拠になるとしている。(※2)④の「的中した実例」として信じるようになる例として、菊池は予言以外に血液型性格判断、虫の知らせ、予知夢を挙げている。(※3)

 菊池は世の中に流通する多くの予言は、実際に未知の情報伝達ががある「真性の予言」ではなく、「情報源」に関してインチキがある「疑似予言」があるとしている。菊池は、もし未来を知る力があると主張するのであれば、予言を一つひとつ検証するという作業を通じた上で、真性の予言を追及することこそが科学の精神にかなうとしている。(※4)

 では、予言を正しく評価をするためにどのような評価法があるのだろうか。菊池は、世間に出回っている多くの予言は「疑似予言」であると同時に、見かけ上当たってしまう表現を持った予言や、外れたことを証明できない「錯覚性の予言」(※5)を帯びているとしている。そこで、世間に流布されている予言が「真性の予言」であるかどうかを検出するために、菊池は以下の方法を提示した。

信号検出理論と実験計画法(※6)

 まずは、予言が実際に未来からの信号を検出することとした上で、実際に予言をし、かつその予言が当たったときを「ヒット(的中)」とし、当たらなかった場合を「フォールス・アラーム(誤警報」とする。また、予言をしなかったが事件が起きた場合には「ミス(見逃し)」、事件が起こらなかった場合は「コレクト・リジェクション(正しく拒否)」として、予言者の予言及びそれに関連するだろう事件を4つに分類する。その上で、事件があったときについては、ヒットの割合を、事件がなかった時にはフォールス・アラームの割合を計算することで実際に行われた予言がどれだけの比率なのかを検証するというものである。菊池はこの検証方法を「信号検出理論」と定義した。

「信号検出理論」の検出に関する図表 菊池聡「予言の心理学」P160 より

 ただし、この信号検出理論では事件の予兆を感じる能力について、科学の未知の分野である予知能力か、それとも単に推理力、思考力を働かせただけなのかわからないという問題がある。その問題を克服する課題として、菊池は実験計画法を提示する。 

 実験計画法では、予言について、従来の科学的手法と比較した上で事件における的中率が向上をしているかどうかによって、その予言が予言本来の性質を持っているものとして妥当かどうかを判断ということが必要であるというものである。菊池は具体的な事例として、地震雲による予言を取り上げている。菊池によると、地震雲に関する予言は、従来の科学による地震予知以上の的中率でないとして、予言とは認められないとしている。

なぜ予言を信じるのか

 五島が記した大予言シリーズ、その影響を受けたであろう諸々の新新宗教やオカルトマニアが1970年代以降、オウム真理教による地下鉄サリン事件(以下「地下鉄サリン事件」)が発生するまで、根拠もなく世界の破滅が確実であるかのごとく喧伝し、あるいは扇動したことについてはその時代を生きてきた人たちはよくご存じのことと思われる。もちろん大半の人たちは彼らをまともに相手にはしなかったのであるが、地下鉄サリン事件の背景に大予言シリーズによる歪曲化された終末思想があったことで、初めて大予言シリーズが与えた影響が予想以上に深刻であったことを認識するようになる。

 菊池聡は「予言の心理学」で地下鉄サリン事件について次のように評する。

 「この事件は、一般の人々が冷笑し、避けて通っていた「怪しげでいかがわしいもの」=オカルトが、決して避けて通れない社会全体の問題であることを再認識させられた事件であった。
 そして、多くの人々が疑問を抱かずにいられなかったのは、合理的な科学教育を受けてきた優秀な若者が、なぜそんなオカルト的な予言や教義を信じたのか、ということである。

菊池聡「予言の心理学 世紀末を科学する」P3

 その上で、菊池は、オカルトや超常現象を信じる心には心の情報処理の偏りがあることを指摘し、予言の心理的メカニズムを分析、理解することで予言で不安にならないようになると主張する。(※7)菊池の試みは、予言を信じる心理を、データ、根拠を踏まえて科学として分析、考察をするものであると言える。

 「予言の心理学」は必ずしも予言だけに拘っているのではなく、占い、いわゆる超心理学と呼ばれるものなど客観的裏付け、根拠がない性質の類についても科学としての心理学の立場から批判的考察を行っている。また、自分の信じたいことに沿って動いてしまいがちな私たちの心理に何があるかという点についても「予言の心理学」は言及をしている。

 私たちはともすると、根拠とそれに基づいて思索する科学的思考を面倒であると考え、世の中にある「常識」、「当たり前」という言葉で片付けがちだが、この思考方法についても菊池は次のように批判する。

 「現時点の科学知識には不明なことがたくさんあるからこそ、全世界で膨大な数の研究が行われている。未知の現象はあって当たり前なのだ。予言が現代の科学知識で説明がつかないという理由のみで葬り去るのは科学の自殺行為だ。その時代の科学知識に合わないからといって、真実ではないと断定することは誰にもできない」

菊池聡「予言の心理学 世紀末を科学する」P150

 菊池が私たちに最も問いかけているのは予言を信じる、信じないかではなく、私たちの中に実際の世の中の現象について無批判に受け入れるのではなく、どのような成り立ちなのか、一つひとつ手間でも検証、考察する試みをするという科学的思考ではないだろうか。その意味ではノストラダムスの大予言やオカルトのみならず、きちんと世の中の物事を自分で調べ、検証する手法を絶えず持つとともに、自身が過ちやバイアスを持った存在であることを自覚することも求められる。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1) ノストラダムスに関する考察を参照のこと

(※2) 菊池聡「予言の心理学 世紀末を科学する」P23~P25 KKベストセラーズ

(※3) 菊池「前掲」P25~P26

(※4) 菊池「前掲」P27

(※5) 菊池「前掲」P41

(※6) 菊池「前掲」P158~P165

(※7) 菊池「前掲」P3~P4

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