見出し画像

ノストラダムスに関する考察④-ノストラダムスの実像及びその時代(中編)-

 ノストラダムスに関する実像及びその時代について考察しています。前回はジェイムズ・ランディのノストラダムス観及びそれに対する私の見解について述べて参りました。(※1)今回はノストラダムスの大予言における時代的背景について考察します。

ルネサンスにおけるオカルトの意味合い

 オカルティズムは現代においては超常現象や検証不可能などこか不気味さに基づくある種の好奇をもたらすもの、という意味合いで使われることが多い。また、ノストラダムス像、ノストラダムスの大予言もその現代のオカルト観に基づいてイメージされるものが多い。それはノストラダムスの大予言自体にそうしたオカルト的なものを感じさせる魅力があるからだろう。

 だが竹下によると、私たちが信じているいわゆるオカルト的な錬金術、占星術、魔術などの概念は16世紀においては先端科学であったとして次のように述べる。

一六世紀における「マギア」(魔術のラテン語)は、オカルトなものではなく、二つのもの(著者注:ミクロコスモスとマクロコスモスや、啓示された言葉と図像)を結びつける隠れた関係を探る照応の科学を指していた。この世のものがすべて神の意志をくんだ霊的なものによって支配され動かされていると信じられていた時代においては、この世のものを理解しその動きに干渉する応用化学そのものだといっていい。「マギア」への傾倒は、ルネサンスの人文主義によって高揚した人間の力の可能性、応用科学、テクノロジーへの期待から生まれた。人間の中の小宇宙と星座の動きなどの大宇宙との照応関係を利用してさまざまな技術に応用しようということだ。その本質は思弁的であって、原始的な呪術とは関係がない。(※2)

当時のオカルティズムの思考は、創り主である神の意志がどこにあるのかという観点から神羅万象がどのようなものなのかという法則性を探るという意味において、根拠がない主観的な判断に基づいて結論を出す現代のオカルトとは性質が異なるということだろう。

キリスト教カバラが与えた影響

 竹下は、この「マギア」に加え、キリスト教グノーシスによるヘルメス文書で示された宇宙観である「ヘルメティズム」、ユダヤ教における神の属性を知ろうとする「神智学」、神の創造物であるこの世の事物のメカニズムを知るというユダヤ教における神秘主義的な性質を持つ「ユダヤ教カバラ」が、従来のキリスト教の枠組みの中に納まっていた知的世界を拡大させたとしている(※3)。では、ノストラダムスの大予言とこれらとの間にはどういった関係があるのだろうか。

 「ユダヤ教カバラ」をカトリックが受け入れ「キリスト教カバラ」となった後、その「キリスト教カバラ」について、竹下は、ピコ・デラ・ミランドラ、ロイヒリン、アグリッパの3人がノストラダムスに直接影響を与えたのではないかとしている。(※4)また、「キリスト教カバラ」はノストラダムスにとって知とレトリックの遊戯であり、詩作品としての「ノストラダムスの大予言」のインスピレーションの源として機能したのではないかとも述べている。(※5)

 そのうえで、竹下はキリスト教カバラが民間のオカルト呪術にとり込まれたことで19世紀には、ルネサンスのころのオカルトとは異なり、オカルティズムがロマン主義の影響、東洋のエキゾシティズムによって呪術の意味合いと同意義になったことを指摘する(※6)。現代におけるオカルティズムはこの19世紀以降の主観主義的で根拠がないものである。

科学的思考が欠如するとき

竹下が

ニュートンですらルネサンス的コンコルダンスの宇宙観に拠って立っていた。(※7)

と指摘するように、ニュートンが錬金術に対して関心があったことは有名である。ただし、それでも万有引力の法則という科学史に残る偉業を成し遂げたのはニュートンの思考法が根本において科学的思考であったからであろう。

 対して、前述したように、現代のオカルトは科学的思考とはまったく異なるものとなっている。ただし、科学的思考を欠く姿勢は現代のオカルトだけに留まるものではない。社会における表面的な事象について根拠やその背景を無視して一刀両断する姿勢、結論を出す傾向は現代のオカルティズムと共通するものがある。私は社会科学を軽視する傾向とネットにおける感情的な議論と関係があるのではないかと考えている。以上からすると、ノストラダムスの大予言について考察する際には、単にオカルト的好奇心や、冷笑的な態度だけで見るのではなく、きちんと根拠や実証性に基づく評価を探る姿勢が求められるのではないだろうか。

- - - - - - - - - - - - - - -

 いかがだったでしょうか。次回はノストラダムスの人物像及びその時代背景について考察して参りたいと思います。

皆が集まっているイラスト1

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

(※1)

(※2) 樺山紘一・高田勇・村上陽一郎編 竹下節子著「カバラとノストラダムス」P257

(※3) 樺山紘一・高田勇・村上陽一郎編 竹下「前掲」P258~P260

(※4) 樺山紘一・高田勇・村上陽一郎編 竹下「前掲」P262

(※5) 樺山紘一・高田勇・村上陽一郎編 竹下「前掲」P266

(※6) 樺山紘一・高田勇・村上陽一郎編 竹下「前掲」P268

(※7) 樺山紘一・高田勇・村上陽一郎編 竹下「前掲」P257

サポートいただいたお金については、noteの記事の質を高めるための文献費などに使わせていただきたくよろしくお願い申し上げます。