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ノストラダムスに関する考察① -日本のノストラダムス現象をどう考えるか(前編)-

 五島勉によるノストラダムス像がいかにいい加減で歪曲されたものであるかについておよび五島の著書が社会にもたらした影響、ノストラダムスの実像、なぜ人々は「予言」に惹きつけられてしまうのかを考察します。1回目の今回は五島勉のノストラダムス描写に関する批判的考察を中心に取り上げます。

五島勉が歪めたノストラダムス像

 日本におけるノストラダムスのイメージは五島勉の「ノストラダムスの大予言」シリーズ(以下「五島大予言シリーズ」)によるところが大きい。五島大予言シリーズは全部で10冊に及んでいるが、一番社会に影響を与えたのは250万部を売り上げた最初の「ノストラダムスの大予言」(以下「五島大予言」)であろう(※1)。五島大予言出版の背景には公害問題、狂乱物価、石油危機といった社会不安があったのではないかとの指摘がある(※2)。人びとの不安心理を終末論という形で煽ることで売り上げを狙った本であると言えよう。

 五島大予言シリーズはオカルトという疑似科学でありかつ娯楽向けの本であることを考慮しても、極めて問題の多い本と言える。その理由について以下に述べたい。

 まず、五島はノストラダムスの生涯をはじめ多くの歴史的事実の歪曲を行っている。五島大予言13ページには1551年にアンリ2世がノストラダムスを宮廷に招き政策上の助言を求めたほか、貴族の称号を与えたとあるが、そのような歴史的事実はない。またその際に国王の顧問になったとあるが、ノストラダムスがフランス王室から与えられたのは国王の侍医兼顧問という称号である。しかし、それはアンリ2世の時代ではなく、1564年にシャルル9世が太后であるカトリーヌ・ド・メディシスとともにノストラダムスの居住地であったサロン・ド・プロヴァンスへの行幸の際に、ノストラダムスとの引見後に与えられたものである(※3)。このほかにも五島大予言53ページから54ページには息子セザール・ノストラダムスが最初の妻との間にできた子であるかのように書いているが、セザールは二番目の妻との間にできた子であるなど歴史的事実を誤っている箇所がある(※4)。ただそれ以前の問題として、そもそも五島は五島大予言をまともな資料や文献を読まずに記した可能性が指摘されている(※5)。

  次に五島大予言における「ミシェル・ノストラダムス師の予言集」(以下「予言集」)の五島による翻訳がフランス語-16世紀の人物であることを考慮すると古代フランス語であること、またラテン語らしき語彙などを含む-を理解しているとは思えない翻訳か五島の都合に合わせた意訳であるということである。その辺りの詳細については、山本弘「トンデモノストラダムス本の世界」P280~P281、山本弘「トンデモ大予言の後始末」P249~P252を参照されたい。ここでは、予言集第2巻59番について、ノルマンディ上陸作戦を予言したとみなした五島の訳に対し、フランスルネサンス期文学の専門である高田勇、16世紀フランス文学・思想を専門とする伊藤進の翻訳(※6)はノルマンディ上陸作戦に触れた内容とは思えない内容になっているということだけに留めたい。

 また予言集には記載がないにもかかわらず、五島が予言集に記載されているかのように記載した「詩」もある。五島大予言のまえがきには、予言集の中にケネディ大統領の暗殺、旧ソ連の女性飛行士テレシコワを予言したものがあるとして以下の「詩」を掲載している。

 女が船に乗って空を飛ぶ/それからまもなく、一人の偉大な王がドルスで殺される(※7)

しかし、この「詩」はそもそも予言集には存在しない(※8)。しょせんはオカルト向けの娯楽本だからということで執筆したのだとしても許容限度を超えているのではないだろうか。

 それでも、山本弘やと学会が指摘する以前は、五島大予言シリーズは実証性や学術的観点からの批判がほとんどないままその後も刊行され続けた(※9)。それがオカルトマニアの間での娯楽に留まっている分には問題はなかったのだが、五島大予言シリーズの終末論や差別、偏見は新宗教-厳密には新新宗教-に大きな影響を与えることとなった。次回後編では五島大予言シリーズが新宗教を中心に社会に与えた影響について考察したい。

皆が集まっているイラスト1

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

(※1) 山本弘「トンデモノストラダムス本の世界」洋泉社 P48

(※2) 藤本ひとみ・宮崎哲弥・山本弘「文芸春秋」1999年4月号「座談会 ノストラダムス「恐怖の大王」を笑おう」 P204,P205
宮崎哲弥「正義の味方」「第5章 すべては『ノストラダムスの大予言』からはじまった」洋泉社 P77

(※3) 竹下節子「ノストラダムスの生涯」朝日新聞社 P126~P130

(※4) 山本「トンデモノストラダムスの世界」P50

(※5) 山本「トンデモノストラダムスの世界」P50

(※6)

(※7) 五島勉「ノストラダムスの大予言」祥伝社 P3

(※8) 山本「トンデモノストラダムス本の世界」P59~P60

 山本は五島の著作である「ノストラダムスの大予言 日本編」P23で当該「詩」について五島が不完全な異本であると弁解していることに触れている。ただ、山本自身は五島の弁解を認めたわけではなく「『大予言』シリーズが緻密な計算の上に成り立っている」と皮肉めいたコメントをしている。なお、このほかにも山本「トンデモノストラダムス本の世界」P49~P50,P52,P56~P60及び山本弘「トンデモ大予言の後始末」洋泉社 P47~P52に、五島がノストラダムスの生涯、歴史的史実、「予言集」について事実と異なる記載や歪曲をしたことなどが記されている。

(※9) 山本弘以前の「五島大予言」批判としては作家高木彬光の著書「ノストラダムス大予言の秘密」がある。ただ、この本については、五島の「ノストラダムスの大予言」で言及したノストラダムスがアンリ2世に会見したというエピソードの虚偽、五島がノストラダムスがノルマンディ上陸作戦を予言したとみなした「予言集」の訳にある地名のでたらめさへの言及がないことが山本弘から指摘されている。詳細は山本弘「トンデモ大予言の後始末」P51~P52を参照のこと


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