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ノストラダムスに関する考察⑤-ノストラダムスの実像及びその時代(後編)-

 ノストラダムスに関する考察。前編ではジェイムズ・ランディのノストラダムス観及びそれに対する私の見解、中編ではノストラダムスの大予言の時代背景について述べて参りました。今回はノストラダムスの人物像、ルネサンス期の医学とノストラダムスについて考察して参りたいと思います。

ノストラダムスの人物像

 ノストラダムスの大予言の謎めいた文章表現はどういった理由なのだろうか。竹下節子は、宗教改革におけるカトリック、プロテスタントの対立の激化によるカトリックのプロテスタント狩りに巻き込まれることを恐れたことも一因ではないかと指摘する(※1)。不可解で分かりにくい文章表現はカトリック勢力による異端狩りを避けるための知恵ということだろう。 

 竹下自身も言及しているが、ノストラダムスはルネサンスの影響を受けた知識人であり、現代風に言えば進歩的でリベラルな人間個々人の主体性を尊重する傾向が強かった人物である。そうした性格の持ち主は当然守旧派であるカトリックからすれば、当然プロテスタントとつながっているのではないかとの目で見られても不思議ではない。

 いつの時代においても保守的な性格を持つ人物、組織は人間の個性、個人を尊重する考え方を秩序を乱す行為として攻撃するが、ノストラダムスのルネサンスの影響を受けた自由な発想が攻撃の対象となっても不思議ではない。現に、カトリックなどの保守派のみならず、カトリックの教えを当然と信じた民衆もノストラダムスを脅迫するなどしたため、ノストラダムスは家族ともどもアヴィニヨンへ引っ越すことも考えていたという(※2)。

 竹下はノストラダムスが生きた時代はフランス・ルネサンスの最高潮の時代であり、ノストラダムスの死後にカトリック、プロテスタント宗派間の戦争でありユグノー戦争が激化したことなどを考慮すると、ノストラダムスは強運の人だったとしている(※3)。その上でノストラダムスを次のように評する。

 ノストラダムスは一部に伝えられているような神秘的で魔術的な謎の生涯を送ったわけでもないし、運命に翻弄される冒険的な生涯を送ったわけでもない。
 傑出した頭脳と、悠久に想いをはせる詩人の魂と、篤実な信仰と、現実的なバランス感覚とを併せ持った人物が、堅実に生きたというのが真実に近いだろう。後世に、ノストラダムスの生涯が歪めて伝えられた理由はいくつかある。それは彼の弟による年代記と息子による年代記の両方に、家系の粉飾(古さと高貴さ)が見られること、彼自身に韜晦や気取りの癖があったことなどだ。(※4)

 ただ、竹下は、先祖や自身の経歴に対するノストラダムスの思わせぶりな口調はビジネス上必要性があったこと、ルネサンス知識人によくある神秘好みのスタイルであり、ノストラダムスが意図的に嘘やごまかしを行っていたわけではないとしている(※5)。その意味では、現代におけるノストラダムスのイメージはノストラダムス本人によるものよりも、後世の「解釈」者が自身の理想や要望に基づいてなされたものであると言えるだろう。

ノストラダムスが生きた時代の医学

 ノストラダムスは占星術を用いて予言を行っているが、本業は医者である。「ノストラダムスの実像及びその時代(前編)」でも触れたが、ノストラダムスが医者であるにもかかわらず占星術の知識を学んだのには、当時の医療においては占星術を学ぶことが求められていたからである。なぜ占星術を学ぶことが必要だったのか順を追って述べたい。

 前近代の西洋における医学では古代ギリシャの医学ガレノスによる血液、粘液、胆汁、黒胆汁の4つの体液によって構成される四体液説によって理論化されていた。その4つの体液は様々な物質、気候、季節と対応しており、4つの体液が均衡が保たれていることが健康であるとされた。この身体と外界の対応関係は、マクロコスモスの宇宙とミクロコスモスの人間の対応関係で位置づけられていた。占星術はその宇宙と人間双方の対応原理の核心であり、天上界が人間全体を含む地上界の事物に影響を与えていたと考えられていた。星の動きが人の身体に影響しているのであれば、当然星の動きを知る占星術は医学にとって必要であった(※6)。

 ノストラダムスのヒット作「化粧品とジャム論」も素人にもわかる形での医学書と言える。第一部で化粧品に触れられているのは、当時芳香剤は医学、化粧療法に属していたからであり(※7)、第二部のジャムについても当時は砂糖、はちみつ、煮沸葡萄酒で作る砂糖煮は滋養のある健康食品として医師が患者に処方をしていたから(※8)であった。

  伊藤和行は16世紀当時の医学は、ペストの空気感染論への疑問、梅毒治療に対し植物に代わり鉱石を用いることへの試みがあったほか、自然主義復興による解剖学の復興の推進、銃創治療を契機とした外科学の発展など、従来の古代ギリシャのガレノス医学に大きな変革を与えた時代でもあったと述べる。その上で伊藤は、ノストラダムスを独創的な理論家でも大胆な実践家であったわけでもなかったが、ペスト流行時における医療活動は進取の精神を持ったヒューマニズムの医師であったと評価している(※9)。

超人ではなく人間としてのノストラダムス像を

 さくらももこが「ちびまる子ちゃん」で自身が小学生だった時代にノストラダムスの大予言に恐怖したことをネタにした漫画を描いていたことは皆さんもご存知だろう。アニメではまる子や祖父友蔵が、ノストラダムスは立派な顔であるとして、威厳に満ちた予言者としてのイメージを抱いていた様子も描かれていた(※10)。

 しかし、それは五島勉をはじめとした「解釈」者によるノストラダムス像でしかない。山本弘作・寺嶋としお画「直撃人類滅亡超真相」におけるノストラダムスは、従来のノストラダムス像はまったく異なる人物として描かれている。この話では「1999年7の月」で始まる例のノストラダムスの大予言を信じた主人公がタイムマシンに乗ってノストラダムスに真相を訊ねる。ノストラダムスは「1999年の7の月」の詩について、フランソワ1世のようにオスマン・トルコと結ぶフランス国王が出るのではないかという意味だと語る。もちろんその予言は外れているのだが、ノストラダムスは悪い予言が外れることはめでたいこと、といたずらっぽい顔をしながら笑う。そして1999年でも戦争や疫病があるのかを主人公らに訊ね、残念ながら戦争、疾病は続いているが、ペストがほとんど姿を消したと応えると、ペストがほとんど姿を消した1999年は素晴らしい時代だと歓喜するのである。

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山本弘作・寺嶋としお画「直撃人類滅亡超真相」P50

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 山本弘作・寺嶋としお画「直撃人類滅亡超真相」P57

 もちろんこれは山本・寺嶋のノストラダムス観でしかない。ただ、私は彼らのノストラダムス観のほうが五島勉や「解釈」者のノストラダムス観よりも説得力があるように感じるのだ。私たちはノストラダムスを知ろうというのであれば、もういい加減に超人としてのノストラダムスではなく、人間ノストラダムスを知ろうという心がけであるべきなのではないか。その精神こそが本当の意味でノストラダムスに敬意を払うことだろう。

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 いかがだったでしょうか。次回はノストラダムスの神話化としてのノストラダムス現象、予言を信じることによって起こる予言の自己成就の問題性について考察する予定です。(来週は別の記事を掲載する予定です)

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(※1) 竹下節子「さよならノストラダムス」P86,P88 文芸春秋

(※2) 竹下節子「ノストラダムスの生涯」P118~P119 朝日新聞社

(※3) 竹下「ノストラダムスの生涯」P46 朝日新聞社

(※4) 竹下「ノストラダムスの生涯」P46~P47 朝日新聞社

(※5) 竹下「ノストラダムスの生涯」P47 朝日新聞社

(※6) 樺山紘一・高田勇・村上陽一郎編 伊藤和行著「ノストラダムスと医学のルネサンス」P237~P238

(※7) 樺山紘一・高田勇・村上陽一郎編 伊藤「前掲」P240

(※8) 樺山紘一・高田勇・村上陽一郎編 伊藤「前掲」P243~P244

(※9) 樺山紘一・高田勇・村上陽一郎編 伊藤「前掲」P250~P252

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