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兎がほざく

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ショート•エッセイ、140字以内。毎日投稿、どこまで続く?
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2022年8月の記事一覧

兎がほざく🐇522

兎がほざく🐇522

春のことですが公園で保育園の遠足とすれ違った時に、男の子の園児が隣を歩く園児に
「ぼくのおかあさん、梅が好きなんだ」
と言ったのが聞こえました。

梅の季節でもなく文脈もわかりません。

大人びた独白のような感じがしました。

そしておかあさんの人柄をゆかしく思いました。

兎がほざく🐇521

兎がほざく🐇521

昭和の歌謡曲のスタイルの恋は当時でも本当はあり得ないと思われていたでしょう。

でも本当だといいなという期待が持てたので流行したのです。

縋りつきたい本音をこらえて一途に情を語る、男あり、女あり......

司会の名調子と共に、歌手が陰のある微笑をたたえて登場します。

兎がほざく🐇520

兎がほざく🐇520

ぼくはふるさとにはもう行かないのです。

その町は確かに存在しますが、きっと記憶とは違います。

訪ねても観光客と同じで、昔食べたこともない名物を食べて標準語で美味しいですねと言うのでしょう。

......いや、もう東京に戻りたくなくなるから行かないのもしれません。

兎がほざく🐇519

兎がほざく🐇519

最近、すれ違う人がみんな将来のぼくの作品の読者に見えます。

作品には想定読者像はありますが、目の前の人が読者になるかもしれません。

だから誰にでも笑顔で礼儀正しく接する心掛けをしています。

これは文章を公表するようになってからぼくに起きた大きな変化です。

兎がほざく🐇518

兎がほざく🐇518

おおらか、大事ですね。

ぼくは少々の失敗でへこむ方なのでこれは痛感しています。

そういう時はうまくできなかったことより、できたことを見るようにしています。

自分に厳しいのと欲が深いのとは紙一重です。

おおらかには度が過ぎるということは大抵はないのです。

兎がほざく🐇517

兎がほざく🐇517

おしゃれとは身なりにちょっと迷ってみることだと思います。

毎回選ぶ、毎回変えようと試みる、ということでもあります。

その結果昨日と同じということはあります。

そうして自分の器を毎日造って世間に出るのです。

なるべくきれいな、かわいい、またはカッコいい自分の器を。

兎がほざく🐇516

兎がほざく🐇516

語源は確たる証拠がないことが多いですが、学問でなく連想の遊びと割り切れば面白いです。

褻稲と書いてケシネ、ケセネ、キスネ等と読みます。

きつねや気仙沼はここにつながってるかも。

柔毛と書いてニコゲと読みます。

ねこは柔らかいからねこなのかも、
よく寝てるけど。

兎がほざく🐇515

兎がほざく🐇515

ヒリヒリと心の底に深刻な痛みがある人の作品には、受け手もヒリヒリします。

痛みそのものをつゆほども書いていなくても。

涙が涸れた果てに裏声になって長調のメロディーを歌っているように。

ぼくはチャップリンの喜劇映画にそれを感じました。

太宰治の文章にも。

兎がほざく🐇514

兎がほざく🐇514

時間は時計で刻まれるのに、過去の記憶は経過した秒数の順番に堆積しているのではないようです。

同窓会に行けば学校時代のことを昨日の昼食よりずっと活き活きと思い出すでしょう。

今という瞬間が次々に過去となって記憶に繰り入れられているのに。

時間は不思議です。

兎がほざく🐇513

兎がほざく🐇513

最近人の横顔がいいと思うようになりました。

特に眼を横から見るとその人のことが多少わかって来ます。

人の後ろ姿もいいですね。
これは前から好きでした。

横も後ろも人が他人に見せたいと思っていない面です。

人は正面以外の三面は無防備なのです。

ぼくもそうです。

兎がほざく🐇512

兎がほざく🐇512

小説を書くということは具体的な細かな作業の積み重ねです。

執筆そのものの他に、構想スケッチ、下調べ、ワープロのレイアウト調整、字数確認、ページ付加、校正、プリンター印刷、発送、など。

手戻りも多く発生します。

そういう作業時間はじつはぼくにはとても楽しいのです。

兎がほざく🐇511

兎がほざく🐇511

都会の街路にも動物がいます。
鳩、雀、烏、白鶺鴒、猫。

川には白鷺、都鳥、鵜、鴨。

蝿も蚊も蜘蛛も。

みんな何を食べどこに寝ているのでしょう?

彼らも人間を見て同じ疑問を持つでしょうか?

人間としては独りぼっちでも生き物としてはそうでもないのかもしれません。

兎がほざく🐇510

兎がほざく🐇510

気候や景色のいい場所は住めばさぞ幸せだろうと思いますが、そこの地元紙を読むと自分の街とあまり変わらないことが日々起きています。

人間はどこでもそんなには変わらないのでしょう。

幸せとは結局その人その人によるのです。

それでもぼくの旅心はしばしば疼きます。

兎がほざく🐇509

兎がほざく🐇509

そういえば女の人を呼び捨てにしたり君付けで呼んだりしたことがありません。

女の人はやっぱりそういうのは本当はいやなのではと思うのです。

いつも、さん付け、しかも苗字に。

どうしても距離を置いた感じになりますが仕方ないです。

紳士とは寂しさに耐えるものです。