人の死は都市にどう現れるか──納棺師・木村光希さん、社会学者・辻井敦大さんに聞く、〈死〉と〈まち〉
街づくりは、主にまちに住む人間のために計画されるものですが、人間には必ず死が訪れます。多くの人びとが暮らす都市では、同時に亡くなった人びとを弔うための計画が求められ、それはたとえば墓地や霊園のような空間として、都市に現れます。
しかし、近代化以降、人びとと死の関係は多様に、あるいは疎遠になりつづけているように思われます。戦後日本において「家」制度は解体が進み、個人が尊重される社会が一般化するにつれて、継承者や縁故者がいなくなってしまった無縁墓の増加など、多くの社会問題にもつながっています。また、散骨や樹木葬といった継承を必要としない選択肢も生まれています。
人の死は必然にも関わらず人びとが死との関わりを遠ざけている現代において、都市空間はどのように変化していくのでしょうか——。今回のインタビューでは、こうした「死とまち」に関わる問いについて、納棺師・葬儀プランナーとして人の死に向き合いつづける木村光希さんと、「家」なき時代の人びとがお墓を建て継承する営みの変容を研究する社会学者の辻井敦大さんのおふたりにお話をうかがいました。
お墓にまつわる社会の変化を社会学の専門的な知見をとおして見る辻井さんの視点と、現場で人の死に向き合いつづける木村さんの視点。双方が交差する地点から、死生観や家族観が大きく変容している現代の「死とまち」の様相がすこしずつ現れてくるインタビューとなりました。
「死」と「まち」
——今日はよろしくお願いします。まずは簡単な自己紹介からお願いできますか。
辻井
立命館大学で専門研究員を務めています辻井と申します。私は墓地やお墓を研究対象としていまして、日本においてお墓がどのような意味をもって建てられてきたか、都市のなかで墓地がどのような経緯で開発されてきたかなどを研究しています。
木村
納棺師の木村です。私の父が、納棺師が主人公の映画『おくりびと』の技術指導をした人物でして、私もその影響を受けて、21歳のころから納棺師になりました。
木村
納棺師の仕事はもともと、葬儀会社から依頼を受けて成り立っていたのですが、納棺師自身が葬儀をプロデュースすることで、故人とのより良いお別れにつながるのではないかと思い、「おくりびとのお葬式」という葬儀会社をつくりました。
葬儀会社の前には「おくりびと®アカデミー」という、納棺師を育成する学校を立ち上げまして、今年ちょうど10期目をむかえました。
ですので、納棺師としてのセンシティブでウェットな部分と、会社経営者としてのビジネス的な部分で、二面性のある話し方になってしまうかなと思うのですが、嫌いにならないでください(笑)。
——そんな(笑)。今日はおふたりに「死とまち」というテーマでお話をうかがいます。おふたりとも街づくりのご専門ではありませんが、「死」という視点からまちをどのようにご覧になっているのかを聞いてみたいと思っています。
「家」から個人、そして中間集団へシフトする、墓の建立と継承
——今回の企画は、辻井さんのご著書『墓の建立と継承——「家」の解体と祭祀の永続性をめぐる社会学』を読ませていただいたことがきっかけになっています。まずは辻井さんのほうから、この本の概要についてお話いただけますか?
辻井
私はこれまで、墓や墓地をめぐる法制度、公営墓地を管理する地方自治体、宗教法人である仏教寺院、そして墓地を開発し墓を販売している石材店といった民間企業などが、墓をどのように認識し、つくってきたのかを研究してきました。
こうした観点から研究を進めると、日本においては「家」が重要であることがわかります。ここでいう「家」は、住宅としての家ではなく、「家を継ぐ」といったかたちで使われるような象徴としての「家」を指します。かつての日本において墓は、「家」の先祖の人びとを祀るためのものであり、墓自体の大きさや墓が建つ土地の区画などをとおして、家と家の関係性を表すようなシンボルとして存在していました。
——そうした「家」の認識は、現代ではかなり希薄なものになっているようにも思います。
辻井
おっしゃるとおり、戦後以降、家を継ぐといった意識も希薄になり、「家」そのものが変わってきています。そうした社会の状況の変化に合わせて、墓はどのように変わってきたのか、ということを研究し、まとめたのがこの『墓の建立と継承』です。
——お墓を社会学として研究することの意味がわかったように思います。では、墓が建てられることとまちづくりには、どのような関係があるのでしょうか?
辻井
国家や地方自治体からすると、墓地からは税金がとれないし、お墓はお金を生まないものですよね。そうしたものをたとえば都心の中心地につくってしまうと、駅や商業施設があることと比較すれば、経済的な停滞をまねいてしまう。ですから、明治以降の政府の方針として、好き勝手に墓地を開発できないような制度が設けられ、戦後から現代にも引き継がれています。加えていえば、当時はまだ土葬もおこなわれていたこともあり、衛生的な観点から住宅街の近くにもつくられないようにしようという基本方針でした。
そうした政府の方針だったのですが、少しずつ考え方が変わってきます。たとえば、多摩ニュータウンが開発された際には住宅地の近くに大規模な公営墓地の開発が計画されました。
——都市には人びとが生きるための場所だけでなく、死んだあとのための場所も必要だということですね。
辻井
しかし、この計画は都市計画としては、うまくはいきませんでした。繰り返しになりますが、そもそも墓地やお墓はお金を生まないものでした。だから、公営墓地の開発を資金的に支える制度が十分になかった。住民にとっては住宅がもっとも必要な福祉であり、その住宅を増やすことが東京都をはじめとした施工者にとってのニュータウン開発の目的だったわけです。一方で墓地は住宅ほどは重要ではなく、つくっても売れないのであればつくれないということで、当初の計画の1/6ほどの規模の墓地しかつくられませんでした。
しかしその後、東京都では墓地が不足していきます。バブル景気で地価が上昇するなか都市近郊での新たな墓地開発もむずかしく、80年代末には都営霊園の倍率が約20倍となり、墓地不足が議会などで問題にされるようになりました。そうした流れで、墓地開発を規制する方針から、墓地を住民の福祉を増進するものとみなす方針へシフトしていき、東京都霊園条例の目的などに記載されるようになります。
——そうした行政の方針は、まちづくりに具体的な影響を与えたのでしょうか?
辻井
地方自治体側が公営墓地の開発に積極的でなかったことは、民間企業からすれば、市場やサービスの余地を生みだす結果となりました。まちづくりとしてデベロッパーが宅地開発して住宅を売るのと同じように、高度経済成長期頃から都市郊外に大きな霊園をつくって墓を売る、というような動きが活発になります。
では墓をどのように売ればいいのか。ここで戦後以降に「家」が解体されてきたことにつながってきます。「家」の解体が進んだことで、「家」のシンボルとしての墓から自分個人や家族の墓へと、墓をつくることの認識がシフトするようになりました。自分で自分の墓を買うのだから、企業はそうした市場に合わせて、ローンを組んでお墓を建てましょうとか、自分が先に死んでしまってもお墓を建てられるような保険を契約しましょうといった具合に、いろんなかたちのサービスが出てきます。あるいは、散骨や樹木葬、永代供養墓[*1]など、遺骨や墓の継承を前提としない葬送や墓制も、こうした観点から登場します。
継承を前提としない墓制は、少子高齢化が進み、子どもがおらず無縁墓[*2]が増加してしまうような現代社会にとって、さらに求められるものになるでしょう。永代供養墓のような墓は、そのサービスを提供する主体が墓を管理することになりますから、こうした継承を前提としない墓の増加は、「家」から個人へとシフトした墓の選択や管理主体が仏教寺院や自治体のような中間集団へもう一度シフトする兆しなのではないかと、私は思っています。
——ありがとうございました。辻井さんのお話を受けて、木村さんからコメントがあればいただけますか?
木村
ありがとうございました。我々の葬儀会社の拠点が東京と札幌にあり、地域によってお墓のあり方がちがうなとふだんから感じていました。最近では都内にビル型納骨堂[*3]ができたり、民間企業が宗教法人と提携してサービスを提供したりと、新しい埋葬のかたちをまちのなかにつくろうとする動きが加速しているなと、肌で感じています。
辻井さんがおっしゃるように、お墓のかたちがどんどん変わっていくなかで、私たちの葬儀の形式も少しずつ変わっていく途中ではないかと感じました。
私たちのすぐ近くにある死・納棺師・葬儀場
——ではつづいて、木村さんにお話をうかがいます。まず、そもそも納棺師とはどのようなお仕事なのでしょうか?
木村
納棺師は、亡くなった方にお化粧やお着せ替えをして、火葬するまでのあいだに起こる変化をできるだけ抑え、生前のお姿に近づけることで、ご遺族の悲しみを少しでも減らす仕事だと思っています。
納棺師をしていた父の弟子たちが家に住み込んで練習をしていたので、白装束が当たり前にリビングに置かれているような家庭で育ちました。とはいえ、そんな私にとっても親戚の死はとてもショックでした。そんなときに、父が納棺師として曾祖母を送っている姿を見て、この仕事はすごいなとあらためて思ったのが、私が納棺師になったきっかけです。
——冒頭で、納棺師の仕事はもともと葬儀会社から依頼を受けて成り立っていたとおっしゃっていました。人が病院で亡くなると、病院から葬儀会社の紹介があったりしますが、同じように納棺師の方が病院と提携しているようなことはあるのでしょうか?
木村
納棺師が病院と直接提携しているようなことは少ないのではないでしょうか。なぜなら、葬儀会社が搬送など一部分の仕事を病院と契約していて、葬儀会社に連絡が入ったあと、納棺師が依頼を受ける、という流れが多いからです。一般的に納棺師はご遺族から直接依頼を受けるのではなく、葬儀会社からの依頼があってはじめてご遺族とお会いします。
私たちの「おくりびとのお葬式」は、納棺師であり葬儀会社でもあるので、病院や介護施設との関係性はあります。提携というより、数社あるなかのひとつとしてご紹介いただく、という関係性ですね。
——現在も納棺師に直接依頼するというより、あくまでも葬儀会社の「おくりびとのお葬式」に依頼するというかたちなのですね。
木村
そうですね。弊社の一番の特徴としてあげられるのが、葬儀の担当者自身がご遺体を処置できる納棺師ということです。納棺師が側にいることで、ご遺体の変化が起こった時にもすぐに対応でき、ご遺族にとっての安心感にもつながっています。
一般的な葬儀会社の場合は、ご遺体の処置を外注している会社がほとんどですので、イレギュラーな状況での対応がむずかしくなりますし、追加で納棺師に依頼する分、別途費用が発生してしまいます。
——木村さんが葬儀会社として起業された理由は、納棺師に直接依頼が入る仕組みになっていないので、納棺師が故人やご遺族と接する機会を増やしたいと考えられたからでしょうか?
木村
おっしゃるとおりです。納棺師が葬儀会社から依頼を受けて仕事をする場合、故人やご遺族と関わることができる時間は1時間程度しかないことがほとんどです。1日に複数の依頼が入ることもあり、そうなるとひとりあたりの生産性が求められてしまいます。「納棺師さん、本当はもう少しこういうこともしてあげたいんだけど」とご遺族に言われても、次の現場があるからごめんなさい、と断らないといけない。
ご葬儀の最初から最後まで納棺師が故人やご遺族に関わることができれば、よりよいお別れにつながるのではないかと考えたことが、「おくりびとのお葬式」をはじめたきっかけでした。
——さきほど、病院だけでなく介護施設との関係もあるとお話いただきましたが、納棺師の方がお仕事される環境も変わってきているのでしょうか?
木村
10数年前、私が地元の北海道・札幌で納棺師の仕事をはじめたころは故人のご自宅にうかがって納棺の儀式をするのが一般的でしたが、東京に来ると、葬儀会館や火葬場の安置所でおこなうことがほとんどでした。こうした納棺師の活動場所の変化は、社会やインフラの変化による影響が大きいのではないかと思っています。
最近ではおっしゃっていただいたように、介護施設や有料老人ホームのなかで納棺の儀式をおこなうことも増えました。昔は滅多にありませんでしたが、お看取りする場所が変わっていくなかで、私たちも仕事をする場所が変わっていったように感じますね。
——ご遺族側の変化も感じられていますか?
木村
そうですね。最近では親族や親しい間柄の方々のみを呼んでおこなう「家族葬」という言葉が広く知られてきていて、お問い合わせいただく件数でいえば90%以上が家族葬です。
葬儀といえば大きな葬儀場でたくさんの参列者が集まるようなものをイメージされる方もまだいらっしゃるかと思いますが、最近ではコンビニサイズくらいのコンパクトな葬儀場、いわゆる家族葬会館のみで運営している葬儀会社も増えてきているように感じます。
コロナ禍以降では、家族葬もせず、お坊さんも呼ばずに火葬のみをおこなう、火葬式や直葬と呼ばれるようなかたちのお葬式もお問い合わせが増えつつあります。
——ありがとうございます。辻井さんからコメントや質問があればお願いします。
辻井
納棺師という職業の変遷など、たいへん興味深く聞かせていただきました。
コンパクトな葬儀場が増えているとのことでしたが、地域の方々は葬儀場が増えることをネガティブに受け止めることも多いように思います。木村さんが展開されている葬儀場では、そのような反応を受けることはありますか?
木村
正確なデータがあるわけではなく、とても抽象的なお答えになってしまって申し訳ないですが、コンパクトな葬儀場が増えはじめた当時はやはり地域の方からの抵抗感はあったように思います。しかし、私たちがはじめに葬儀場をオープンした2015年頃には比較的寛容になっていた印象があります。
長く仕事をしている方々に話を聞くと、2011年の東日本大震災による人びとの死生観の変化が大きく影響しているのではないかと言っていました。そうしたことは、今回のコロナ禍でも感じますね。死や葬儀をタブー視する、毛嫌いするような日本人の死生観が大きく変化していて、死はいつ起こるかわからない、自分たちの近くにあるものだという感覚のなかで、葬儀場が近くにできることにも違和感を感じなくなっているのかなと感じています。
まちに溶け込む葬儀場を目指して
——葬儀場についてすこし調べてみると、建築用途としては「集会場」なので、住宅地にも建てられますし、法律的には制限が少ないあつかいになっています。一方でさきほど話題にあがったように、地域の方からは建設に反対意見が出たりといったネガティブな反応がある場合も多い。木村さんのご経験で、地域との関わりのなかで苦労されたことがあればお聞かせください。
木村
近隣住民の方からの反対というのは、やはりよくあります。たとえば、棺や霊柩車が見えないように壁をつくってくれといった建物に対してご要望をいただいたり、住宅地の土地の価値が下がってしまうから建てないでほしいなど、いろんなお声をいただきます。そうしたお声に対して一つひとつていねいにご説明する必要があるので、たいへんだった経験は何度もありますね。
辻井
葬儀のかたちには地域性があるので、各地の風習に対応する必要もありますよね。お通夜のあと先に火葬をしてから葬儀をおこなう地域もあるとうかがったことがあります。
——そうした地域の方からのネガティブな反応に対して、木村さんは具体的にどのような対応をされているのでしょうか?
木村
なぜ私たちがこの仕事をこの場所でやりたいのかを、誠意をもってお伝えすることに尽きます。説明会などをとおして、私たちの葬儀のこだわりや考え方をお話して、この地域で亡くなった方を弔う方法をよりよくしていきたいという思いを、まっすぐに伝えるよう徹底しています。
逆にいえば、葬儀場の立ち上げ当初に感じたこととして、反対意見をもたれていたとしても、説明会に30人、40人と集まってくれることは、私たちのことを知ってもらえるチャンスでもあるんです。地域にとって必要な場所として認識していただきたい一心で、お伝えしています。
そうした意味も込めて、「おくりびとのお葬式」をはじめたときは、いかに「まちに溶け込む葬儀場」にできるかを考えていました。
——まちなかに建っていても違和感のない、むしろポジティブな印象をもつ葬儀場ということでしょうか?
木村
そうですね。カフェのようになっていたり、ドッグランが併設されているような葬儀場が私の理想としてありました。もしものとき、ふだんから認識されているかどうかで選んでいただけるかが決まるというビジネス的な観点からも、そうしたまちに溶け込んだ葬儀場を目指しています。
——『RE-END 死から問うテクノロジーと社会』という書籍の木村さんへのインタビューのなかで、葬儀場でハロウィンパーティを催されているとおっしゃっていましたが、それも「まちに溶け込む葬儀場」をつくるひとつの方法なのでしょうか?
木村
はい、やっぱり1番は、私たちのことを知っておいてほしい、ということに尽きます。
私たちは「よりよいお別れが、よりよい社会をつくる」をテーマに仕事をしています。よりよいお別れをつくるためには、生前から関わりがあることが重要になると考えています。そのためには私たちのことをふだんから知っておいていただく必要がありますし、その試みのひとつがハロウィンパーティでした。ほかにも葬儀場でワンちゃんを飼って地域の人に散歩してもらったり、いろんな試みをとおして、葬儀場と地域との新しい関わりをつくろうと模索しています。
家族観の変化とお墓・葬儀のかたち
——木村さんのお話からは、人びとと死の関係性がすこしずつ変わってきていることを実感されているのだなと感じました。辻井さんも人びとと墓の関係性の変化についてお話いただいていましたが、最近の自治体の墓地政策に関してはどのような変化を感じていますか?
辻井
高度経済成長期からバブル経済期にかけては、新しく墓地をつくろうとする動きが大きかったのですが、現代では、多くの人をひとつの場所に集合的に埋葬できる合葬墓のようなお墓をどのように公的に整備するかが課題になっているように思います。
社会的には「無縁遺骨」が問題になっていて、総務省の調査では約6万の引き取り手のいない遺骨が全国の自治体で保管されているそうです。無縁となってしまう方が増えるなか、あるいはお墓の面倒を見たくないと感じる人が増えるなかで、公的な合葬墓の整備が求められている。
自分の先祖や両親、ないしは自分自身を弔うためにお墓をつくりたいという需要から、残される人びとの負担を軽くする集合的な合葬墓の需要への変化、といえるでしょうか。
——現代も都市政策としての墓地がかたちを変えながら課題になっているのですね。木村さんも、合葬墓や散骨など、お墓の面倒を見なくていいような弔い方が増えているなという実感はありますか?
木村
感じますね。葬儀やお墓の管理を大変なことだと思っている方が多いのかなと。お寺や親戚とのお付き合いなどを煩わしいと感じて、葬儀やお墓の管理を簡素化する傾向があるように思います。
——親戚だけでなく、ご近所さんともあまり付き合いたくない、特定の人とだけ関わりをもっていたいと感じる人がいまは多いように思います。冒頭の辻井さんのお話でも「家」の変化から現代の家族観が変わってきているのだなと感じたのですが、木村さんご自身は家族についてどうとらえていますか?
木村
いま私の家族といえば、やっぱり妻と子どもだけですかね。自分の両親や兄弟たちも家族といえば家族ですが、なんとなく家族とはまたちがった感じといいますか。
——すごくよくわかります。家族の範囲がとても近い感覚ですよね。一方で、たとえば家族の範囲が近くなったからこそ、逆に葬儀やお墓を簡素化せずにちゃんとしたいと感じる人もいると思うんです。そうした感覚と、お墓を簡略化する合葬墓のような需要の増加には、どのような関係にあるのでしょうか?
辻井
社会学的には、家族は、かつて親を介護したり子どもを育てたりといった役割や機能を求める集団だったものが、現代では純粋に親しい人どうしの関係性のもとにつくられるものに変わってきたという認識をしています。
そうした家族観がお墓を選ぶ際にも影響していて、かつては「家」の象徴としてお墓を建てたのに対して、いまでは故人と残される方双方の関係性からお墓や弔い方を選択しているように思います。たとえば、亡くなる方が残された方に迷惑をかけたくないからお墓をつくらなくていいという場合があったり、逆に残された方がちゃんと弔いたいから木村さんのような納棺師の方に葬儀をお願いしたり、お墓を建てるという場合もある、ということが起こっているのかなと思います。
死をまちが弔う都市へ
——死と人びととの関係がすこしずつ変わってきているなかで、死にまつわる都市空間は今後どのように変わっていくと思いますか?
辻井
親しい死者に関しては、お墓や遺骨を自身の近くに置いておきたいと考える動きが今後強まっていくだろうと思っています。たとえば、亡くなる方が散骨を希望されたとしても残された方はその人を思い出したいから遺骨の一部を散骨せずに残しておくケースや、遠くのお墓に通うことがむずかしいのでお墓を移動させて家の近くに建てるケースもあるようです。
他方で、親しくない死者や、引き取り手のいない死者の行き場が都市のなかになくて困っている状況が同時に起こっています。そうした死者を都市がどのように包摂し弔うことができるかが、今後の都市にとって大きな課題になってくるかもしれません。
関係性の親しい死者ほど都市空間のなかに場所がつくられていく一方で、そうでない死者はどこに行くのか、都市として考える必要があるのだと思います。
木村
葬儀やご遺体の処置という観点でいうと、お看取りする場所がご自宅から病院や介護施設などに変化していくなかで、医療・福祉に携わる方々と死の関係性がこれから変わっていくだろうと思います。
もしかしたら、私たち納棺師がご遺体の処置をするのではなく、看護師さんや介護福祉士さんが処置するようになって、その人たちが葬儀までおこなうような時代になるかもしれない。そうなると、まちのなかの葬儀場というあり方も変化が求められる。
大切なのは、残された人たちが死者を弔うことの価値をより理解して、絶やさないことだと思います。本来、私たちの仕事の目的はご遺族のグリーフケア[*4]のはずなんです。だから、弔い自体をまちのひとつの要素として組み込んでいくことが、まちの温かさにつながるのだと思っています。
——社会が変化していくなかで、私たちのふだんの生活と死がどのように関わっていくのかを、私たち自身がつねに考えなければいけないのだなと思いました。それが「死とまち」の未来を考えることにつながるのですね。今日はありがとうございました。
(2023年10月2日収録)
聞き手:春口滉平、小野寺諒朔、今中啓太・齊藤達郎(NTTアーバンソリューションズ総合研究所)
構成・編集:春口滉平
編集補助:小野寺諒朔、福田晃司
デザイン:綱島卓也
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