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なぜクルド人がトルコから日本に来るのか?本当に彼らは難民なのか?

 最近、しばしば埼玉県川口市や蕨市でクルド人が揉め事を起こしてニュースになり、そのたびにネット上では彼らに対する評判がどんどん悪くなっている。その度に僕は重いため息を吐く。犯罪行為や迷惑行為を行なってしまった一部のクルド人に対してもだが、事件に対する我々日本人の反応にもだ。野蛮人だの、難民申請中のくせにだの、アイツらが各国で迫害されている理由がわかっただの、クルド人のことをおよそ知らないと思われる人々が言いたい放題言っている。そう言いたくなる気持ちもわかる。だが一部の人間の行いを見て、全てのクルド人を一纏めにして叩くのは、それはもう民族差別ではないのだろうか。それがまかり通るなら、日本人を含む全ての民族、人間もクズということになる。どんな民族にだって一定数クズはいるのだから。
 しかし日本に300万人以上いる外国籍の人々の中で、クルド人はたった2000人しかいない超マイノリティなのだが、悪目立ちしてしまっている。埼玉県蕨市あたりに住むクルド人のほとんどはトルコ南東部アナトリア地域の田舎出身だと言われている。村には学校が一つしかなく、学べるのはローマ字とトルコの歴史、いかにトルコが偉大なのかというようなものばかりで、クルド語の使用は禁止。1年生から6年生までが一つの教室で学ぶようなところだ。正直、教育のレベルは高くなく、文化や生活習慣、モラルやマナーの大きな違いに加えてそういった教育環境の背景も一部のクルド人による犯罪や迷惑行為の一因になっているのかもしれない。ではなぜそのようなトルコ南東部の田舎からクルド人がわざわざ日本に来て難民申請を行うのだろうか?
 

大国によって引き裂かれたクルド人


 戦争や弾圧など生命の危険があったり迫害される恐れがあるため故郷を捨てて国外に脱出せざるをえなかった人々を難民と呼ぶ。クルド人は「国を持たない世界最大の民族」と呼ばれ人口は3500万人程と見られている。


 クルド人は今の世界地図でいうとイラク、イラン、シリア、トルコ、アルメニアあたりの山がちな地域に昔から住んでいた。その辺りは第一次世界大戦が終わるまではオスマン帝国という大きな帝国があって、彼らもその領域の中で地方領主として結構いろんな権限を与えられていたのだが、第一次大戦でオスマン帝国が負けると彼らの置かれた状況は一変する。イギリス、フランス、ロシアにより一方的に国境線が引かれ、それがクルド人の住む土地を分断した。それ以降新しく誕生した国々で彼らはいじめられ続けるのだが、新生トルコ政府はなかなかひどい政策をとった。クルド人に同化政策や強制移住を強い、公の場での言語使用禁止や書籍、音楽なんかも禁止された。当初はクルド人を含め多民族国家を目指すという方針だったトルコ政府が舵をきったのは、トルコという国はトルコ人によって作られた誇りある国なのだ、というナショナリズムをもとに新しい国を一つにまとめる必要があったからでもある。と言うわけでクルドという民族がトルコで力を持つのは政府にとっては都合が悪かったわけで、彼らを「トルコ語を忘れた野蛮な山岳民族」などという呼び方をしてきたわけである。そういった扱いに対してクルド人たちが自分達の権利や自由、独立を求めて立ち上がるのは当然なわけで、トルコ政府と何十年も衝突を繰り返してきている。中にはイスタンブールなどの都市部に住み、政府の要職についたり、ビジネスで大成功しているクルド人もいるが、トルコ南東部の昔からクルドが多く住む山間のエリアではいざこざはずーっと続いている。公共の場での言語使用や文化が禁止される中で、道端でクルド語の歌を口ずさんでいた若者が刺し殺される事件が近年にも起こるくらいの扱いを彼らは受けている。2015年以降には軍事作戦と称してクルドの村が襲われ住民が殺されることも起こっているし、トルコ・シリア・イラクの国境地帯ではクルド人勢力に対する空爆なども常に行われている。毎年春に行われるクルドの新年を祝うお祭りに参加しただけで、警察当局から目をつけれられ、逮捕されるような有様だ。
とまあこんな状況なので、逃げるようにして故郷を出て親戚を頼って日本に来るクルド人たちは多い。ちなみに一番最初に日本に辿り着いたクルド人は、90年代に来ているが今はトルコに帰ったらしい。まるで伝説の人物のように名前だけを聞くことはあるが、消息はわからない。
 
 このように第一次世界大戦以後の歴史を振り返ってみればクルド人が各国で受けてきた苦難のストーリーは無数にある。シリアでは突然市民権を剥奪されたり、イラクでは化学兵器で大量虐殺されたり、一方的に虐げられてきたわけだが、日本では「クルド人に対する差別や迫害、弾圧など存在しない」と言う方々が驚くべきことに中東専門家の中にすらいる。シリア、イラク、トルコでクルド人を見てきた僕からすると、なぜそんな事を言えるのか謎でしかないのだが、そういう風に言う方々がいるのは事実である。なので僕は僕で、自分が目の前で見てきたクルド人が置かれている現地の状況を見せていこうと思う。別にクルド人に肩入れしていると言うわけではなく、本当にそれが起こっているという事実を示したいだけである。そこに存在しているものを存在しないと言い張って自分達に都合の良いように現実を捻じ曲げ、特定の人々が虐げられるのは納得がいかないし、許されないことだと思うからである。

写真家として僕が目撃した現場

 今回ここで見せる写真は2015年7月イスタンブールのガジ地区で撮影したものだ。クルド人勢力に対する警察の作戦を非難するデモの最中、スローガンを叫び、投石するデモ隊。トルコ警察は放水車と催涙ガスで応戦し、外側から警官隊の包囲を徐々に狭めてデモ隊を捕まえていった。危うく僕も捕まりかけたが、近隣住民の家に逃げ込んで難を免れた。トルコは同年7月24日、戦闘機が初めてイスラム過激派の拠点を空爆したことを受け、シリアのイスラム国(IS)やその他の過激派組織に対する作戦の続行を誓った。要は対ISの戦争のどさくさに紛れて、一緒にクルド人勢力たちもやっちゃおうぜ、ということである。この戦争のどさくさ紛れにやっちゃおうぜ作戦はトルコ政府にとって非常に都合が良い。何しろ「対テロ作戦」といってしまえばそれで正当化されるような世の中になってしまっているからだ。しかし果たして、実際にやっていることを見ればどちらがテロ組織なのだろうかと思わずにいられない。放水なんかかわいい方で実弾使って一般市民を殺すことも普通にある。

負傷した男性を担架がわりのテーブルで運び出すデモ隊の男たち
警官隊によって撃ち込まれた催涙ガス弾を投げ返す少年
催涙ガスによる目、喉、鼻の激痛を和らげるために牛乳に似た液体で顔を洗い流す
警官隊の放水攻撃から逃げ惑うデモ隊
デモ隊は放水に対して投石で反撃するが、放水車の力は圧倒的で食らったらまともに立っていられない
道路はバリケードや燃やされたタイヤや家具で塞がれ、この区域はまるで戦場のような緊張感が漂う

もし僕が彼らの立場だったら

 僕がもしクルド人で、日常的にこういった武力弾圧や恐怖による支配、警察による取り締まりや差別を受けたら家族や自分を守るために海外に脱出するということも選択肢の中に入れるだろう。もし友達や親戚が先にとある国に辿り着いて暮らしていたら、なおさら自分もそれに続くだろう。そして一度国を離れたが最後、母国に足を再び踏み入れたら当局に逮捕され投獄される未来しかない者もいる。少しでもトルコでクルド独立運動に足を突っ込んでいたり、警察に目をつけられている者はその可能性が非常に高い。日本政府とトルコ当局も情報を共有しているから日本での活動にも注意を払わなければいけない。故郷に帰りたいがもう20年以上も帰れていないというような人たちも少なくない。
 果たしてこのような状況でも本当にトルコにおいてクルド人に対する弾圧や迫害など存在しないと言えるのだろうか?そして、彼らには命や迫害の危険がなく、難民申請をして認定を受けるのに値しないと言えるのだろうか。一部のクルド人の日本での行動には問題があると思うし、クルド人コミュニティで自浄作用を働かせなければいけないと強く思うが、それは別な話なのでまたの機会に書きたいと思う。
ひとまず、彼らの属するトルコでの扱いについて今回は少し触れておしまいにしようと思う。

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