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大嫌いな「サバの味噌煮」を大好きになった日

昔からサバの味噌煮が好きではなかった。ぼくの中で、ご飯のおかずは塩辛くないといけないという固定観念があって、サバの味噌煮とか、かぼちゃの煮物とか、甘く味付けしたものはどうも好きになれなかった。母のサバの味噌煮が少し甘すぎたことも要因だと思う。

実家の味に飽きた大学時代

ぼくの家庭では、母がフルタイムで働きながらも、毎朝5時に起きて晩御飯の支度をしてくれていた。でも、そんな母の苦労も知らずに、ぼくは子供の頃から、晩御飯がサバの味噌煮の時は、露骨に嫌そうな顔をして食べていた。そして、母はそんなぼくを叱ったりせず「まあいやがらず食べーや」と優しく諭してくれていた。今考えれば、大変失礼なことをしていたと思う。

なんにしても、高校を卒業して、大学生になっても、サバの味噌煮は好きになれなかった。でも、そのぐらいの歳になると、家でご飯を食べる機会は減ってしまう。

引き続き実家で暮らしていたものの、母は料理を朝用意していたので、朝、サバの味噌煮が晩御飯に出てきそうなことを察すると、その日は友達と外食して帰るといった対応もするようになって(今思えば、全くひどい話だけど)、ほとんどサバの味噌煮とご対面する機会は無くなっていた。

ヨーロッパ貧乏旅行

そんな中、沢木耕太郎に影響されたこともあり、大学卒業を前にして、ぼくは、バックパッカーとして、数ヶ月、ヨーロッパを一人で旅した。当時は、今みたいに、海外で携帯電話は繋がらないし、もちろんLINEもない。結構孤独でな一人旅であった。

でもそれよりも何よりも辛かったのは、お金がなかったこと。当初、十分な蓄えで旅立ったはずだったが、ユーロ導入直後の物価の高騰とイラク戦争による円安により、宿代が予定の倍くらいに跳ね上がっていて、一日食事代が5ユーロ(500円)しか確保できない状況になってしまった。

しかも、旅行先はどこも観光地。安い料理を出す店はない。2.5ユーロのピザ一切れとパンを一つ買えるだけ。唯一の助けは、朝食がついているユースホステルで、そこであれば、パンが食べ放題なので、胃に目一杯詰め込むことができた。

でも、お昼はほとんど食べられないので、基本的にはお昼以降は、ずっとお腹をすかしながら過ごしているような状況であった。

リスボンのベンチで

ところが、旅の終盤にたどり着いたポルトガルのリスボンでは、朝食のあるユースホステルがいっぱいで、泊まることができなかった。仕方なく近くにある、朝食なしのドミトリーのホテルに宿泊。翌日は、パンを2つほどしか食べることしかできず、街を散歩していると、当然お昼過ぎにはお腹がぐーぐーなりだして、夕方にはも歩くのも嫌になっていた。

正直、生まれてからその旅行まで、食事が食べられなくて困ったことはなかった。親が帰ってくるのが遅くたって、お菓子を食べればいいし、近所のスーパーでお惣菜を買って食べることができた。おそらく、生まれて初めて本当の「空腹」を味わっていた。

ほとんど動けなくなったぼくは、日が傾き出したリスボンの街角の広場にあるベンチに座り、何をするでもなく、おそらく何百年も変わらない美しい街並みと、反対に青色からオレンジ色に刻一刻と表情を変える澄んだ空を眺めていた。

相変わらず、お腹が何度も鳴る中、突然、脳裏にある料理が浮かんできた。

サバの味噌煮だった。

なぜだか全くわからないけど、その瞬間、ものすごくサバの味噌煮が食べたくなったのだ。しかも、高級店で出るような、洒落たものではなく、母が味付けをした甘いサバの味噌煮である。他の料理を思い浮かべようと思っても、全く出てこない。ただ、ただ、ぼくが大嫌いなはずの、サバの味噌煮が、何度も何度も頭の中に浮かんでくるのだ。

そして、何よりそのサバの味噌煮は本当に美味しそうだった。

結局、なんとかベンチを立って、朝食付きの新しい宿を見つけ、次の日の朝に目一杯パンを食べてお腹を満たすまで、ぼくの頭からサバの味噌煮が消えることはなかった。

母のサバの味噌煮

日本に帰ったぼくは、できるだけ家でご飯を食べるようになった。大学生になって自由に外食するようになり、正直外食の方が美味しいと感じていたのだけど、その旅行以降、あまり外食をしたいと思わなくなってしまった。

サバの味噌煮の話は、母にはしなかった。なんだか照れ臭いし、そもそも、本当に自分がサバの味噌煮を好きになったのかどうかわからなかったから。だから、何も言わなかった。

でもある日、母がサバの味噌煮を出してくれたとき、ぼくはサバの味噌煮を、ぱくぱくと食べ進めることができた。本当に美味しかった。その姿を見て母も、ぼくの変化に気づいたようだ。

母は何も言わなかったけど、ぼくが美味しそうに食べる姿を、嬉しそうな表情でずっと見ていたのを覚えている。

ヨーロッパで得たもの

今思えば、ヨーロッパでは、お金がなかったために、見たいものも見れず、行きたいところにも行けず、散々であったけど、ただ一つだけ、得たものがあった。

母の料理のありがたみが、心からわかったことだ。

ぼくは今でも実家に帰るたびに、母の手料理を美味しくいただいている。

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