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人で傷ついた心は、人にしか癒せない

人との関係に傷ついて、できるだけ人と接触を持ちたくないと思っている人は多いかもしれない。今はそれでも構わないし、無理はしなくていい。でも、いつか時が経てば、また人と繋がる可能性を残していて欲しい

今から10年以上前、学生の頃に、ヨーロッパをバックパッカーとして回った時の本当に些細な経験から「人で傷ついた心は、人にしか癒せない」と思うからだ。

一人旅の寂しさ

バックパッカーの定義はよくわからないけど、大きめのリュックを背負って、ドミトリー(相部屋)のホテルを泊まり歩きながら、ロンドンから最後はリスボンまで旅をしていたので、多分バックパッカーと言っていいのだと思う。

そのいわゆるバックパッカーを自らの望んでしておいて、こんなことを言うのも恥ずかしい話であるが、英語がそれほど堪能なわけでもない中一人で旅をするのは、楽しいのは楽しいのだけれど、それと同じくらいの寂しさがあった。当時は、カメラ付きの携帯電話が流行り出したくらいの頃で、海外に持っていっても通信はもちろんできなくて、街角のインターネットカフェでマイクロソフトのホットメール(WEBメール)を開いて、日本の家族や友人とメッセージをやりとりするしかなかったからだ。

そしてそれ以上に、自分では気付いていなかったが、結構なストレスをため込んでいたようだ。冷静に考えれば当たり前で、現地の人たちとコミュニケーションがうまく取れないし、切符の買い方から宿泊場所の確保まで、とにかく勝手がわからない状態の中、ユーロが高騰して、日に日に旅行資金は枯渇していて焦っているような状況だった。

レストランで傷ついた言葉

そんな中、ある街で列車を途中下車をした時、ガイドブックに書いてあった名物料理が食べたくて、街の中心部まで出かけていった。街でいちばん有名と言われる店を見つけて入ると、その時店はすごく空いていて、カウンターにおそらくアルバイトの高校生ぐらいの男の子が立っていた

ぼくはカウンターに立ち、注文をしようと思ったが、まずはできるだけその国の言葉で注文してみようと、商品名や個数を伝えてみた。しかし、彼はすごく渋い顔をしていたので、英語でお詫びをした上で、今度は英語で注文をしてみた。それまでの旅の経験から、それほどおかしい英語を使ってはいないはずだった。

しかし、彼は呆れたような顔で、ぼくの顔を見て「言葉をしっかり勉強してからもう一度来い」と手振りも交えながらゆっくりと英語で言って、奥に戻っていってしまった。カウンターに残されたぼくはあまりにもショックで、呆然と立ち尽くしてしまった。

そこから、その街で見た風景や食べたもの全て、ほとんど記憶に残っていない。ただ、何一つ良いと感じられなかったように思う。一応の観光を終えて、駅に戻り、列車に乗って、その日に宿泊する予定の街まで移動する間、車窓にはヨーロッパ有数の美しい風景が広がっているのに、街で見たものも、車窓から見えるものも、全てがモノクロ写真のようで、何一つぼくを癒してはくれなかった

そんな状態が数時間続いて、そろそろ陽が落ちかけてきた頃、目的の街に列車が到着した。その街は、海沿いの町で、駅が街と海峡を挟んだ対岸にあるため、列車を降りたぼくは、船に乗って対岸に渡る必要があった。

ガイドブックによれば、列車の切符を持っていれば、その船には無料で乗れることになっていた。だから、持っていた切符でその船乗り場の改札を通ろうとしたとしたのだが、なんと、そこで止められてしまったのだ。

今思えば大したことではない。でも、一人旅の途中で、昼間にレストランで注文を拒否されていた心にはいやに響いた。感情的な気持ちになり、寄ってきた係員になんとなく喧嘩腰に接してしまった。

「これで渡れるはずだ」とにかく英語でそんなことを言っているぼくに、相手はその国の言葉で、おそらく「通すことはできない」といった説明をしていたのだと思う。本来であれば、ガイドブックに掲載されている内容が正しいとは限らないので、相手の指示に従うべきだが、どうしてもその時の心がそれを許さなかった。

夕方の通勤ラッシュなのか、改札前は仕事を終えて対岸に帰る人でごった返していた。バックパッカーのアジア人が駅員と言い合いをしている姿を迷惑そうに見ている通勤客の目線を感じ、ぼくは絶望的な気持ちになった。

そんな中、突然、通勤客の初老の男性が一人、僕と係員のあいだに割って入ってきた。切符をじろじろと見るので、最初はスリか何かと思ったが、どうも様子が違うようだ。ぼくの切符を見ながら、駅員と何かの話をしてくれている。駅員は首を横に振っているのだが、しつこいぐらいに何かを説明してくれている。

5分ぐらい話していただろうか。結局、その切符で改札を通ることは許されなかった。でも、その男性は、ぼくを切符売り場まで案内してくれて、どの切符を買うべきか指差し教えてくれ、笑顔でどこかに去っていった

改札で救われた行動

ぼくはそこで初めて、その男性が困っているぼくを見かねて、駅員との間に立ってくれたことに気がついた。男性は、見ず知らずの外国人のバックパッカーが困っている姿を見て、放っておくわけにはいかないと思ってくれ、自分が乗る船を一便遅れさせてでも、ぼくを助けてくれたのだ。その瞬間、昼間の名物料理店からずっと続いていたモノクロの世界が、突然カラーに全て戻った

それまで怒りしか湧いていなかった昼間の店員に対して「もしかしたら毎日毎日観光客の相手をしていて疲れていたのかもしれない」、もしくは「直前に店長にしかられて、落ち込んでいたのかもしれない」そんな考えすら浮かび出した。

そう、全て救われた気がしたのだ。

気持ちが晴れた後、海峡を渡る船の上から見た海に沈む夕日は、それまでの旅で見たどんな景色よりも美しく感じた。

人を再び好きになれる条件

こんな単純で、些細なことで、大きなことを言うべきではないのかもしれない。でも、ぼくはこの時の経験で、人が嫌になった人が、再び人を好きになるには、どんな美しい景色もどんなおいしい料理もきっと役には立たない、かならずまた人と接するしかないと思うようになった。

そう「人で傷ついた心は、人にしか癒せない」と思うのだ。

だから、今すぐにでなくてもいい。でもいつか再び人と接することを恐れないで欲しい。


#8月31日の夜に

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