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『屠場』 エステバン・エチェベリーア 19世紀のラテンアメリカ文学

作家の肖像が、写真ではなく絵画…。
19世紀アルゼンチンの作家、エステバン・エチェベリーアの『屠場(とじょう)』を読みました。

ラテンアメリカ初期の、重要な短篇小説のひとつとされているらしく、1838年の作品とのこと。(ちなみに、アルゼンチン独立が正式に認められたのは1816年。それからたった二十数年後に書かれたのが、この小説…というわけです。)

※ネットで調べた時には、1840年の作品だとしているサイトもいくつかありました。詳しいことは分かりませんが、どちらにしても今から180年以上前の作品です。

訳者は、相良勝。
野々山真輝帆[編]、彩流社『ラテンアメリカ傑作短篇集 中南米スペイン語圏文学史を辿る』(2014)の冒頭に収められています。
エチェベリーアの作品自体、2014年のこの本で、初めて邦訳されたのだそう。


それではまず、これから『屠場』を読もうと思っている方々に向けて。

「作品自体の完成度」に期待するというよりは、「ラテンアメリカ文学史の源流を探る」…という楽しみ方をしたほうが良いと思います。

これを、ガルシア=マルケスや、ボルヘスの作品などと比較して、「稚拙だ」「つまらない」と言ってしまうのは非常に簡単なことです。
ただ、それでは初めから読む意味が無い。

「稚拙さ」は、むしろ黎明期特有のものとして、「読みにくさそのものを楽しむ」。というのが賢明かな…と。

そうやって読めば、むしろ「あ、ここの言い回しは好きかも」とか「ここは臨場感があるな〜!」という風に、褒めポイント(偉そうですが笑)も見つけやすいはずです。

その時代の空気感を実際に想像しながら読んでいく努力が、読者には求められると思います。

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挫折ポイントは、物語の内容が、当時のアルゼンチンの社会・政治情勢と深く結びついているということ。

『屠場』の書き出しを引用してみます。

“私が語ろうとするのは歴史である。しかし、手本とすべき古のスペインの歴史家たちが、ラテンアメリカについて述べるときに慣例としてきたように、ノアの箱舟とその先祖の系図から説き始めるようなことはしない。(中略)ただ一八三〇年代の出来事である、とだけは記しておこう。さらに一言、四旬節のブエノスアイレスで、牛肉が不足する時期のことであったと。”

こんな感じ。
語り手はおそらく作者自身。そして彼が語ろうとしているのは、“歴史”。それも、聖職者が語るような歴史ではなく、「ブエノスアイレスにおける、ほんとうの歴史を語るのだ」というような、気概が感じられます。

…であるならば、その歴史を最初から分かりやすく説明してくれたらありがたいのですが、エチェベリーアも、まさか21世紀の日本人を読者としては想定していなかったのでしょう。最初から、アルゼンチンの当時の状況をある程度理解していないと、物語には入り込みづらいような構造になっています。

(「連邦派」「中央集権派」といった、僕たちからするとあまり馴染みのない、政治的な用語が使われていて、それが物語の主題にもなっていきます。)

実際、僕は19世紀のアルゼンチンの歴史、政治的状況にはまったく詳しくなかったので、かなり苦労しました。

そのぶん、この作品をキッカケに色々と調べ始めたので、皆さんの挫折ポイントを軽減するために(嘘です。僕自身の備忘録のためでした…笑)、最低限これが分かっていると読みやすい!楽しみやすい!という、前提知識をこれから書いていこうと思います。

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《19世紀前半、ざっくりとしたアルゼンチンの歴史》

スペインから独立したアルゼンチンでは、その後の国づくりの方向性を巡って「中央集権派」と「連邦派」が対立することになります。

「中央集権派」は、ブエノスアイレスを国の首都として定め、そこを政治の中心地にしようとする立場です。
牛肉の生産が盛んなアルゼンチンでは、その輸出が経済的にとても大切。港町であるブエノスアイレスは、貿易の上でも非常に重要な土地になります。
「中央集権派」は、その特性を活かそうと、移民を積極的に受け入れたり、自由貿易的な経済政策を打ち出したりしました。
これによって、ブエノスアイレスは豊かになり、そこではいわゆる〈富裕層〉もうまれてきます。

一方、地方では貧困が拡大。失業者の増加も社会問題となりました。困窮した地方勢力は、「中央集権派」の掲げる〈ブエノスアイレス主導の独立運動〉を阻止するために同盟を結びます。
それによって誕生した組織が「連邦派」です。

「中央集権派」は、とにかくブエノスアイレスに政治的な権力を集中させようと、政教分離的な思想も掲げたために、〈教会権力〉とも対立していくことになります。

結果的に、教会側も味方につけた「連邦派」の代表、ロサスが1829年にブエノスアイレスの州知事になり、政権を築きました。
(その頃は「いわゆる首都」を設定せず、地方分権主義的に国家運営をしていたそうです。)

三年後、いったん州知事を辞したロサスですが、私兵団〈マソルカ〉を率いて、自身が「敵対している」とみなした約六千人の先住民を虐殺したりと、のちの独裁体制を匂わせるような攻撃性を発揮します。

自分の後任だった連邦派議員が、自由主義に傾倒し始めると、ロサスの妻が主体となり革命を決行。1835年に、ロサスは再び州知事となり、反対派を厳しく弾圧する、独裁体制をしくことになりました。

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…と、まあこんな感じ。
うーん、やっぱり簡潔に説明するのは中々難しいですね。

ともあれこれでようやく小説の話へ。

エチェベリーアは、ロサス政権や「連邦派」による暴力的な独裁体制を、この『屠場』のなかで明確に非難しています。

“その当時、連邦派政府はいたる所にあった。屠場の汚物の中にさえあったし、(後略)”

文の切りどころが悪い引用になってしまいましたが、でもこの「連邦派政府は“屠場の汚物の中にさえあった”」という言葉が、とにかく僕の中では強烈に響きました。

それでは、ここからあらすじを交えつつの感想を。ネタバレを含みますので、嫌な方はここまでにしておいてください。
(ただ正直、この作品に関しては、ストーリーの全体像が分かってからの方が読みやすいかも知れません。)


物語の冒頭。カトリック教会によって、信者(彼らは同時に連邦主義者でもある。)たちに断食が命じられた時期と重なって、大雨が降ったため、町中が被害を受けます。
聖職者はそれを「不信心な中央集権派による罪のせいだ」として、人々の不安や憤りを煽る。
そして水害は止む気配すらありません。

煽られた人々は、「中央集権派」を憎み、殺してやりたいような気持ちになっていきます。しかし、市民の飢餓状態が続いていくなか、肝心の聖職者や、ロサス本人を思わせる〈“復興者”〉は、何故か牛肉を口にする権利が与えられていたりするのです。人々はそこに対しては疑問を抱かずに、ただただ「中央集権派」への恨みを膨らませていきます。

そして舞台が「屠場」(つまり牛を殺して食肉用に解体する場所)に移ると、その血生臭い場所が「アルゼンチン社会全体の縮図」として提示されます。
ここで描かれるのは、牛肉を盗みに来る貧しい女や子ども、腹を空かした犬や鳥たち。それぞれが喧嘩しながら盗り合いをしています。それを追い返そうとしたり、罵倒したりする解体人や屠畜人たち。
面白いのは、その場でいがみ合っているはずの彼ら全員が、「中央集権派」を憎む気持ちだけは共有していること。

“下卑た言葉、笑いを誘う卑猥な叫び声が口から口へと次々に飛び出してきた。(中略)
「中央集権派のように強情張りで無愛想なやつだ」
この魔術的な言葉を耳にするや、全員が一斉に声を張り上げた。
「くたばれ野蛮な中央集権派のやつらめ!」と。”

また少し場面が移り、逃げた牛を捕まえようとするシーンになります。ここでは、先ほど小競り合いをしていた子どもの首がちょん切れたりするようなグロテスクな描写も出てきます。
入りこめる人は、このあたりの語りが入り込みどころです。(グロさに、どこか「つくりものっぽさ」を感じてしまい、萎えてしまった人には、残念でした…としか言いようがありませんが。笑)

物語の終盤、屠場から大分離れた場所で牛を捕まえた一行は、帰路で「中央集権派」だと思われる青年を発見します。
彼らは一行の中で、もっとも喧嘩が強い男をけしかけて青年を捕縛し、拷問にかけて憤死させるのでした。

“こうして連邦派の者たちは、数知れぬ彼らの偉業の一つに終止符を打った。
その当時、屠場の肉の解体人と屠畜人は、ロサス派の連邦主義をムチとナイフで広める伝道者であった。(中略)つまるところ前述した一件で明らかになったように、連邦派の中心は屠場にあった、ということである。”

この語りで、作品『屠場』は終わります。

小説として興味深いな〜と思ったのは、いわゆる「ひとりの主人公」が存在しないということ。あえて言うならば「主人公」は群衆であり、社会であり、歴史そのものだったのです。

そういう面では、後のラテンアメリカ独裁者小説の金字塔、ミゲル・アンヘル・アストゥリアスの『大統領閣下』も、冒頭部のストーリーでは主人公が判然としないようなところがあり、その原形と取れなくもないような構成が、この『屠場』の中にちらりと見えるかも知れません。

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フランスのパリでも四年間過ごしたエチェベリーア。おそらく18世紀末のフランス革命的な思想、王政や教会権力に対するアンチテーゼとして生まれた啓蒙思想などにも触れていたと考えられます。

実は、この『屠場』が書かれたのは、ロサス政権真っ只中。(ロサス政権は1852年まで続きます)

にも関わらず、ロサスのことを、鉤括弧つきで〈“復興者”〉と皮肉りながら、語りを進めていくあたりにも、エチェベリーアの反骨精神が伺えます。

独裁者として恐れられたロサスですが、実はこの小説が書かれたあと、1840年代になると、イギリスやフランスからの軍事干渉を防いだりと、後世では再評価されている側面もあったりはするようです。

あ…。そういえば、この『屠場』では、場面場面でイギリス人が揶揄されたり、酷い目にあったりします。

カトリック的な思想と、聖公会(イングランド国教会)的な思想がバッティングしている…という面もあるかも知れませんが、実は1828年に、イギリスの後ろ盾で、アルゼンチンからウルグアイが独立してしまった…。という過去もあったらしく、当時のアルゼンチン人は英国人に対してどこかやり場のない怒りや、敵意を持っていたのかなあ…と、勝手に想像してしまいます。

物語は、そういう複雑な感情を発散する手段としてもあったのかも知れませんね。


普段のように、「小説作品そのもの」だけを読んで楽しむ…ということが難しい作品だったからこそ、理解できると面白かったり、学びになることが沢山ありました。

この『屠場』が書かれて以降、19世紀後半になると、アルゼンチンの識字率はラテンアメリカでもずば抜けて高くなり、富裕層だけでなく、中間層にも読書が行き届くようになります。今やアルゼンチンの読者は、世界でもっとも目が肥えている…なんて評価もされているのだとか。(参考 : 寺尾隆吉『ラテンアメリカ文学入門』2016、中公新書)

そのような地で最初期に書かれた短篇小説を、最近の日本語訳で読むことができたのは、幸運なことでした。

研究者みたいに、ずっと文学史上の重要作品を追っていって…みたいなことは流石に出来ませんが、僕もたまには、こういう読書の仕方をしてみるのも良いなあ…と思ったのでした。

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