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OCTOBER SKY -遠い空の向こうに-

2021.10.10
Bunkamura シアターコクーン


〜夢を叶えられなかったすべての人へ〜
上演台本・訳詩・演出された板垣恭一先生の言葉


⚠️以下、ネタバレと感想


ソビエトが打ち上げた人工衛星スプートニクが、街の上空を通過する。

ソビエトとアメリカの冷戦で、夢や希望を持つことが叶わなかった時代に、1人のアメリカ人の少年を変えた大きな出来事。

今まで何もやりたいこともない、なにも取り柄もないことにフワフワと生きてきたホーマーが、ロケットを作ることを夢見る。
炭鉱の街で生まれたから炭鉱夫になる。それが当たり前な世界。でも、自分がやりたいことを見つけて、活力がどんどんみなぎっていく姿は青春そのもの。大好きなパパに反対されて、一度はロケットから身を引こうと決意したけど、やっぱり初めてロケットを見た時の胸の高鳴りを忘れられないし、初めて自らやってみたいと夢中に取り組んできたことであったし、自分の成功で町の人たちも笑顔になってくれる、ホーマーにとってロケットはかけがえのないものとなっていた。

でも、パパが怪我をして誰かが炭鉱で働かなくちゃいけないってなった時にはホーマーがやるって言って。炭鉱で働くホーマーを見て、パパが誇らしげにホーマーを語るようになった。自分の仕事を息子がやってくれる、受け継いでくれる。それはパパとしては純粋に嬉しいだろうけど、ホーマーの本当の気持ちは尊重されてる?炭鉱でしか認めてもらえないの?というママの怒りが息子への愛に溢れていた。ママはお兄ちゃんにもホーマーにも変わらない愛で見守ってくれていた。
でも、パパが単に悪いって話じゃない。炭鉱夫の息子も炭鉱夫。肉体的に強いものが評価される。そういうのが普通だった社会。社会や集団は時に人間を貧しくさせる。パパは固定概念に囚われてしまって、頑固になって、自分とは違う息子の選択が理解できなかった、ちゃんと向き合おうとしなかった。一個人として、その人と関わっていく大切さ。共に愛するが故にぶつかってしまう。なんとも不器用な父子の関係に、パパのことも、ホーマーのことも愛してくれてるママの支えの大きさが心に響いた。

夢見て、閉ざされてを繰り返す。情熱に満ちていてかつ脆い少年には、大人たちの支えが必要不可欠であることを感じた。
ホーマーたちをずっと支えてくれた、ライリー先生が「ロケットの導火線に火をつけ続けることが大切」なんだという言葉。上手く打ち上がるかはわからないけど、成功を祈ってワクワクするその瞬間を繰り返すこと。失敗しても、次こそはと何度でも立ち上がること。それが大事なんだと。その言葉がどれほどホーマーを勇気づけたか。

ホーマーが仲間のためにロケットを作らないと!って思いをパパにぶつけるけど、炭鉱がストライキ中で今動くことはできないって、炭鉱か家族を選択せざるを得ない状況で、炭鉱を選ぶならママは完全にパパと縁を切ると言い切ったママの覚悟の強さ。本当に大切なものは何だろう?と問われる。

どんなに失敗して、立ち上がって、夢を追い続けること。自分の力だけでは成功はできない、弱さを知って、周りの助けに支えられてるからこそ、前を向くことができる、その感謝の気持ちを忘れないこと。人間関係において、どんなに間違っても、愛によって人は変われること。階層社会や偏見的思想はいつの時代も存在するけど、何が自分を窮屈にしているのか、なにが大切なのかを考えて、視野を広げて考えていくこと。いろんな立場でいろんなメッセージがあった作品。

ホーマーのように、突然夢中になれるものができるかもしれないし、ロケットボーイズのように、ホーマーに巻き込まれる形でどんどん熱中していくこともあるかもしれないし、ライリー先生のように、自分の夢は閉ざされてしまったけど、夢への可能性を秘めた若い子を支える身となることもあるかもしれない。

心を熱くできる何かを応援していきたい。
夢を叶えたいと思っている人を応援していきたい。
心温まるヒューマンストーリーだった。


映画版ホーマーの好きな子いるけど、ヒエラルキー上層部に敵わない苦しみだとか、友達のパパを不謹慎にイジっちゃう弱さだとかそういうのなくって、ミュージカル版は何も属してない故のピュアさが強く感じたし、彼女おったし、彼女は夢を追うことでホーマーが離れていくかもしれないけど、彼を応援する強さがあって、映画版は人間のどろっとしたところがあってそこも含めて好きだけど、ミュージカル版は全体的にキラキラしてるなぁ〜って印象。それぞれが持つ違いの良さ。

ミュージカル版のオデルのテンションがめちゃくちゃ高いのは、無残な死を遂げた父親への悲しみを隠している深層心理なのか?だとかも思った。
個人的にテニミュ3rd立海の柳蓮二役だった井澤くんが、違う舞台で見れたこと、しかもアミューズの子と共演してることが嬉しかった。テニミュの子達も2.5次元だけに留まらず、いろんな場を踏んで成長していく姿を今後も見ていきたい😊

以下、ハンサムレポ。

るいるいは、甲斐ホーマーのお兄ちゃんと、炭鉱夫もやってて、あの磨かれた筋肉でどこにいらっしゃるのかすぐわかるの流石でした💪✨
是非、るいるいを探せ!をやってみてください。すぐわかって笑顔になれます😊
その体格を生かした役柄で、まさに1950年代アメリカの学校におけるヒエラルキーの象徴、納得の体格。階層社会がとてもわかりやすかった。

那由他さんのクエンティンは、最下層で生きてて、周りに馬鹿にされながらも、自分の武器である勉強に熱中してて(友達もいなくて1人だったから、それをすることしか何もなかったともいえる)、それが学校で生きぬくための彼が見出したものであって、学校の授業でも誰も先生の問いを聞いてないけど、クエンティンは立ち上がってハッキリと答えることができて、そんな彼に強さを感じた。最下層であることを自覚して、自分を卑下して、甲斐ホーマーが声かけた時も「僕と話してていいの?」って、周りから愛されなくても、誰かに優しく出来る。映画版のクエンティンは学校の馬鹿どもを見返してやるぜっていう皮肉さがあった(それも良い)けど、那由他クエンティンは優しさも感じた。そして、「誰か僕を最下層から連れ出して」っていう声が私には聞こえた。
頭が良いけど、それをどう使ったらいいのかわからない。この階層社会で、自分はどう動けばいいのかわからない。ホーマーが「ロケットについて教えて」って声かけてくれたのは、クエンティンにとって、1人では踏み出せなかったキッカケとなり、支えとなる仲間、希望だったに違いない🥺


甲斐ホーマーはひたすら可愛い、キラキラの少年心が青くて、美しかった。
ロケット作りたくなった甲斐ホーマーが、本で得た知識で集めた道具を木箱に入れて、食卓に、家族の前に、みんなの目を伺いながら、コソコソっと木箱を持ってくる(時に木箱蹴ってる)ところがめちゃくちゃ可愛い。そして「ロケットが作りたい!」って目をキラキラさせて大発表して、相手にされずにサラッと流されるけど、ご飯もろくに食べずにサササッとロケット作りに熱中しちゃうのも可愛い。
自分だけの力じゃダメだって気づいた時に、大人に力を貸してもらう時が可愛い。
「パパが僕の話を!?」と嬉しそうに言うの可愛い。パパの関心はいつもアメフト上手な体育会系のお兄ちゃんだったから、自分のことを話題してくれただけでも嬉しい。何ものでもなかった自分が、ロケットに夢中になって、そうしたらパパが僕に振り向いてくれるかもしれないって。そう思ってたんだろうなって思うと、やっぱり可愛い。
てか、パパママ呼びするの可愛い。
パパにロケットはもうダメだ!って言われて、パパの言う通りにしようとするんだけど、ロケットボーイズの自称:3馬鹿だけじゃ作れないのも分かってるから、ここどうするんだ?ってのに、どうしても関わりたくなってムズムズしてるの可愛い。可愛いからついつい応援したくなっちゃうそんな甲斐ホーマーでした😊

終演後に偶然巧海くんを見つけたことも良い思い出でした✌️


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