見出し画像

ジェネレーションギャップこそが創作の伝説感のスパイスなのかもしれないという話。

親と同じくらいかさらに上くらいの方のnoteの記事がおもしろいということ。薄々そんな気がしていたけれど、たぶん気のせいじゃないと思う。もちろん、ブログやSNS慣れをした世代ではないにもかかわらずやっているから腕に覚えがあるというのもあると思うのかもしれないけれども、それだけではないかもしれないというお話。

それって本当に「思い出補正」なんだろうか?

あまりリアルでは聞いたことないので、ネット用語だとおもうのだけれども子供の頃に見た漫画や映画、そしてゲームなどがおもしろかったという話につきまとう「思い出補正」という言葉。

実は大した作品ではなかったのだけれども、思い出での面白かった記憶がスパイスになって、面白く感じると揶揄する言葉なのだけれども、実はそれだけではない気がしていて。

というのも、私も結構良い年齢になってきて、漫画家にしろゲームプロデューサーにしろ年齢がどんどん近づいて来ている。ゲームプロデューサーに関していえばそれでも私よりは上かもしれない。でも漫画家に関していえば今活躍中の方達は、もう年下だって多いかもしれない。そんなお年頃なわけですが。

今時の作品がおもしろいかおもしろくないかと言われたら面白いっちゃ面白いんです。でも、彼らが意識的、無意識的にしている過去作からのオマージュって私も通って来てるものがだんだん増えて来ているというか、引き出しとしてこういうの感動した!みたいなシチュエーションであったり、設定だったりがどこかで見たことあるものばかりになっちゃってるんです。キャラデザインしかり。ヴァリエーション自体はとてつもなく増えているはずなのに、「あーどっかで見たな」って思っちゃう。

私が子供の頃の方が作品数は絶対的に少なかったはずなのに、最近の作品の方にこそ、そう感じちゃうわけです。それって、実は子供時代みた作品は作家のジェネレーションギャップによって生きて来た時代が違うから、私が見てない作品などのエッセンスしか含まれていなかったからなのではないかと思う部分もあったりして。

伝説は、自分の非日常的なカルチャーギャップから
しか生まれないのかもしれない

子供の頃読んだマンガ、昔話、ファンタジーもののRPGや映画。どれをとってもちょっとした伝説感があった。

自分と違う時代に生きてきた人というのは言うなれば日本人であっても自分とはちょっとだけだけど違う文化の中に生きてきたから、外国人とまでは言わないけれども、ちょっとだけ違う常識の中にいる。

文化と括ってしまうと、日本の文化って数十年じゃ変わらないだろうと思われるかもしれないが、サブカルチャーと言って見たらどうだろう?規範としての文化は共有しているけれど、同世代でもサブカルチャーが違う人はときに別世界の人に見えたりする。世代が違えば、たとえ親であっても通って来たサブカルチャーはおのずとちがってくるため、ほぼほぼ違うサブカルチャーを持っている人だと思ってもらっていいと思う。ただ、世代が違っても同じサブキャルチャーを追っていたり、そこはたまたま好き!とかあれば、仲良くしやすいというのはもちろんあるし、年齢に関係なく仲良くできたりするのだけれども。
ちなみに外国の方でもメインカルチャーは全く違っても似たようなサブカルチャーを持っている人はサブカルチャーが違う日本人よりも話が合いやすい。当たり前だけれども。

伝説は日常であってはいけない。だからこそ日常の感覚を共にする人の作品からはなんとなく感じづらいのだ。ものすごく残念なことに私が好きなジャンルを描き出す作家は私と同じジャンルのサブカルチャーにどっぷり使っている可能性がものすごく高い。下手すると似たような生活すら送っているかもしれない。
だから、異世界のような非日常を描いたものですが、言語的なところなのか感性的なものなのかわからないけれども、何かわからないけれどもどうしても日常を感じてしまうのだ。

それに対して、世代の違う方の書いたものには、サブカルチャー自体も違ってさらに生きている時代も違ったりする。だからこそ非日常感が増し、たとえその人の日常の話であってもどことなく異世界、どことなく違う感性が感じられるからおもしろいのかもしれないと思ったりするのだ。

同時に、もしかしたら、電子書籍化やストリーミングサービスが進んでいる今だからこそ自分が子供の頃に親世代やもっと上の方がおもしろいと思って見ていたものなんてみるのも発掘してみるのもおもしろいかもしれない。もしかしたら、伝説を感じられるような、ものすごく面白い作品が見つかるかもしれないなんて思う。

投げ銭めちゃくちゃ嬉しいです!が、拡散はもっとうれしいよ✨ということで是非Twitter拡散よろしくお願いします!