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えねえちけえ

奥渋谷とよばれるあたりを歩いていると、通りすがった女性二人組のどちらかが「エヌエイチケイの...」と言うのが聞こえた。
これからNHK方面に向かうのかな?NHK近辺のお店のことを話題にしているのかな?
そのどちらでもないかもしれないけれど、いずれにせよ、これほどまでに明瞭に「エヌエイチケイ」と発音する人がいるのか、と感心した。

私にとってNHKは、長らく「えねえちけえ」だった。今も、NHKを「エヌエイチケイ」と読むことに、どこかしっくりきていない。

母が「えねえちけえ」と言っていたのを幼い頃からずっと聞いていたからなのだ。母が「えねえちけえ出身のアナウンサーだから、すごい」「えねえちけえのドラマで主役をしたてたから、この子売れるはず」などと、よく言っていたものだから、えねえちけえというのは、とにかく信頼できるものなんだなと子供ながらに思ったものだった。


そんなことを振り返っているとき、
私は江國香織さんの短編集『すいかの匂い』におさめられている『ジャミパン』を思い出した。
私の母も、「ジャムパン」というよりは「ジャミパン」に近い発音をしていたように思う。


この物語は

母は、あんぱんやクリームパンにくらべてジャムパンを格下のように考えていて、軽蔑をこめてジャミパンと呼んだ。

と始まる。
それでいて、「母」はジャムパンを嫌いというわけではなく、よく買ってきては「私」に「食べる?」と聞いて、そのこたえに関わらず半分わけてくれるのだった。

「私」には「はじめから」父親がいなく、”父親が要るときには、信一叔父(「母」の弟)でやりくりをするように”と「母」は私に言う。

事実、私はちゃんとやりくりをした

のだった。

「母」は美人でもないのによくもてた。

もし、男の人の興味をひきたいのなら、結局のところ、問題なのは美人かどうかということではなく、美人らしくふるまうかどうかなのだった。

ということを「私」は学んだ。

「母」は恋人が出来ると「私」に気をつかうことなくデートに出かけていく。そのうち、父親代わりの叔父が結婚することになり、その婚約者と会ったとき、彼女が母より美人でないことに「私」は安心する。

「私」が「たいした女じゃないね」と「母」に言うと、
「そんなことを言うもんじゃないわね」と

まるでどこかの良識的なお母さんみたいに

言うのだった。

叔父の婚約者とその両親と顔合わせの食事会でお寿司を食べた帰りに
「母」はジャミパンを買った。
そして、いつものように「食べる?」と「私」に聞く。
「私」はおなかいっぱいと断ったけれども、「母」はかまわずジャミパンを半分に割ってかじるのだ。

たいした女じゃないじゃない。
母の顔がたしかにそう言っていた。

のを見て「私」は苦笑するのだった。

と、あらすじだとこうなる。これだけをを聞いたら「何?この母娘、性格悪い?」と思う人もいるかもしれないし「だからなんだんだ」と言う人もいるかもしれない。

だけど、私はこの物語がお気に入りなのだ。


結局のところ、この物語で何が起きたか、などは私にとってそれほど重要ではなくて、この世界をのぞいたときの「なんかわかる気がするその感じ」が好きなのだ。


『ジャミパン』に出てくるお母さんも、「えねえちけえ」と言ったんじゃないかな。

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