ウサ吉

ウサ吉と申します。 史跡・名所、乗り物、グルメの記事を書いていきます。

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最近の記事

歴史好きが訪ねた、武田信玄公の世界! 其の一

はじめに 皆さんご存知の甲斐の武田信玄公(武田大膳太夫信濃守源晴信入道信玄公:たけだだいぜんだゆうしなののかみみなもとのはるのぶにゅうどうしんげんこう)は、諱(いみな:本名のこと)を武田晴信といいます。 信玄とは得度(とくど)後の法名です。 甲斐源氏の第十九代当主であり、武田氏十六代当主でした。 今回は武田信玄公についてお話させていただきたいと思います。 尚、ここでは基本的に「武田信玄、或いは信玄」と尊称を付けずに記しますことをご了承いただきたく予め申し添えます。 一、

    • 特急宗谷で稚内への旅

      北海道旅客鉄道特別急行宗谷(そうや)は札幌から最北の稚内(わっかない)をつなぐ列車です。 07:30札幌発の宗谷に乗るために、ホテルの朝めしを食べずに札幌駅宗谷発番線にあるそば屋兼駅弁屋で、名物で一番の売れ筋「海鮮えぞ賞味」を買い込んで乗り込みました。 駅弁は駅弁たるべくして存在していると思うのです。 電車の中で走る車窓に時々目をやりながら駅弁を食べる。 その駅弁の味は格別で、冷めているのに温かい、そんな感じがするのです。 北海道の広大な原野をひた走る宗谷本線、ずっと続く原

      • 歴史好きが訪ねた、長谷川平蔵の世界!

        池波正太郎先生の小説『鬼平犯科帳』の主人公 長谷川平蔵宣以(はせがわへいぞうのぶため)、実在したこの「鬼平」について改めて筆を執りました。 ここでは、宣以の父 長谷川平蔵宣雄(はせがわへいぞうのぶお)も同じ平蔵が通称なので、それと区別するため宣以を「鬼平」とします。 長谷川家は幕臣(徳川家の家臣)、将軍御目見(おめみえ:将軍と直接会うことが出来る身分)の旗本(徳川家直属の家臣)でした。 長谷川平蔵家は、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)系長谷川氏の分家筋でした。 中臣鎌足(なか

        • 小説『鬼平犯科帳/山吹屋お勝』の舞台を散歩

          はじめに長谷川平蔵の実母の実家、巣鴨村の大百姓、三沢仙右衛門は平蔵の従兄にあたり、今年55歳であり、妻を亡くして独り身。 ところが最近、王子権現近くの料理茶屋「山吹屋(やまぶきや)」の女中「お勝(おかつ)」に恋をしてしまい「嫁にする」と言い出してきかない。 これに困り果てた仙右衛門の長男「初造」が清水門外の役宅に訪ねてくる。 平蔵は相手によっては仙右衛門の味方になろうと考え、お勝を見定めに「山吹屋」へ出かけた。 接客に現れたお勝の何気ない動作が気になり、調べてみようと密偵「関

        歴史好きが訪ねた、武田信玄公の世界! 其の一

          小説『鬼平犯科帳/密偵』に登場する『一膳めし屋・ぬのや』推定地を散歩

          小説「鬼平犯科帳」では、下谷坂本町三丁目に、元盗賊「青坊主の弥一」が店主をつとめる「ぬのや」があったとされています。 火付盗賊改方の密偵としてはたらく傍ら、一膳めし屋「ぬのや」の店主をつとめていました。 ここは、現在の東京都台東区下谷一丁目から二丁目の場所です。 今では坂本町という地名はなくなってしまいました。 この界隈は商家が建ち並び、中小の寺院も点在し、金杉村も隣接した風光明媚な場所だったと思われます。 また、水野主水(みずのもんど)、諏訪因幡守(すわいなばのかみ)、戸田

          小説『鬼平犯科帳/密偵』に登場する『一膳めし屋・ぬのや』推定地を散歩

          小説『鬼平犯科帳』に登場する『飯倉神明社』を散歩

          小説『鬼平犯科帳』に度々登場する飯倉神明社、またの名を芝神明社と称します。 ここは、東京都港区芝の増上寺門前、現在の芝大神宮のことです。 江戸時代は増上寺の境内にありました。 浜松町駅から増上寺に向かった大きな交差点辺りから一帯が増上寺の境内でした。 それはもう多くの参拝客で賑わっていたのです。 その当時は飯倉神明社、飯倉神明宮と呼ばれていました。 起源は古く、社伝によると平安時代一条天皇の御世、寛弘二年(1005年)とあります。 明治時代に東京府社となり、呼び名が芝大神

          小説『鬼平犯科帳』に登場する『飯倉神明社』を散歩

          小説『鬼平犯科帳/迷路』に登場する『旗本・河野吉十郎の屋敷』推定地を散歩

          長谷川平蔵の長女「初(はつ)」の夫、西丸御番頭 河野長十郎実通の長男、河野吉十郎広通の屋敷が芝愛宕下(現 東京都港区西新橋三丁目)付近にあったとされています。 吉十郎は寛永五年(1793年)8月9日六百五十石の遺跡を継ぎました。 ちなみに、東京都港区赤坂の専福寺に子孫の墓があると記されています。 ただ、古地図の愛宕下界隈に河野家の屋敷は見当たらず、実在したのかどうかは分からないのです。 しかし、実際、旗本に河野氏は存在しているので、その河野氏と同じなのか否か、調べましたが判

          小説『鬼平犯科帳/迷路』に登場する『旗本・河野吉十郎の屋敷』推定地を散歩

          小説『鬼平犯科帳/春の淡雪』に登場する『西の久保八幡宮』を散歩

          小説『鬼平犯科帳』に登場する神社です。 登場すると言ってもほんの一瞬なので、ご記憶にある方は少ないのではないでしょうか。 芝・西久保は、現在の東京都港区虎の門五丁目、地下鉄神谷町駅付近にある神社です。 この神社が建っている小山の中腹には縄文時代の遺跡が発掘され、貝塚も発見されているそうです。 縄文時代には、今よりもずっと内陸部まで入江が入り込んでいたのでしょう。 御祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、帯中日子命(おきのかつ

          小説『鬼平犯科帳/春の淡雪』に登場する『西の久保八幡宮』を散歩

          小説『鬼平犯科帳/鯉肝のお里』に登場する『密偵・五郎蔵とおまさの仮住まい』を散歩

          小説『鬼平犯科帳』に登場する密偵の「大滝の五郎蔵」と「おまさ」の仮の住まいは京橋南・柳町にあったとされています。 現在の東京都中央区京橋あたりです。 「大滝の五郎蔵」は盗賊のお頭だったという男で、且つての手下や盗賊仲間からも信任が厚く、密偵になってからも長谷川平蔵はじめ、与力・同心、密偵仲間からも厚い信頼を得ていました。 この役を俳優の綿引勝彦さんが演じられていました。 また、梶芽衣子さんが「おまさ」を演じておられ、お二人とも原作のイメージにピッタリでした。 他の配役の皆さ

          小説『鬼平犯科帳/鯉肝のお里』に登場する『密偵・五郎蔵とおまさの仮住まい』を散歩

          小説『鬼平犯科帳』に登場する『料理屋・万七』を散歩

          小説『鬼平犯科帳』には食べ物や食事の描写が沢山出てきます。 これは偏に池波正太郎先生の食に対する強い思い入れがあるからに他なりません。 その証拠に池波作品にはそこかしこに食べ物のことが描かれています。 映画「仕掛人・藤枝梅安(豊川悦司さん)」にも登場する「万七(まんしち)」、この映画では藤枝梅安が幼い頃に生き別れとなっていた妹「おみの」が女将として切り盛りしていました。 主人の後妻として女将の座に居座っていました。 そして、藤枝梅安自らの手で「おみの」を仕掛けてしまうのです

          小説『鬼平犯科帳』に登場する『料理屋・万七』を散歩

          小説『鬼平犯科帳/老盗の夢』に登場する『鎌倉河岸』を散歩

          小説『鬼平犯科帳』の「老盗の夢」などに登場する鎌倉河岸(かまぐらかし)を散歩しました。 火付盗賊改方密偵の小房の粂八は、板新道の裏長屋に住んで、鎌倉河岸に屋台を出し、市中の情報収集にあたっていた、と記されています。 鎌倉河岸は現在の日本橋川の北側、千代田区内神田の鎌倉橋付近一帯をいいます。 江戸城築城時に鎌倉から石材をここで陸揚げしたことに由来します。 鎌倉河岸は江戸城本丸に近い荷上場であったため多くの物資が荷上げされました。 隣接する町は鎌倉町(かまくらちょう)と名付けら

          小説『鬼平犯科帳/老盗の夢』に登場する『鎌倉河岸』を散歩

          小説『鬼平犯科帳』長谷川平蔵の妻・久江の実家『大橋与惣兵衛親英の屋敷』を散歩

          久栄の父は、大橋与惣兵衛親英(おおはしよそべえちかふさ)といい、実在の人物です。 注釈:小説上では「ちかふさ」→「ちかひで」と記されている。 大橋与惣兵衛親英は、二百俵取りの旗本で、幕府の御船手頭(おふなてかしら)でした。 大橋与惣兵衛の父は、黒田左太郎忠恒(くろださたろうただつね)、母は大橋与惣右衛門親宗(おおはしよそえもんちかむね)の娘でした。 親宗も親英も同族で、本家(二千百二十石でしたが絶家)は肥後山本郡大橋(現在の熊本県)の出で、家康以来の幕臣でした。 大橋家は、

          小説『鬼平犯科帳』長谷川平蔵の妻・久江の実家『大橋与惣兵衛親英の屋敷』を散歩

          小説『鬼平犯科帳/密通』の舞台『久栄の伯父・天野彦八郎義盈の屋敷』を散歩

          長谷川平蔵宣以の妻である久栄(ひさえ)の母方の伯父、天野彦八郎義盈(あまのひこはちろうよしみつ)についてお話します。 結論から言うと、小説の中の人物であり、実在した方ではありません。 さて、この伯父、性格が驕慢なため久栄は嫌っていたとあります。 七百石の旗本で、お役目は小納戸衆(こなんどしゅう)でした。 長谷川平蔵は、天野彦八郎のお家騒動を内々に解決したと記されています。 「将軍家の側近くに仕え、将軍の日常の世話をするのであるから羽ぶりもなかなかによく、昇進の道も開けてい

          小説『鬼平犯科帳/密通』の舞台『久栄の伯父・天野彦八郎義盈の屋敷』を散歩

          小説『鬼平犯科帳』の舞台『蕎麦や・瓢箪屋(ひょうたんや)』を散歩

          小説「鬼平犯科帳」では、「火付盗賊改方の息のかかった店で、主人の佐右衛門は、微禄ながらも、もとは幕臣であったといわれている。」と記されている。 この瓢箪屋で、火付盗賊改方与力である佐嶋忠介と元盗賊弥一(青坊主の弥一)が密会し、乙坂の庄五郎と、縄ぬけの源七の一件を伝え、貝柱のかき揚げを浮かせた蕎麦で酒を酌み交わしたとあります。 瓢箪屋があったとされている場所は麹町四丁目、江戸城四谷御門内にある町人街です。 今の麹町三丁目新宿通り界隈でしょうか。 江戸時代の書物「衣食住記」に

          小説『鬼平犯科帳』の舞台『蕎麦や・瓢箪屋(ひょうたんや)』を散歩

          小説『鬼平犯科帳/大川の隠居』の舞台『船宿・加賀や』を散歩

          小説「鬼平犯科帳」の「大川の隠居」の話に出てくる船宿「加賀や」を訪ねてみました。 大川というのは、今の隅田川のことで、ここで言う隠居とは隅田川の主、つまり齢百数十年という巨大な魚(鯉?)のことです。 主と呼ばれる魚だったり蛇は、昔からどこの河川や沼、湖や池にいるものです。 多くの場合、百数十年~数百年間生きているといわれ、体も大きく色も落ちて、鯉などは金色であったり、コケなどが付着していたり、一目でただものではないと感じる容姿をしているのです。 釣りあげて殺してしまったり、

          小説『鬼平犯科帳/大川の隠居』の舞台『船宿・加賀や』を散歩

          小説『鬼平犯科帳』同心『木村忠吾の叔父・中山茂兵衛の奉公先』を散歩

          兎忠こと、木村忠吾は祖父の代から御先手組同心でした。 勿論、小説の中の登場人物です。 寛政三年(1791年)忠吾24歳、6年前に父親が病死し、18歳で跡目を継いだのです。 母親「あさ」も既に亡くなっています。 縁者といえば、旗本・金森与左衛門(かなもりよざえもん)の用人を務める叔父・中山茂兵衛(なかやまもへい)ぐらいでした。 今回は、この木村忠吾の叔父が務める旗本・金森与左衛門の屋敷跡を訪ねてみました。 中山茂兵衛は、この金森家に仕える用人でした。 その金森家の屋敷は、麹

          小説『鬼平犯科帳』同心『木村忠吾の叔父・中山茂兵衛の奉公先』を散歩