見出し画像

小説『鬼平犯科帳』に登場する『料理屋・万七』を散歩

小説『鬼平犯科帳』には食べ物や食事の描写が沢山出てきます。
これは偏に池波正太郎先生の食に対する強い思い入れがあるからに他なりません。
その証拠に池波作品にはそこかしこに食べ物のことが描かれています。

推定『料理屋・万七』があったとされる場所

映画「仕掛人・藤枝梅安(豊川悦司さん)」にも登場する「万七(まんしち)」、この映画では藤枝梅安が幼い頃に生き別れとなっていた妹「おみの」が女将として切り盛りしていました。
主人の後妻として女将の座に居座っていました。
そして、藤枝梅安自らの手で「おみの」を仕掛けてしまうのです。
そんな悲しいお話の舞台にもなっています。

小説「鬼平犯科帳」においては、度々」登場する「万七」、この店の名物は兎汁、この兎汁は生姜をきかせ、巧妙に葱をあしらったものだったそうな。
女中が出汁をそそぎ、客の目の前で兎汁を作る。
淡泊な兎肉の脂肪が秘伝の出汁に溶け合い美味いのだそうで、長谷川平蔵の好物でもあり、月に一回は通っていたとあります。
しかし、長谷川平蔵役を演じておられた中村吉右衛門さんは兎肉が大の苦手だったのだそうです。
実のところ、兎肉の味はどうかというと、これがまた、とても美味しいのです。
鶏肉より柔らかく、臭みもなく、兎とは思えぬあの味は格別なのです。

現代ではあまり食されなくなってしまいましたが、江戸時代まで、いや昭和40年代頃までは当たり前に食べられていたのではないかと記憶しています。
兎以外にも、猿、狸、カワウソ、テン、イタチ、熊、犬、蛇、猪、鹿、雉、鴨、馬なども江戸時代までは当たり前に食べられていました。
今ではジビエなどと、どこの言葉とも知れない言われ方をしている食材も、元々は豚肉、牛肉、鶏肉同様に一般的に食べられていたというわけです。
逆に、豚肉、牛肉は食材としてはあまり流通していませんでした。
牛や馬などは労働の担い手、或いは交通手段として人間同様に大切されていたので、食用にされることはほとんどありませんでした。
また、豚も今のように食用として改良されたものではなく、猪に近いものでした。

「万七」は、江戸は京橋の東詰めを北に行った大根河岸にあったといわれています。
町名で言うと、北紺屋町で、今は存在しない町名ですが、運河が張り巡らされた場所の中之橋と比丘尼橋があった薪河岸・大根河岸付近の町人街です。

今でも「万七」が存在していたら、ぜひ行ってみたいと思っています。

京橋大根河岸青果市場跡

これは余談ですが、東北自動車道上り羽生パーキングエリアに、「鬼平江戸処」と称して江戸の町が再現されています。
そこには、鬼平犯科帳の作中の風景が再現されているようです。
私はまだ行ったことが無いのですが、軍鶏鍋屋「五鉄」、蕎麦処「本所さなだや」、うなぎ「忠八」、中華そば「弁多津」、江戸めし「万七」、元祖くず餅「船橋屋」等、聞覚えのある名の店があるそうです。
長谷川平蔵の世界を味わってみたいですね。

■他SNSのフォローもしてくれると嬉しいです。
■ブログも不定期に更新しています。

【YouTube】

【Twitter】

【ブログ】 
https://usakichi.net/ 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?