例えクラス全員合唱部に入っても1人くらい入らない子いてもいいじゃんと思う〜ダイバーシティ&インクルージョン〜
小学生の時から猛烈に朝が弱くて
(というか、生まれつきの怠惰)
朝練が嫌だという理由で
合唱の強豪校から来た新しい音楽の先生が作った合唱部への入部をしなかったら、
クラスの女子で参加しないのは私だけだった
という。そんなことが昔あった。
別に周りに咎められることはなかったけど、
女子=皆合唱部に入ってて合唱好きだよね、
みたく括られるのがすごく嫌な感じだった。
皆と一緒が嫌な、
アウトローな一匹狼ってわけではないが、
「吹奏楽部は文化祭忙しいから
クラス企画あんまり参加できないよね」
みたいな括りをのっけから勝手にされるのが嫌で、練習早く切り上げてダッシュでクラス企画参加したりとか、
短期留学プログラムで他の日本人がしたことで「日本人ってこうだよね」みたいに言われるのが不服でそうでないことを必死に証明しようとしたりとか、
思えばとにかく私は
グルーピングに常に反抗的だった。
そんな永遠のグルーピング反抗期な私。
今まで異文化をテーマにいくつか記事を書いてきたので、少し矛盾するかもしれないが、今日は
ダイバーシティ(多様性)についてなど思うことを書きたいと思った。
メイさんの主張
何故急にこんなことを書こうと思ったかというと
【期限内に受けないとyouうちの会社で働かせないYOトレーニング】
(本当にPCをロックされる)
の中に「ダイバーシティ&インクルージョン」
のトレーニングがあって、
大体こういうのって、
人種、LGBTQ+、障害者の事例があって、
特に色んな人種を考慮している感を出す為に、
アフリカ系→白人→イスラム系の写真や事例が出ることはあったものの、
ちなみに必ずアフリカ系>白人の割合でこういうのって出てくる
なんと今回初めて「メイさんの事例」という、
明らかなるアジア系フェイスの写真を背景に、そしてなんならやや日本人(いや、中国か?)とも捉えられるネーミングの事例が出てきたからだった。
その「メイさん」の主張とは、
・時差があるのに夜遅い会議が設定される
・私の国では人の話に割って入る文化ではないので、会議で意見が言えない
という内容で。結論としては、
こういう人もちゃんと仲間に入れましょうね
(インクルージョンしようね)、
というお話だった。
今まで国による異文化の記事を書いてきた私なので、ついに、こういう観点も多様性と明確に提示されるようになったか!というのと、
アジア人もちゃんと含めてくれた!
という感動と、
一方でちょっと複雑な気持ちにもなった。
理解して欲しいけど、勝手に理解して欲しくないというジレンマ
私の中にいるグルーピング審判が
イエローカードを出したのが、
今までなーんにも思ってなかった人がトレーニングの中に出てきたメイさんの主張を見て過剰に、
「oh アジア人は主張出来ないのか!」とか、
「時差があるからkawaiSO」とか、
逆に固定観念を植え付けられてしまうのではないか、ということ。
現に、最近、
時差があるから参加しなくていいよ!
と気を使われて、昼間の勤務ずらすからと主張しても、せっかくのリーダーシップチームへの発表の機会が別の人にまわされてボツになったこともあったりしたから尚更。
こんなこともあった。
はじめてイギリス人が上司になった時、
本人は親切心でそうしていたのだろうが、
「なるべくゆっくりしゃべるようにするわね」
と、
日本人は英語分からないだろうと言わんばかりに対応されて、
いやいやさすがにお主らネイティブスピーカーほどはしゃべれぬが、まだ会話開始してないのに勝手に英語力を判断するな、と
たいそう嫌な気分になった。
だからダイバーシティのトレーニングやら、
社内の研修を受けて、
私は毎回少しヒヤヒヤしている。
上手く説明出来ているか分からないけど、
ダイバーシティを説明するために、
それこそ第三者が勝手にグルーピングして、
このグループの人たちはこうだって説明した上で、受け入れましょうってなりがちだから。
ダイバーシティという言葉で逆に見えにくくなったこと
グローバル企業の本社で働くようになって、
日本で言われているのとは全く比較にならないほど、人種、宗教、LGBT+等々
リーダーシップチームがかなり気をつけた発言をしていたり、
どれとは言わないが、社会を騒がす事件が起きるたびに声明が発表されていることにすごく驚き、
それだけでなく、
各社員も自分の強い考えを持っているので、
私のダイバーシティアンテナも電波一本から四本くらいになった。
ただ、色々考えて最近思うのは、
ダイバーシティという言葉が強い言葉なだけに、
「自分と全く違う特徴を持った集団」
に目が行きがちということ。
本来、ダイバーシティって例えば、
「私納豆めっちゃ好きで納豆風呂に入りたいくらいだけどあの人は大嫌いらしい」
みたいなそんなレベルのことも含めて言うわけで。
完全一致の人間なんて一人もいないのだから、
私とあなた違うよね、
というスーパー当たり前の2歳児くらいでも分かるであろう普通のことを、わりと小難しく、
言葉にしているだけなのかもなと、
思ったりするわけです。
つまり、
ちゃんと個人個人お互い人としてちゃんと認め合って、私と違うあなた、そういう考えなんですねーほうほうってなれたらいいよね、と。
そんな話なのではないかと。
でも、それが上手く出来ないから、
わざわざおおごとにして、
【期限内に受けないとyou明日から来なくていいYOトレーニング】まで受けさせたりなんかするんだよな、と思うのでした。
という、ぼやき。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?