震える空気を感じたいのはたぶんそれが理由

昨日の記事と少し関連して。

これは以前にも書いた話ですけど、私は左目がよく見えておりません。原因はよくわかりません。詳しい話はこの記事を読んでいただけたらと思います。→「平成最後の冬までを語り続けて自己紹介⑯ ―世界が変わる瞬間がくっきり見えたあの瞬間―

見えるのは見えるけど、はっきり見えないんですよ。写真にぼやける処理を思いっきり施した時みたいな。まったく度の合ってない眼鏡をかけっぱなしにしてるみたいな…。後者はちょっと違うかもしれないが。
スマホの文字も実は左目だけだと全然読めない。遠くても近くても読めない。ぼやっとして形がちゃんとわからないので文字は読めないに等しい。
今私の目の前には懸賞で当たった電波時計(キシリトールの懸賞なので羽生君の時計)が置いてあって、羽生君のポストカード(今挟んでるのはきき湯。ポストカードや写真は好きなものが入れられるようになっている。時計にも元々三枚付いてた)が挟んであるんだけど、その羽生君の顔も羽生君だと認識できません、左目だけだと。

人が動いてるな、とか、何色だな、とかいうことはわかるけど、はっきり見ることがまったくできない。どうやらものを見るときは右目だけ使ってるらしいです。そのせいか立体の認識能力が低いかもしれない。前々から感じてることではあったのですけど…。

何故こうなったのかは不明、という診断だったはず。ごく小さな頃からこの状態ではなかったと思うので(そうだったら健康診断でわかってたはず)、視力が急激に落ちていた小学校高学年の頃に私が何かやらかしたのであろうか。必死で勉強してたことしか覚えてないんですが(親がいわゆる教育ママだったのでいろいろまああったのである)。

右目が左目と同じ状態になることはない、と発覚当時に(高校生の頃)医者が言っていたのでまあ大丈夫なのだろうけど、何せ原因が分からなかったから、本当に大丈夫なのかな、と時々ふっと怖くなることはあるんですよ、ぶっちゃけ。右目が同じ状態になったら、もう字は読めないし目で見て楽しむ趣味のすべては諦めるしかなくなるでしょうし何より普通に生活するのが困難になるでしょうね。

大丈夫であることを信じつつも万が一のことを考えると、見たいものは見えるうちに見ておこう、という気持ちが強くなってしまうのかもしれない。私が「自分の目で見ること」にわりと強くこだわるのはこれも理由のひとつですね、たぶん。
そもそも「見る」ことそのものがやっぱり疲れるので(片目しか使ってないのでそうなるっぽい)、画面を見続けたり字を読み続けたりするのが結構しんどい。やるけどしんどい。だったらもう本物を見ることにエネルギーを優先して振り分けたいな、と思っちゃうんですよ。

そんなわけで、スケートもできれば会場で見たいし、もて海のラストステージも行きたかったんですけど、諭吉不在の現状に負け続けた結果叶わず無念であります。現実を受け入れられなくてあんまりもて海さん情報追ってないんだけど(泣)、落ち着いたらゆっくりいろいろ見よう、と思ってます…。

この記事、書いてる途中にうっかり寝てしまって連続更新が途切れちゃって(本当は189日目のはずだった…)、しまったと思いながら深夜に目覚めたら、テレビがまさに高知の観光番組やってんの(泣)。しかもラストはとさてらすで、ああ、もうあとのことなど何も考えず出向いてしまえばよかったわ、片道四時間で行けるのに!と改めて切なくなってしまったのだった。この人フィギュアスケート関連で北海道から福岡まであっちゃこっちゃ行ってたので、「バスで片道四時間なら近い」という感覚です。寝てれば着くよ四時間なんて。通勤や通学に片道一時間とか二時間とかかかることを思えば楽しいもんだよ←遠い目

そんなわけで、この記事は3月31日の記事だと思っておいていただけたら嬉しい(泣)。4月1日の記事はまた改めて更新しますです…。


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