あの日情熱を走り書きしたnoteの切れ端は、青い南の風に乗る

死んだ子の歳を数えるようなものだろうか、と執筆を躊躇っていたのですが、ちょうどいい日付でもありますし、ひとつの区切りとしてやはり振り返っておこうかな。

1年前の3月31日。私はどうにかして日帰りでいいから高知へ行けないかと必死でシミュレーションしていました。どんなにシミュレーションしても答えはひとつしかない、無理です。「普通」に生きたくて生きたくて必死だったけど、それを得られないと悟って生き方を変えた私の生活状況は困難を極めていました。趣味にお金を使える余裕は一切無かったのです。

無情にも過ぎていく時計の針。仕方のないことだけれど、とても切なかったことを思い出します。

その日は、私がこっそりファンだった「土佐おもてなし海援隊」さんが活動を終了した日でした。
人生に絶望するしかなかったあの頃、現実から逃げ出すようにバスに飛び乗って高知を訪れた私は、ほとんど観光もしなかった空虚な旅の最後に、たまたま声をかけられて見たステージで、彼らの存在を初めて知りました。そのキラキラとした歌やダンスを、呆然としながら見つめた日のことを昨日のように思い出します。何度か書いている話なので、機会があれば読んでいただけたら。

土佐おもてなし海援隊、通称「もて海」は、高知の観光PR隊だったグループの名前です。メンバーは幕末の志士6名で構成され、ステージやイベント等で高知をアピールしながら活躍していました。私は武将隊とか舞台とかにはまったく明るくないので本当に個人の感想ですが、よく作り込まれたグループだな、と感心していました。
詳しく特徴を述べたいところですが、既に存在していないグループについて語っても、もしそれで万が一心を奪われる人が現れても、それはただ罪作りなだけではないかと躊躇ってしまうので、この程度にしておきます。CDが2枚とグッズの日めくりカレンダーだけを何とか手元に残せただけの私は、偶然ステージに出会ったその日の記憶だけが最初で最後の思い出で、それ以上提供できるものも何もありませんし。皆さんが求めているのは、写真だとか動画だとか詳細情報で、どこの誰かもわからない個人の回顧など不要でしょうから。

なので、個人が長々と個人的な思い出を振り返っているだけの内容でも構わないという方だけ、ここから先はお付き合いいただければ嬉しいです。
うう、せめて先月まで行われていた衣装の展示にでも足を運べていれば書けることも色々出来たと思うのですが、生活状況がまったく改善されなかったもので…。よくこの1年生き延びられたよなあ…←遠い目


偶然ステージを目にしたあの日以来、あんなに願っても望んでも行けなかった高知にこの1年で2回足を運べたのは、こうして振り返っても不思議です。誰がどう考えても、経済的には行ける状態ではなかったので。

自分も高知が好きだから、とほとんど費用を出して高知に向かわせてくれた友人のおかげです。片道四時間かかるとは言え車で行ける距離だったり、高速バスで日帰りできる距離だったりすることも功を奏しましたね。何で私のためにそこまで、と感激しましたよ。
…私が緊張のあまりよく眠れず(しかも数日…)テンパり過ぎて失態をさらしまくったことを悪魔のようにいじってやがったけどなーー!!!どうやらそれが目的だったっぽいけどなー!!←血の涙

もて海さんにはもう会えないけれど、もて海さんのメンバーに誰がどう考えてもめっちゃ似てる方に、おひとりだけでもお会いできて本当に嬉しかった。いい声だった…。上記の通り失態をさらしまくってしまったので、申し訳ないの一言しかないのですが(泣)。

このあたりの旅日記は私がもうひとつ書き綴ってるはてなブログの方に載せてるので、お時間ある方は目を通していただければ嬉しいです。ただの日記ですけどね、本当に。
note一時期に比べるとアクセスが激減してて、はてなの方が明らかに読んでもらえるので、もて海さん関連の話もできるだけはてなに書くように変更したんですよ。今回はあえてnoteにしましたけど。その理由は追々。

友達の提案してくれたプラン等には驚いたけど、実はこの2回の高知旅行は2回とも「もしかしたら行けるかもしれない」という直感が働く瞬間が事前にありました。2回目の時の方は直感と言うよりもっと強烈な何かでしたね、しかも複数。偶然かもしれませんけど、こういう直感って意外と馬鹿にしたものでもなかったりしませんか皆さん。
10年ほど前から、予知夢(内容はほぼ個人的なことでさほど重要ではないけど)だの説明のつかない縁みたいなものだの不思議なことが増えて、一時期はとても悩んでいました。世の中の事象はすべて科学的に説明がつけられる、と思いたいタチだったので。近年は諦めてネタとして楽しんでますけど。高知行きに関して感じた何物かも、この一環かな。

以前から勘はいい方ではあったんですけどね。他人に対して何か嫌なものを感じた時は最終的にトラブルが起きたり、そうでなければその人に良くないことが起きたりとかさ。もちろん絶対じゃないけど。あまり気持ちのいい感覚じゃないので、「そういう感じがしない人」というだけのことでもありがたかったりします。
反対に、その人の心の音みたいなものが、綺麗な色の硝子とか星の音みたいに感じられたりしたこともありました。ひとりだけね。不思議な安心感を覚えたけど、そんなの自分の思い込みかな、と思ってたところ、私よりはるかにそういう感覚が強いであろう人がその人の名前を聞いて噛み締めるように、「ああ、この人はとてもいい人ね…」と呟くのを聞いた時、私の感覚は間違ってなかったかも、と何となく感じたのです。名前だけでわかるっぽいよ何かが、その人。そういう感じのする人ばかりに会えたら人生楽しくなるんだろうねえ。たぶん滅多に会えないんだろうけど。

また行ける、と実は感じていたのだけれど、今度の感覚は勘違いだったかもしれない…。できれば勘違いじゃないことを、本当に心から祈っているのですけど、ちょっとどうなるのかわかりません…。


私はその場にいられなかったけど、もて海さんがたくさんの人に見守られて最後の日を迎えられたのは、きっととても幸せなことだったのだろうと思っています。昨今のウイルスによるイベントの中止などからも改めて感じることですし、自分の個人的な経験からもそれは強く思います。様々な事情で綺麗な形で幕を引けないことも多々ありますからね。

一昨年の夏、ひとりの青年が命を落としました。彼の名前はデニス・テン。ソチオリンピックのフィギュアスケート男子シングルの競技において銅メダルを獲得した選手でした。羽生結弦選手と表彰台に並ぶ姿をニュースなどで見かけた方も大勢いらっしゃると思います。
リンクを小さな龍が舞っているような彼のノーブルなスケートもさることながら、私は彼がいずれカザフスタンの礎となるような傑物になるのではないかと、様々なエピソードから感じていました。それでいて、気さくな人柄やごく普通の青年の素顔も見せてくれていた、本当に素敵な人物でした。フィギュアスケートのファンで彼を知らない人などいないと思います。

その彼が、自分の車のミラーを盗もうとした強盗の凶刃に倒れるなんて。今でも、あれは悪い冗談だったんだよ、と彼が試合のリンクにひょっこり現れるような気がしてならない。でも、それはもう絶対にあり得ないことなのです。どんなに信じられなくても。どんなに信じられなくても、これは現実。こんなにも突然、こんなにも理不尽な形で別れが訪れることもあるのだと、どうしようもなく突きつけられた現実でした。

「ファンとその対象」について述べる際に、もっとも辛い物語のひとつであろうと思ったのでこれを挙げました。私はまだどこかでこの件を受け止めきれていない気がします。当時は瞼が腫れて前がよく見えなくなるくらい泣いてしまいました。テン君は、まだ25歳でした。
物事にはいつか必ず終わりが来る。終わりは切なくて胸が痛いものだけれど、その終わりを温かい笑顔や心で見送ることができたなら、それはきっと最高の形のお別れなんです、きっと。だから、私は自分の不甲斐なさ以外に悲しさの感情はできるだけ抱かないようにしよう、ともて海さんに関しては決めてました。寂しさはやはり拭えませんけどね。

いくら生きても心が丈夫にならない私は、もし高知にちゃんと行けてたら、もしかしたら立ち直れないくらい寂しくなってたのかもしれないな。その場の空気とかを強烈に吸収しちゃって。どうしても行けなかったのにはちゃんと理由があるのかもしれません。たぶんこれだけじゃないけど、これも理由かな、なんとなく。
長くなるので今回は差っ引くけれど、たぶん人間の運命って最初から決まっていて、我々はただその道を歩いているだけなのじゃないかな、と感じることがしばしばあるのですよ。その少し先の運命を感じる能力が多少備わっている人間が少なからず存在して、ものすごく精度は低いけど私もそのひとりなのかもしれないですね。こんな能力要らんのですけどね…。

昨今のイベントの中止などについて思うこともついでに書こうと思ってたのですが、長くなってきたのでまたの機会に。私はもうあからさまに「好きなもの」に触れてないとガス欠を起こすタイプの人間なので、自分の周囲だけからも感じていた感覚の溝を、国家レベルで見せつけられている感じがしています。エンターテインメントを「無駄なこと」と思っている人は少なくないのですよね、この社会には。


私がブログを始めたのは、手相鑑定でのアドバイスがきっかけでした。そのブログを読んでくださった方が、本当に信じられないような親切をしてくださった上に、noteの存在を教えてくださったのです。
noteはあまり読まれてないしここでなら自由に書いてもいいかな、と思い切ってもて海のことを書いたのが一昨年の11月。それ以降もいくつか書いた記事を思った以上にファンの方が読んでくださり、じゃあもう少し多くの人に読まれる可能性のある形にした方がいいのかな、と掲載の場を主にブログに変更しました。それが意外なところにも届いた上に、ついには高知に再び足を運べることに。前述の友達も、私のもて海に関する記事を読んでいて、それで高知に連れていこうと思ってくれたらしいんですよね。

すべては繋がっているのだな、と実感します。偶然噂を耳にしてよく当たる手相鑑定に足を運んだのも、もて海に会えるとは知らずに高知に出向いたのも、全部繋がってる。それらの出来事と一見関係ないことからも繋がってきている。
だから、私がもて海さんに出会えたのもひとつの運命だったのでしょうね。その意味は半分くらい掴めた気がしてます。気がしたのだけれど、わかりかけた答えはもしかしたらやっぱり永久に教えてもらえないのかもしれない。うう、意地悪しないで欲しかったなあ。切ない…。

今回の記事の掲載をnoteにしたのも、あの日のnoteがなければもて海についてはたぶんこういった形で共有することはなく、せいぜい友達に力説して「誰それ知らんよ」って返される程度で終わっていて、再び高知へ行けることもなかっただろうと思うからです。
もて海について語るために私はnoteと出会ったのかもしれません。ありがとうnote、明らかに読んでない人からばっかりスキはつけられるし、いくら書いても誰も読んでなくてやる気失せるけど、もて海のことだけは大感謝だよ(笑)

実はアカウント無くてもスキ(ツイッターのいいねみたいなの)できるんだけど、読者登録してくださってる方以外はそのスキがいちばん信用できるという始末…。とほほ。noteは記事を有料で販売できるので、売りつけたい人が色々いるみたいですな。ごめん全財産100円ちょっとなんでいくらスキつけられても期待には応えられないわ。ってひでえな相変わらず!
って言うか世間的にもこの状況だし、今度こそ乗り切れないのでは…。ずっと自分を支えていた希望がどうも潰えてしまいそうなので、先に心が崩れてしまいそうですけど。その希望があったから、何があっても生きていたいと思えたんだけど、それがなければもういいよ、頑張れない…。神様…。


もて海さんが幕末に帰られてからのこの1年。もちろんもて海さんにはもう会えなかったけど、その面影には再会できたし、高知の青空も再びこの目にすることもできました。それぞれの土地まで足を運べなくとも、文字や写真や映像で、面影の主たちの活躍を拝見することもできる。少し寂しくて、面白くて、とても不思議な1年でした。
あの日もて海さんに出会っていなければ、これらの感情や記憶とも出会うことはなかった。答えはわかったようでわからないけど、私はきっととても大切なものに出会えたのだと思います。その出会いにおいてnoteがこれだけ重要な役目を果たすとは、思い切って記事を書いた時には考えてもいなかったです。ただただ、熱に浮かされるように書き上げてしまったので。

本当にひたすら個人的に振り返ってるだけの記事ですみません。またこういう長いのが読まれないんですよ、noteは(笑)。最後までお付き合いくださって本当にありがとうございました。ごめんなさいね、「ジョン万さんかっこえええええ」とか「武市さんかわえええええ」とか叫んでる系の記事じゃないと需要ないですよね(笑)。

この1年、ご活躍されている様子をひっそり応援させていただいていた皆様が、今後もますます発展して行かれることを心からお祈りしています。私に幸せをくださって、本当にありがとうございました。

今後、もて海さんのことや高知の旅行記などを書ける機会があるかどうか、自分の人生も崩壊しかけているため正直わからないのですが、もしそのような機会がありましたら、是非目を通していただければ幸いです。その時はもうちょっと具体的に「かっこえええええ」とか叫んでる系の記事にできたらいいな(笑)。

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主にフィギュアスケートの話題を熱く語り続けるブログ「うさぎパイナップル」をはてなブログにて更新しております。2016年9月より1000日間毎日更新しておりましたが、現在は週5、6回ペースで更新中。体験記やイベントレポート、マニアな趣味の話などは基本的にこちらに掲載する予定です。お気軽に遊びに来てくださいね。

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