バラード第1番 ~平昌オリンピック~

本日の記事は、2018年2月23日にはてなブログに掲載した記事の再掲です。再掲にあたり、加筆修正しています。記事の一部を抜粋し、体裁を整えた程度ですが。

平昌オリンピック、男子シングルショートプログラムから1年。号泣しながら羽生君の演技をこの目に焼き付けたあの日から、もう1年。1年前の記憶を、今一度noteにも焼き付けておこうと思います。是非、読んでいただければ嬉しいです。

羽生君の演技を見ていると言葉が溢れてくる。自分の中にある言葉の結晶のすべてをもって、彼の演技と彼の演技から受けた感激を文章で再現したいという欲求にかられてしまう。それを創造とは言わないかもしれないけれど、美しいものを美しいと言葉で語れる喜びを、羽生君は世界中の誰よりも私にもたらしてくれるのです。

元の記事はこちら→「平昌オリンピック雑感⑫

-------------------------------------------------------------------------------------

★2月16日・男子ショートプログラム③

第5グループ。運命の最終グループ。ついにこの時が来た。四年間待っていたこの時が。
リンクに入る前の羽生君は穏やかな横顔だったが、6分間練習の前の挨拶でギュッと鬼神モードに入っていくのがわかった。帰って来た。羽生結弦が帰って来た。

25:羽生結弦

たぶん皆さんも同様だと思うが、私もサルコウさえ降りればノーミスでいけると思った。競技の何時間も前から、緊張するたびにサルコウサルコウお願いとお守りを握りしめながら呟いていた私は端から見れば完全に不審人物である(汗)。
そのサルコウを美しく降りる。スピンに移る際なども音をそのまま手のひらの先で連れていくようにまったくぶつ切れ感がない。アクセルは心配していない。どうして加点は3点しかないのか。トゥループのコンビネーションも公式練習の様子では心配無用である。羽生結弦以上のタノジャンプが跳べる人を私は思い出せない。
あまりにも美しい。声も出ない。ジャンプが全部成功したあたりから嗚咽しそうになったが耐えた。泣いたらこの2分40秒が見えなくなる。

スピン。ステップ。フッと息を吐くように力が抜けた瞬間の羽生君の、髪の毛の一本からすらも零れる音、激しく踏む足元の刃が奏でる音。透明な音色をまとった指先。
鍵盤を氷の粒が舞う。跳ねる。きらきらと零れる。

これほど美しい演技が今までにあっただろうか。それは溢れ出すピアノの音色そのものであり、それを操る奏者でもあり、羽生結弦というただひたすらに美しい生命体の、すべての一瞬をどこで切り取っても完成されているように極限まで計算され研ぎ澄まされた踊りでもあった。

競技はまだ続く。この先も楽しみでたまらない。だがそれでも、この演技に勝つものがあってはいけないと思った。おそらくそんなものはこの平昌オリンピックのリンクにはほかに現れない。
これはもうスポーツではない。その範囲には既にない。人が芸術と名付けた、人間の感覚を美の方向へ極限まで高めたものの最高傑作が、我々の前に現れたのだ。
これは神の選んだ演技だ。神がこの日、この場所で生まれることを定めた演技だ。彼が氷を恋しがったように、氷の神は彼が恋しくてたまらなかったのだ。

羽生君にあってほかの選手には圧倒的にないもの。それは儚さだ。ごく普通の大人の人間の男性であり、その心には修羅すら棲まわせる彼の、壊れてしまいそうなくらいに圧倒的な儚さ。少女のような脆さ。触れてはいけないような清らかさ。それがますます、このバラード第1番をこの世のものではない何かのように仕立てあげる。
滑り出す前、小さく上下する肩に彼の緊張を見た。けれど、動き出した彼はもうこの世のものではなかった。男でも、女でもなく、人ですらない。一切の混じりけのない、炎を閉じ込めた氷の結晶。

彼が技術的に圧倒的に優れているだけならば、これほど騒がれることはなかっただろう。素晴らしいスケーターは数多生まれてきたが、彼らは皆人間の世界の住人だった。人ではないものを演ずるのではなしに、人ではない何かだと錯覚させるようなスケーターなど存在しなかった。
だから彼は唯一無二なのだ。
しかもこの美しさはごくわずかな時間にしか見つけることができない。いつか彼は本当に大人の男になり、競技のリンクを去り、人間として生きていく。まばたきをする間に、この壮絶なほど美しい結晶は手のひらをすり抜けていってしまうのだ。あまりにも儚い、残酷なほど儚い、神がほんの一瞬だけ我々に与えた幻。
この幻に気が付きながらそれを見つめずにいられるなど、私には考えられない。それは人間としてこの世に生まれたことを否定する愚行だ。我々を人間たらしめるもののひとつが、芸術を解しそれを愛すること。そんな風に思うから。

この世ではない何処かで奏でられていた2分40秒が現実に収束されていく。いつものように鬼をその表情に宿らせていない、静かに揺らめく凍てついた炎。あまりにもコントロールされた蒼白い炎が、すうっと消えていった。そうだ、まだフリーがある。今はまだ燃え尽きる時ではない。フリーでこそ、あの炎は世界を焼き尽くすほど燃え上がるだろう。

記録更新するかと思ったが、最後のスピンがレベル3だったのか。なんつーか、もっと加点出してくれ。1すらないプロトコルなのにそう思ってしまう。PCSは満点でいいだろもう。いっそのこと150点くらい出して欲しい、とかなんとかトチ狂ったことを言い出してしまったほど、見たこともないような絶品を越える絶品の演技だった…。て言うかこれに明快な点をつけなきゃいけないのかと思うとジャッジの皆さんの苦労がしのばれる。完全に降伏してらっしゃるジャッジの方いらっしゃいましたね…。お気持ちわかります…。
けれども、この得点もまた運命だったのではないかという気がしてならない。1が3つ並んだそのスコア。ずっとずっと、何年も前から抱いていた予感。このオリンピックの勝者は一時も揺れることがなく定められている。神は羽生結弦を依代に選び、ほかの誰も勝たせるつもりがない。

演技終了とともに声を上げて泣いた。世界選手権の時も泣いて泣いて、どうしようもないくらい泣いたのだが、それに近いレベルで号泣した。
スローを見るその目が涙で曇る。拭っても拭っても溢れる涙に心底困った。でもネイサンまでにどうにか泣き止んだのはまだフリーがあるから。勝者を確信しているとは言えそれは私の勝手な感情で、ショートプログラムすらもまだ終わってない。この最高の戦いを最後まで見届けなければならない。この日を四年間、待っていたのだから。

-------------------------------------------------------------------------------------

はてなブログにてフィギュアスケートについて熱く語っています。ただの趣味でやってますが毎日更新しています。時々、本日のようにはてなから記事をピックアップして、単独の読み物として読んでいただけるよう修正した上でnoteに掲載する予定です。はてなブログにもお気軽にご訪問ください。
はてなブログはこちら→「うさぎパイナップル

気に入っていただけたなら、それだけで嬉しいです!