投げた言葉のボールどうしてる?
言葉は放つ側の心ももちろん大切なのだけど、結局は受け取る側のもの。
だから、受け取る側のことを考えて……という話では、今回はなくて、発信する側が気にするべきことは、本来何かということを書く。
私はこう見えて、ものすごく臆病でちっさい人間で、小心者だ。
こう言ったら、どう思われるだろうか。
あんなことを私が言ったから、相手は気分を害したのだ(たぶん)。だからメールに返事をくれないんだ!!(嘆)(絶望)
とか、年中悩んで、もやもやしている。じめじめもしている。くよくよ反省も止まらない。
放言魔になる!
と目標にしたこともあるほど、常に自分の言葉に対する相手の反応にびくびくして、良いふうにまとめられないか、いい感じに丸くおさめることができないかを考えている。
それを、やめる! やめたい!
でも、中々できない。
なぜ難しいかを考えてみると、それは自分の言葉がどうであるかというより、相手がどう思って、感じるかを勝手に考えて、妄想のように心配を膨らませ続けているから。
もっとはっきり言えば、私の言葉への悩みは、「私」ではなくて、「受け取る相手」のことでもなくて、「受け取る相手の反応」のことばかりだった。
受け取る相手は、当然私ではないから、何を考え、思い、どう受け取るかなんて、私は分かりようがない。
それを、こうだろうか、ああだろうかと勝手に思って考えて、くよくよ悩む。
「どう思うかなんて、知らんがな」という、腹のくくり方が足りないのだ。
無責任な言い方になってしまうけど、相手は私ではないから、いくら私が死ぬほど悩んでも意味がない。
投げたボールは、返ってくるのを待つしかない。または返ってこないのを見守るしかない。
投げたボールに思ったような反応がなくても、それは相手が必ずしも無視しているというわけではない、かもしれない。
それは相手の問題だから、分からないのだ。
その客観視が(私には)とても難しい。
こうしたら、こうしてくれるはず!
こう言ったから、相手はこうなんだ!
と短絡的に考えるのを、ぐっとこらえたい。
言葉の選択や、使い方は大事だ。
言葉を放つ側の問題はもちろん大きい。
でも相手の反応を待てるというのも、もっと大事なことだ。
受け取るのは、私ではなくて相手だ。
発信する側が本来大事にしないといけないことは、相手のリアクションが自分の想定通りであるかどうか、と心配することではない。
まずは、自分が投げた言葉のボールを見守る勇気を持つこと。ボールに自信を持つこと。そのために投げるボールは、きちんと精査すること。責任を持つこと。
ボール、どうしてるかなぁ、どうなったかなぁと心配する暇があったら(心配してもいいんだけど)、次はもっといいボール投げよう! と思う方がきっといい。
【今日の英作文】
いつどうするのが最適な選択かなんて誰も分かりません。
Who knows when and how to do for the right choice.
#日々 #日記 #文章 #エッセイ #毎日note #毎日更新 #アウトプット英作文 #言葉 #受け取る相手 #気をつけること #ボールのやり取り #コミュニケーション #最近考えること
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?