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電車内のすれ違い4

今日も、アーシュラ・K・ル=グウィン『文体の舵をとれ』を読んで、文章の練習。


〈3〉傍観の語り手
元のものに、そこにいながら関係者でない、単なる傍観者・見物人からの視点。そうなる登場人物がいない場合は、追加して良い
その人物の声で、一人称か三人称をつかう
登場する主要人物ではない。語り手が目撃して読者に伝えるスタンス


梅雨の晴れ間の暑い日だった。私は電車のドア付近に立っていた。電車の中は涼しいけれども、真夏のような外にもうすぐ出なければならない憂鬱さに、辟易して外を見ていた。とある駅で、ひとりの女性がバタバタと発車間際に駆け込んできた。大きくて重そうなトートバッグを肩から提げ、真っ赤な顔でふうふうと荒い息をしている。横目で見ながら、この暑いのにご苦労さまと私は思う。この季節、この昼の時間に駆け込み乗車しなきゃならないなんて、本当に地獄だ。駅に着く度に、むうっとした暑い空気が流れ込む。彼女もこの涼しく快適な車内に入って一息だろう。そこへドアが閉まるアナウンスが終わり、本当の駆け込み乗車をする強者が一人。この電車に乗るという使命でもあるかのように、必死な形相で女子高校生が乗り込んできた。女子高校生が飛び乗った直後、ドアが閉まった。駆け込み乗車は危険ですので、おやめ下さいというアナウンスが流れる。そりゃそうだと、いつもなら聞き流してしまう車掌の説教も、頷いてしまう。私は女子高校生の後で乗り損ねた人々が、駅のホームでガックリと肩を落としているのを見て、外でこれから20分も電車を待つのは、地獄だよなと思い、再びご苦労さまと思う。もう少し、世の中には他人への労りとか、思いやりとか大事と思うわと今日何度目かになる、ご苦労さまを思う。ふと目をやると、先程の女性がうとうとと目を閉じて、頭を揺らしている。かなりおつかれの様子だ。ああ、危ないなと思ったら、その通りに、彼女の肩からあの重そうなトートバッグが滑り落ち、どんと音を立てて床に中身が散らばった。音に反応して、ハッとして目が覚めたようだったが、時すで遅しだ。水筒やら、ペンケースやら、細々した荷物が、トートバッグから飛び出し、電車の振動で、ごとごととあっちへこっちへと、慌てる彼女を嘲笑うかのように転がっていく。立っている乗客の間を縫うように、頭をぺこべこして、拾い集めるが、思うようにはいっていない。私を含め、周りの乗客は、彼女を手伝ったものかどうかと、ぎこちない空気で、お互いの様子を伺いあっている。お年寄りや体の不自由な方に席を譲るというような、半ば明文化されたマナーと違って、ただの落し物を拾ってあげるのは、なんとなくハードルが高い。そうこうしているうちに、電車が次の停車駅が近づいてきた。やっと彼女もまた荷物を拾い終わったようだ。彼女を取り巻く乗客も、少しだけほっとしたようだった。水筒に翻弄されている彼女の姿は痛々しく、ただ見ているだけなのは、非人間的で心が痛んでいたから、やれやれだ。電車が駅に到着し、ぞろぞろと乗客が降りていく。ドア付近に立つ私は、またむうっとした蒸し暑い空気を顔に体に受けて、ため息をついた。そんな時に、下車しようとする人の流れのなかで、お腹の出た中年を過ぎた一人の男性が、不意に腰をかがめて、何かを拾っているのに気づいた。男性はそれをあの女性に差し出し、下車していく乗客の流れに乗って、降りていった。

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