旅のおしまい
アーシュラ・K・ル=グウィン『文体の舵をとれ』を読んで、文章の練習。
【長めの語り(今まで書いたもの)から、ひとつ選び、切り詰めて半分にする】
あちこちをちょっとずつ切り刻むとか、ある箇所だけを切り残すとか、ごっそり切り取るとか、そういうことではない。字数を数えてその半分にまとめた上で、具体的な描写を概略に置き換えたりせず、〈とにかく〉なんて語も使わずに、語りを明快なまま、印象的なところもあざやかなままに保て、ということ。
作品内にセリフがあるなら、長い発言や長い会話は同様に容赦なく半分に切詰める
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手元の文字がかすむので、私は一度ペンを置いた。先ほどから、孫からの年始の挨拶とお年玉の礼状への返事を書こうとしているのだが、八十八歳という寄る年波に勝てず、筆が進まない。最初は夜に字を書こうとしているからだと思いこもうとしたが、本当は孫の名前が思い出せないからだと分かっていた。そんな自分が情けなくて、イライラした。
この礼状を送ってきた孫の名前は思い出せないが、顔や性格はしっかり思い浮かぶ。なぜならこの子の性質が、私の幼い頃や若い頃にそっくりだからだ。勝気で、遠慮せず言いたいことを言い、図々しいところがあって、いとこ同士の口喧嘩では負け知らず。私もそんな風だった。
確かあれは、姉が女学校へ上がるお祝いの記念撮影だったはずだ。写真館で撮った、戦前では最後の写真。父が菓子屋をまだ営業できていて、家がまだ裕福だった頃。父と母と姉と私の四人家族で、並んで撮った。主役は姉のはずだが、写真の真ん中に写っているのは、当時珍しかったシャープペンシルとバナナを持って仁王立ちしている私だ。できあがった写真を見て、母は誰の記念撮影なんだかとぼやき、姉は涙を浮かべひどいじゃないとめそめそする。私は、お姉ちゃんもシャープペンシルとバナナを持って写ればよかったんじゃないのと笑ってやった。すぐさま反論できない姉は、この時も赤い目をして黙ってしまったと記憶している。姉は五つも年下の妹にいつも言い負かされ、さぞ悔しい思いをしていただろう。
孫の名前をいくつか紙に書きだすが、どれも当てはまるような気がするし、どれも違う気がした。孫がくれた手紙の差出人のところには署名がないし、仕方がないので名前を書かずに手紙を書き進めた。不安を抱えたまま書く文字は、すぐさま腰の砕けたような文字になって、自分が嫌になる。いつか顔も見せに来てね、と書いた瞬間、この子はこんなことを書いたんじゃ、この家には来るはずがないと、涙が出るほど苦しい笑いがこみ上げてきた。
だって、私だったら、用もないのに年寄りにわざわざ手紙も書かないし、その家に行こうとも思わない。もっと来たくなるような用事をこしらえてやらなくちゃ。そういう子なんだから。
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要約も短縮も苦手で、頭から書き直すつもりで書いてみた。
学生の頃の要約の課題もそうすればよかったのかもと、今は思う。
でも、そのためにはその文章の言いたいことが、分かってなきゃならんのだな。。。それが難しくて、悩ましいのだけど。
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これにて、アーシュラ・K・ル=グウィン『文体の舵をとれ』の課題はおしまい。
一つ二つとばしたのはあるけど、一通り課題をやってみた。文章を色々試すことができて、とてもおもしろかった。同じ話を語り直すなんて経験もなかったし、自分のやり方が全てではないと痛感した。
お付き合いくださったみなさん、ありがとうございました。
私の文章はともかく、おもしろい本なので、文体に興味のある方は是非お試しあれ。
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