見出し画像

謎の住人ミステリー。―美大時代の日記帳⑧ー

まだ新幹線が開通する前、駅に自動改札すらなかった頃の地方観光都市・金沢。その小さな街の美大に通いながら、たいしたドラマも起きない一人暮らしの日々を、偏執なまでに細かく綴った『美大時代の日記帳』第8回。
プライバシー配慮のため、登場する人物・建物名や時期等は一部脚色しておりますことをご了承ください。

それでは、開きます。


美大生の物件事情

美大生の住む物件はよく被る。
家でも制作するから見てくれよりとにかく広い部屋が好まれ、「生活空間とアトリエスペースを分けて確保できるのが理想」だと教授にも推奨される。1人暮らしでも2部屋以上ある物件に住んでいる友人や、ルームシェアをして古い一軒家を借りているクラスメイトもいた。私は「Kハイツ」という8畳和室の1K(バス・トイレ別)に住んでおり、制作の時は多少部屋を片付けないといけなかったが、それでも生活するには充分な広さで居心地も良く気に入っていた。
しかも家賃は格安の3万2千円。他の入居者も全員が美大生だという。

こんな作り話みたいな偶然もあった。
Kハイツの205号室に私が引っ越したばかりの春。自分とは別の宛名で「Kハイツ205号室」に、たびたび郵便物が届いた。
前の入居者である。
卒業してこの部屋を出て行ったそうだが、転送届をきちんとしていないのだろう。都度、面倒ではあったが紹介してくれた不動産屋にその郵便物を届けて、ようやく半年もすると別人宛ての手紙は来なくなった。

あるとき、自分が卒業した高校(美術科)のホームページを何気なく見ていたら、なんとあの前入居者の名を発見した。4年前の卒業制作の優秀作の欄である。
「そういえば…私が金沢に合格したとき、『ウチの油絵から金沢へ行くの
は4年ぶり』とか先生言ってなかったか…?」
時期まで完璧に合致する。つまり、高校(名古屋)の先輩である彼女が卒業して出て行った部屋(金沢)に偶然同じ高校出身の後輩=私が入れ替わり、入居したのである。
狭い金沢の、美大生物件という特殊な環境で起きた奇跡だった。


謎の住人ミステリー

階下の住人はこの頃やけに賑やかだ。

今日の夜も、私が夕食のハヤシライスを食べながら『サザエさん』を観ていた頃から頻繁にドアを開け閉めする音が聞こえてきて、風呂に入っていた8時頃、換気扇の音をバックに「わーおいしそー」という複数人の声が聴こえ、その後も母と電話している最中も気が散るほどの大声で騒ぎまくり、もはや怒るより笑ってしまう凄さである。

2階建てにたった4世帯、しかも全員が美大生で女子ばかりというアパートだったが、これまで他の部屋の人とは交流がなかった。初めての1人暮らしで「きちんと挨拶せねば」と最初だけ隣へ挨拶に行ったが、その部屋はすぐ引っ越して別の人に変わった。
ところが、どうやら1階も引っ越したなと思いすぐに件の賑やかな住人が入って以降、なぜだか私は気になってしまった。

自分の真下に入居した住人はいったいどんな人だろう?

1つだけ情報があった。始めたばかりのコンサートホールのバイトで、「うちは金大生(金沢大学)が多いから美大生は珍しいよ。今は3人だけ」とチーフに言われてから何となく「他のふたり」を意識していたのだが、私以外の2人はあまりシフトに入らないらしく滅多に顔を合わせなかった。1人は「松田さん」という彫刻専攻の2年生男子で、一度だけ一緒のシフトになり「美大生なんだって?」と話しかけられた。そして、どの筋から聞いたのか今では思い出せないのだけれど、松田さんはKハイツの下の住人と同じクラスだという情報を得たのだ。ということは、下の人も彫刻の2年生だ。

1ヶ月以上経っても、私は未だに下の住人の顔も名前も知らなかった。知っているのはその人が彫刻の2年生女子で、名前がバイト先の美大生と似ている「マツダ」だか「マツノ」だかと言うらしいこと。ミラクルな展開として先日話した「松田さん」が実は男性ではなく女性で、この下に住んでいる本人である…という推理もしてみたが、まあ有り得ないだろう。松田さんは身長が180センチ近い人なので遠目でも見ればすぐわかる。
一度だけ、出掛けようと鍵を探していた時、ふと若い女性がKハイツに近づいてくるのが見えて、その人が1階へ向かうことに気づいた私は「あっ、あっ」と慌てて階段を下りその人物の顔を確かめようとしたが、目の前で扉はドラマのようにパタンと閉まった。

しかし、私は最近ある予感を抱いている。
先週、美大の中ですれ違った人に見覚えがあり、「あ、バイトで一度見かけた人だ」と気づいて、なるほど彼女が「3人目の美大生」だと悟った瞬間、何故だか直感的に、その人こそが「下の住人」ではないかと思った。
なんか雰囲気が彫刻専攻っぽい。それに、見た目も2年生くらいな気がする。しかし確かめる術はない。

そんな矢先、ぶらぶらと時間潰しに美大のエントランスホールで展示されていた作品を見ていてハッとした。
これは彫刻専攻の2年生の展示だ。
ということは、この中に下の人の作品もあるんじゃないか?

私は作品をスルーして必死にキャプションだけを探し、「松なんとか」という苗字を探した。例のバイト先で会話した「松田さん」の作品はすぐ見つかった。そしてエントランスホールには見当たらない…と諦めかけたとき、階段口にも作品があることに気づいた。
そこに立っていた大きな木彫りの、人差し指を立てた手の像。添えられたキャプションには「松野美子」という名前があった。

それはまさしく、バイト先の「3人目の美大生」のフルネームだった。

その後、謎の住人改め松野さんと、学校へ行く朝ばったりと、初めて「会った」。
「バイト、一緒ですよね?」と向こうから声をかけてくれて、ふつうにいい人だった。サバサバしていてマイペースな人柄の松野さんは面白く、それからはバイトで顔を合わせるとときどき話すようになり、松野さんが美大を卒業する際には「最後だから」と二人で飲みにも出掛けた。卒業したら、松野さんは制作よりも自然と向き合う仕事がしたいというような話をして、安居酒屋で大きな「わらじコロッケ」をいっしょに食べた。

私は美大に通った4年間を一度も「Kハイツ」から動かなかったが、松野さんは後に引っ越した。新たな入居者が1階に入ったが、私が他の住人に興味を持つことはあれ以来なかった。


コロッケ20220912_16564975_0002


*「彫刻専攻っぽい人?」…文中登場したこの感覚。完全なる私の偏見だが、彫刻を専攻している人はなんだか独特な感じがする人が多い。もともと油絵や日本画に比べて人数が少ない分、「彫刻をやりたい」と志望する熱量が強い。また、木彫や石彫などは体力も相当必要なのであらゆる意味で「強い」感じの人が多い気がする。
同じように、日本画は繊細な雰囲気の人が多い等の印象もあるが、油絵はなんとなく雑多な人種が集まるごたまぜな雰囲気である。






今週もお読みいただき有難うございました。初めての1人暮らしで悩んだこともある近所付き合い。この「謎の住人」はただのミステリーで困ったことなどなかったのですが、隣の一軒家に住んでいるおじさんに美大生であることがわかると「絵を描いて欲しい」としつこくお願いされて、ちょっと困った経験もしました。
日記の中の私はまだ大学1年生。部屋に来る友人もほとんどなく、賑やかな下の住人がちょっと羨ましかったのだろうなあと懐かしく思います。

◆次回予告◆
『ArtとTalk⑳』最近行った美術館の話(←自分とこの企画展が忙しくなる前に行きまくってます。)

それではまた、次の月曜に。



*美大生の日常は淡々と、独特に。↓


お知らせ

宇佐江が4コマ漫画を連載中のポットラック新聞・最新号が出ました!東海圏を中心にアート情報コーナー等にあるフリーペーパーですが、以下からウェブでもご覧いただけます。
最新は16号です!
4コマ漫画『みニャとまちブルース』は毎号の最後のページに掲載されています~。今回はワンコが登場する話を描きました。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?