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(短編エッセイ)朝の値段/ウーロン茶の教え


朝の値段


例えば出勤の朝、目覚ましを止めて少しうとうとしていたら余裕のない時間になってしまったとする。そんな時、真っ先に諦めるのは弁当作り。これにより500円。続いて、朝ごはんをたべるか否かを思案しながら顔を洗い歯を磨き、安全を取って「今はたべない」選択をする。これでプラス300円。
慌ただしく着替え、化粧は日焼け止めと、肌色補正してくれる下地をざっと顔に塗り広げて、目の下のクマだけをコンシーラーで追加補正。皮脂を抑えるお粉をポポポンポンとはたいたら、眉を描き口紅をひき、さらに10秒あれば単色アイシャドウをまぶたにのばす。これで、最低限社会人が保つべき清潔感はばっちりである(と願う)。
ここはある種自己満足の領域なのでプライスレス。

無事いつもの電車に間に合う。職場近くのコンビニで顔馴染みの店長さんと世間話を交わしながら、お会計、お昼ごはん代約500円と朝のおにぎり&コーヒー約300円で合計約800円也。
つまり私にとって、こういう日の朝の値段は800円だ。

また、自分の不注意でなくても発生する朝の値段がある。長距離通勤者の敵、遅延である。

自宅から職場まで、バス35分→電車25分→徒歩15分プラス乗り継ぎで、毎朝約1時間20分かけて通勤している。向かう先は(色々あっても何だかんだ)好きな職場だし、本も読めるし、さほど苦とは思わないのだが、困るのが先ほど申し上げた遅延である。
実は大幅な遅延ならさほど問題ない。
テレビでテロップが流れるほどの遅延や運休ならば、誰の目にも明らかなアクシデントであり、遅刻しても言い訳が立つ。優しい人からは「大丈夫だった?」と心配までしていただける。
問題は、利用者しか感じない微妙な遅延だ。

特に困るのがバス。電車と違い、道路事情でダイヤが変化するバスはもともと波がある。遅れて来た上、手品のように毎信号赤でひっかかっていると、通常なら35分後駅に着いているはずなのに、気づけば45分。たった10分の差だが、確実に電車には間に合わない。しかも恐ろしいことに、後続の電車は22分後なのである。

そういう日、私は「バッド・デイ免除」としてタクシー利用を自分に許している。後続の電車ではなくその前に来る、職場の最寄駅の1個手前が終着の電車に乗り、そこからタクシーを使うのだ。
勿論もったいないと思わなくない、小市民。
けれど、後続を待ち遅刻ギリギリで仕事前に焦るのも嫌だし、かといってひと月に2度か3度あるかないかのバス遅延に備えて、毎朝10分早く起きるほど私は人間が出来ていない。

タクシー代、約1500円。

単純に足代だけでなく、時の運、仕事中のパフォーマンス維持、己のずぼらさ、そして1時間20分の通勤を10年以上続けてきた自分へのボーナスの気持ちも含んだ、特別な朝の値段である。


ウーロン茶の教え


新人さんの季節である。

私が勤める職場も、新卒ばかりでなく異動や転職組も含めて、今年度はかなり人が入れ替わり、何やら爽やかな風に満ちている。社歴による信頼を受けて、私もそうした新人さんたちの研修を行ったり、業務を見守る日々である。
得意不得意はべつとして、人に何かを教えることは嫌いではない。
なんというか、ふだんは慣れで簡単に思う業務も、初めての人からすればそれなりに知識を得、経験を積まないと対処できないものだということを実感することで、仕事へのやりがいが蘇るような気がして好きだ。
しかし、当人たちの気苦労はいかばかりかとも思う。

そんな時、私は自分自身が新人だった頃を思い出す。特にあの、ウーロン茶の教えを。

以前勤めた会社で、大学卒業してすぐのほんとの新入社員だった頃。

私はラッキーな新人だった。配属された勤務先が、パチンコで勝った祝いに出前をおごってくれるような気前のいい館長を始め、みんな優しく(キャラは強いが)アットホームな職場だったからだ。何かというと、「これ、やってみる?」とか、「これから現場行くけど、一緒に行く?」など、足手まとい以外の何物でもない頃の私にさまざまな経験をさせてくれた。

時間のやりくりが下手で、いわゆる仕事の優先順位がわからず、確実に自分が(失敗せず)やり遂げられる仕事を無駄なほど丁寧にやり、時間をくっては「あれもまだこれもまだ」と焦ってばかりいた私。

ある日館長が、いつも水道水ばかり飲んでいる私を憐れに思ってか
「これからは湯を沸かしてそれを飲め」
とウーロン茶のティーバックを買ってくれたことがあった。気遣いがとても嬉しかったが、実はちょっと困った。

ウーロン茶は好きなのだが、1階の事務室横の水場にはコンロがない。湯を沸かすには、3階にあるパントリー(配膳室)に行かねばならないし、沸かしている間は火を使うので当然その場を離れられない。都合10分ほど席を空けることになる。今ならば、たったそれだけの離席がどうしたと思うのだが、自分の成すべき業務すら手一杯の新人にとって、その10分の時間調整がどうにも出来ず、「せっかく館長が買ってくれたのに…」と思いつつ、次第にお茶づくりは毎日が数日おきになり、しまいにはパートさんが代わりに作ってくれるようになってしまった。

翌日から泊りがけの新人研修が始まるので、しばらく職場に来なくなるという日。過酷な山籠もり研修だともっぱらの噂だったので、その日会う先輩やパートさん皆から「がんばってね!」と励まされた。そして昼休み、偶然事務室で館長とふたりのとき、ぽつりと言われた。

「今、お茶係やらせとるじゃんね」
「はい」
「あれは、そういう時間をどう作ってくかってことを学んで欲しくてやったことだ」。

なんということだ。それじゃ、パートさんにやってもらっちゃぜんぜん意味ないじゃないか!私は自分を恥じた。けれど館長は、叱るでもなく淡々と続けた。
「研修にも繋がることだけど、とにかく言われたことをやれ。そこには何か意味が隠されてるかもしらん。自分では思いもよらない考えが。だからとにかく、素直にやれ。まあ、あんたはできるわ。大丈夫だわ多分。だからあんまり心配しとらん」


うまくできているかわからないけれど、それ以降、自分のまわりに来る新人さんたちを気に掛けるとき、優しい気持ちでいたいと思うのは、あの頃の自分が優しく育ててもらったからだと思う。
そういう連鎖が世界にも繋がって欲しいとささやかながら願っている。





今週もお読みいただきありがとうございました。
皆さんは、新人の頃のなにを思い出しますか?

◆次回予告◆
久々の美術館ハシゴ旅。さてどこへ?!

それではまた、次の月曜に。


*こちらも新人の頃の思い出↓


*宇佐江みつこの短編集。その他はこちら↓



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