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雨の日は森へ

月のはじめに、大学の先生の森林に関する面白い講義を聴いてから、森林に関する読み物を読みたくなってきました。
ちょっと前まで、森林についての雑学を知ったところで、仕事で使うでもないし、(前の職場はいわゆる役所だったので、森林に関する部署ではあったものの、事務手続きの知識を身に着けることが優先され、樹の特徴どころか名前を知っている人すらあまりいないような状況で、思えば星の王子様の冒頭部分に近いような心境があったのかも……)、経済などお金に関わることならまだしも、森林生態系のことなどいろいろ知ってても単なる自己満足……と思っていたこともあったのですが(中途半場に仕事にかかわりそうなことだとついこういう気持ちになってしまい、よくないですね)、まあ役に立つ立たないではなく、面白いから読むでいいんじゃない、と思えるようになってきました。漫画や小説だって、読む人みんなが創作者を目指すわけではないのだから、研究するまではしなくても、今どんな研究がなされてどんなことがわかっているのかをただ知るだけなのもありでしょう。


 僕は、沖縄の都会に住み、週におおよそ五日は大学に通い、その中にカンヅメとなる。にらめっこしているのは、生き物ではなく、学生達であり、それよりも多分にパソコンや書類だ。
 ところが、妖怪人間であるから、僕は妖怪的な部分も持ち合わせている。
 毎日、朝から晩まで都会で暮らしているうちに、僕の中の妖怪的な部分が、悲鳴を上げる。すると、矢も盾もたまらなくなって、沖縄島の中でも自然が残る、ヤンバルに向かって車を走らせることになる。那覇からヤンバルの森までは、車でニ時間程もかかる。その車中で、少しずつ僕の中の妖怪が解きほぐされていく。
(本文より)

 この本では、生き物が本当に大好きで、森にこもって黙々と生き物の観察をしている人たちのことを妖怪に例えています。
 作者も、普通の人は比べると相当自然が好きな風変わりな人ではありながらも、この本に登場する人たちと比べると、まだまだだということで、うまい表現だと思いました。
 私も昔から生き物は好きで、この本の中に出てくる妖怪のような人のように、子供のころはよく石をひっくり返したりなどしていました。(主に、家の庭か川の中、林の中ではあまりやっていなかったような気がしますが)。おお、懐かしいと思いながら読んでいましたが、今ではそんなこともすっかり忘れてしまっていました。
 今でも山登りは好きでたまに行くのですが、一つの場所に留まってじっくり林内で何かを探すということはほとんどなく、道があるところをてくてく歩いてその周辺の景色だけ見て、ということをしているくらいです。まあ、私有地などもあるでしょうからあまりやたらめったら歩き回るのもどうかというのもなくはないですが。
虫やきのこ、珍しい植物などのように、探す対象がない来てただウロウロしているだけだと、林の中へ入って深呼吸などしたりしてみたところで、なんだか間が持たないのは私だけではないでしょう。
学生の頃、きのこ狩りへ行って「こういったキノコを探して下さい」と言われ、ほとんど移動もしないまま同じ場所をひたすら何回もぐるぐる回ってと、そういう行動をとったほうが、その場所に親しめるよな、という気はします。誰かと仲良くなるときなども、ただ雑談をするだけでなく、仕事や活動などを通して長い時間を共有したほうがどういう人だかよりわかってくるのと同じ原理かもしれません。私も森とそういう関係を築いてみたい気もしつつ、まずは森のそばに住んでみることから始めるようか?

 起きたらすぐ自然の中に入れるよう、林道わきに車を止めて車中泊、というのも、以前似たようなことをしていました。
そうならざるを得ない時期がありました……、学生のころは、部屋の中で寝るのがなんだか息苦しくて、休みがあったら屋外へ行って、車中泊でもテント泊でもいいからとにかく野宿したいと思っていました(と思いつつも、それほどはできなかったですが)、人と接するよりも山の中にいるほうが楽で、今から思えば、私の中の妖怪の部分が最後のあがきをしていたのだろうか、そうして今は妖怪部分は瀕死状態……、なんてことを思ってみたり。

 著者の方がかつてお勤めされていたという、自由の森学園という学校は、小学校のときの友人が進学したので名前はけっこう昔から知っていました。その後も、大学の下宿の先輩がそこ出身だったり、星野源の出身校だと聞いたり、今の職場にもその学校の卒業生がいたりと、行ったことはないけれども、興味のある学校ではあります。私もそういう学校で理科の勉強をしてみたかったなという気がしないでもないです。

最後に、え、こんなことも発見されてるんだと驚いた部分がありました。1997年の雑誌ネイチャーに掲載されたリードの論文によると、北米の温帯林における菌根ネットワークについて、森林内において、樹高が高く光合成をおこないやすい場所にある高木のカバと、あまり光が当たらないところにある低木のダグラスモミとの間で、菌根を通して物質が移動していることが発見されているそうなのです。(放射性同位体で目印した二酸化炭素を機に取り込ませる手法によって調べたとのこと)。
違う樹種どうしなのにこんなことが行われているだなんて、私は驚きました。
リードは、これまでは植物同士の競争ということに力点が置かれていたけれども、資源の分配という視点にも注目をする必要があると指摘しているそうです。さらに、そのような分配システムが森の多様性を生み出しているのではないかとのことだそうです。
1997年といえば、私はまだ高校生で森林の分野に足を踏み入れてはいなかったのですが…、そんなころからもうこんなこと言われてたの? 大学でも職場でも森林関係の雑談でも、こんな話きいたことなかっけど…?? と驚きました。
これについても、また少しずつ調べてみたいと思います、こういうことを考えながら山を歩いたら、まち違った景色が見えるかも……!?

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