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埼京線イス取りゲーム

 17時を過ぎたというのに、まだ1件も契約が取れない。同業他社の営業マンに先を越されてしまった。今日に限った話でもない。要は営業に向いていないのだ、俺は。

 とはいえ営業以外の分野で何かできるかといえば、別にそういうわけでもない。大学はそこそこ名の通ったところに入ったものの、怠惰のために留年を繰り返し中退。かろうじて零細企業に拾い上げてもらった俺には、当然ながら何の技術もない。こんな生活を、俺は死ぬまでつづけなければならないのだろうか。

 そろそろ帰宅ラッシュの始まる新宿駅は会社員と学生とで混みだしている。俺は一度オフィスのある大宮へ戻るため、JR東口改札を抜け4番線のホームに向かう。

 ホームへとつづく階段を駆け上り、あと一歩、というところで湘南新宿ラインを逃してしまった。しかたない。埼京線で行くことにしよう。

 乗車を待つ人々が2列に並ぶホームで、俺は列の先頭に立っている。年甲斐もなくド派手なピンクのワンピースを着た婆さんが隣に並んでいる。彼女の足元にはこれまたド派手なシャンパンゴールドのキャリーバッグ。こんなでかい荷物を持ち込むなんて迷惑なババアだな。

 電車が到着すると、婆さんは乗車口すれすれにまで顔を近づけた。そしてドアが開いた瞬間、降りてくる客を押しのけながら無理やり電車に乗り込んでしまった。おいババア、降りる人が先だろうが。

 俺が車内に乗り込んだ時、ババアはすでに何食わぬ顔で席の一番端に腰掛けていた。特等席に座るババアを恨めしい思いでにらんでいた俺は、ふと反対側の列に1人分の空席を見つけた。空席の前には2人組のサラリーマンが立っていて、座りたそうな雰囲気をほのかに漂わせつつも互いに遠慮しているのかどちらも座らない。チャンスだ。俺は網棚に上げようとしていた鞄を肩に掛け直し、反対側の席に向かった。

 その時、背後に立っていたポロシャツ姿の爺さんが驚くほど俊敏な身のこなしで空席を埋めてしまった。くそ、またしても先を越された。気づけば俺の周囲には、他にもまだ爺さん婆さんが数人立ち、猛禽類を思わせる目つきで空席を探している。これでは大宮までの約30分間、どうやら俺は座れそうもない。

 思えば俺はいつもこうだった。直感が鈍い上に優柔不断で、グズグズしているうちに結局好機を逃してしまう。営業成績が悪いのもこの性格のせいだ。密かに恋焦がれていた女の子に想いを打ち明けてみたらつい1週間前に別の男と付き合い始めたことがわかり、しかも彼女はずっと俺に好意を寄せていたのだということを本人から聞き、歯噛みをしたこともある。とにかく俺はグズなのだ。常に誰かに先を越されてしまう。埼京線のイス取りゲームにすら勝てやしない。

 何もかもが嫌になってきた。こんな人生、もういっそ終わりにしようか。池袋駅で一度降り、次の電車が来たら線路に飛び込むだけでいい。そうすればこの世知辛い世の中とおさらばできる。

 不意に電車が止まったかと思うと、車内に車掌のアナウンスが流れた。

「お客様にお知らせいたします。ただいま池袋駅にて人身事故が発生いたしました」

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