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愛と正義の赤ちゃんごっこ【3ーB】

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【あらすじ・主な登場人物・もくじ】

 キラキラ輝く街をふたりで歩いていく。熱いほっぺたに夜風が当たる。まだ梅雨はあけてないけど、きょうは雨もふっていないし、そんなにむし暑くもない。私は自転車を引きながら、灰塚さんの横顔をちらっと見た。

「愛ちゃん、だいじょぶ?」

「えっ?」

「まっ赤になってるよ、顔。だいぶ酔ってるのかな?」

 なんて言えばいいかわからなくて、立ちどまった。電灯のあかりに照らされて、まぶしいくらい白い笑顔で灰塚さんが言った。

「オレのこと、こわい? 泣きそうな顔してるけど」

「いえ、そうじゃなくて」

 180センチはありそうな、筋肉質だけどほっそりした体。それをささえる長い脚。ものすごく小さくて整った顔。どこをどう見ても、灰塚さんは美しすぎる。ふつうのTシャツとジーンズがこんなに映える人を、私はいままで見たことがない。

「失礼ですけど、灰塚さんって外国の血が入ってますよね?」

「うん、母親がドイツ人なんだ」

「やっぱり。私も、父がイギリスと日本のハーフらしくて」

「ああ、言われてみればたしかに」

 まじまじと私の顔を見つめる灰塚さん。思わず目をそらしてしまった。

「ていうか愛ちゃん、いちいち敬語つかわなくていいよ。あと灰塚さんじゃなくてギュンターでいいから」

「ギュンターっていうんですね、下の名前」

「ミドルネーム。下の名前は一郎っていうんだ。ありえないだろ? この顔で一郎だよ?」

 ふきだしてしまった。

「笑いすぎだよ愛ちゃん」

「だって……ごめんね一郎くん」

「一郎くんはやめて。たのむから」

「じゃあ、ギュンちゃん?」

「ギュンちゃんか。そんなふうに呼ばれたことないけど、いいね」

 そう言うと灰塚さん――ギュンちゃんはにっこり笑った。それでもどこかさびしそうな笑顔を見て、なんだか胸が苦しくなった。

 横断歩道の前で信号待ちをしている間、私はスマホを取り出して、待ち受け画面のネコをギュンちゃんに見せた。

「ねえねえギュンちゃん、見てこれ。かわいいでしょ?」

「スコティッシュフォールドか」

「知ってるんだ。ネコくわしいね」

「知りあいがそのネコ飼っててさ、オレはドラって呼んでるんだ」

「ドラ?」

「ほら、耳がたれてて顔がまんまるじゃん? ドラえもんに似てると思って」

「あはは。たしかに」

 信号が青に変わった。横断歩道をわたりおわったところで、ギュンちゃんが立ちどまった。

「よかったら、酔いざましに公園でも散歩しない?」

 スマホの時計を確認すると、ちょうど9時になったところ。お母さんには、きょうはバイトの送別会に行く、とメッセージを送ってある。あんまり遅いと怒られるだろうけど、10時くらいまでに帰ればゆるしてもらえるはずだ。

 井の頭(かしら)公園の散歩道は、中学生のときにも何度か、男の子とふたりで歩いたことがある。ぼんやりと歩道を照らす電灯。その光を反射しているところ以外、暗くてほとんどなにも見えない大きな池。街の明かりをさえぎるように公園全体をおおうたくさんの木々。ところどころにカップルやマラソン中の人、犬の散歩をしている人なんかもいて、ひっそりとしているけど活気がある感じ。まわりの人からしたら、ギュンちゃんと私はカップルに見えるんだろうな。

 しばらく歩くと、むこう岸のボート乗り場につながる橋が見えてきた。暗い池の上でライトアップされた橋がかがやいている。私は自転車をとめ、そこにあるベンチに腰を下ろした。隣に座ったギュンちゃんといっしょに橋のライトをぼーっとながめる。

「愛ちゃん、ちょっと手ぇ見せて」

 ギュンちゃんが私の手をぎゅっとにぎった。

「手、小さいね。かわいい」

 私はその、大きなあたたかい手をにぎり返して言った。

「ねえ、ギュンちゃんは身長いくつ?」

「183センチ。愛ちゃんは?」

「153」

 ふいに目が合った。

「オレたちの世界観って、30センチも違うんだね」

「世界観?」

「オレが見てるものと、愛ちゃんが見てるものは全然違うってこと」

「そんなの考えたこともなかった。おもしろいね、ギュンちゃんって」

「愛ちゃん、オレの見てる世界はどんなか、見てみる?」

 そう言うと、ギュンちゃんはいきなり私を抱き上げた。

「ひゃあっ」

 びっくりしてヘンな声が出てしまった。

「どう?」

 ギュンちゃんと同じ高さから見る井の頭公園。いつもよりずっと高い目線で、観覧車に乗っているみたいだ。池にかかる橋がメリーゴーランドみたいにキラキラしている。

「めっちゃ高い。でも重くない?」

 私の体をベンチに下ろすと、ギュンちゃんはちょっと得意げに笑った。

「全然軽いよ。これでもいちおー体育会系だからオレ」

「体育会系ってなにやってるの?」

「中、高、大学とサッカーやってるんだ。うちの大学の付属校で教えたりもしてる」

「すごーい。プロめざしてるの?」

「まさか。ただの趣味だよ。愛ちゃんはサッカー好き?」

「うーん、正直あんま見たことないや」

「もしよかったら今度の日曜、オレが教えてる小学生の試合見に来ない?」

「いいの? あたし関係ないのに」

「つめたいな。わざわざ来るのめんどくさい?」

「そんなことないよ。絶対行く。っていうか行かせて」

 橋のところまで歩いていくと、ふいに強めの風が通りすぎた。ボート乗り場にあるたくさんのボートがひしめいている。私はボートを指さして、ギュンちゃんの顔を見上げた。

「ねえ、あれ乗ったことある?」

「いや」

「じゃあさあ、今度、昼間にここに来たときいっしょに乗らない?」

「いいね。次の日曜――は試合だから無理か」

「あしたは放課後行事あるけど、火曜か水曜なら空いてるよ」

「火水木金はオレ、いそがしいんだよね」

「土曜は塾があるしなあ」

「まあいいや。ボートはまた今度にしよう」

 おたがいの電話番号とかを交換しおわると、ギュンちゃんは家まで送ってくれた。

「愛ちゃんちのネコ、今度見せてほしいな」

 マンションを見上げて、ギュンちゃんがそう言った。

「えっ、あたしネコ飼ってないよ」

「えつ、あのスコティッシュフォールドは?」

「あれはネットで拾ったの」

「なんだ拾いネコか」

 ふたりで笑いあって、それからふいにため息がもれてしまった。

「送ってくれてありがと。日曜の試合、楽しみにしてるね。おべんとつくって持ってくから」

「オレも楽しみだよ。あとで会場までの行きかた知らせる。それじゃ」

 大きな影が小さくなっていくのを見送りながら、試合に持っていくおべんとうのメニューを考える。あしたからはもっと、しっかり料理の腕をみがこう。それとダイエットもがんばらなきゃ。

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