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テレビ番組が面白くないのは、多様化の影響である。

 最近、年齢を重ねたこともあり、感動や共感に変化が出てきた。

SNSなどのマンガを見てると、共感する内容が弱いのか、まぁ共感はするけど…。とか、凄く感動しました的なツィートを読んでも、あまり共感しないような事が増えてきた気がする。

 これは、ただ単に筆者個人の価値観なのか、社会的な問題なのか考えてみた。

筆者のなかの推論
 多様化した社会では、多様化が進むと小規模なコミュニティが多く生まる。
最近は会社内で、プライベートの話をしない傾向が強まっているという、これは微弱な関係を好む人が増加していることを意味している。現代社会では、微弱なつながりと微弱な共感を求めているのでないのか。

推論を元にGPT-4に質問してみた。


GPT-4の見解

 多様化した社会では、異なる価値観や文化が広がり、それぞれのコミュニティが細分化されることが増えます。その結果、コミュニティの規模が小さくなりがちで、弱いつながりや共感が生まれやすくなります。人々は、自分自身を安心させるための手段として、自分たちと同じ価値観や興味を共有する限定的なグループに所属することがあります。

しかし、このような現象には、良い面と悪い面があります。良い面としては、異なる背景を持つ人々が協力し、新しいアイデアや価値観を生み出すこともあります。

悪い面としては、コミュニティが明確であることで、異なるグループ間での対立や偏見が生じやすくなることが挙げられます。
興味を持ちにくくなり、社会全体としての連帯感が薄れることが問題となっています。


と概ね筆者の推論と類似していた。
多様化していく社会では、図-1は、総数の増加に伴い、価値観が多様化するときを単純化した図である。

図-1 価値観の多様化

 多様化して行くほど、価値観が別れていく。分化された価値観は、元の価値観より数値が高くなるのには時間がかかる傾向にある。 
 この価値観の細分化の現象は、書店でのタイトル数の増加や新しいメディアの登場でテレビの視聴率の低下の問題と類似している。

 面白い本が少なくなった。楽しい番組が減った。などの問題は、価値観の多様化からくる現象である。

 この価値観の多様化からくる現象を学校の教育に当てはめてみると、小学生の1クラス35人学級問題に当てはめると。35人もの生徒がいると、1人1人の価値観バラバラすぎて、連帯感が得られない。子供と子供を結ぶ公約数が少ないためである。また子供のなかには、学校自体に興味が無く、学校のシステムに合わない子供たちが、現に出てきている。

まとめ

 価値観が多様化した社会では、興味が薄れがちになり、社会全体としての連帯感も薄れるてくる。この問題は、価値観の多様化から起きている。子供のように弱い立場の人たちが、弱いつながりや弱い共感を求める傾向になると、孤立や孤独を感じることが多くなる。だからこそ、親や大人が協力し、新しいアイデアや価値観の違うグループ同士を橋渡しをする環境を生み出す必要がある。
 そもそも先生1人での仕事量がキャパオーバーであり、学校という組織のシステムエラーである。国の方も、少子化の問題と共に学校の在り方も議論してほしい。先生たちの正義感だけに任せるのは酷すぎる問題である。

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