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「生まれる」

2029年、ある一人の独白。


「私のお父さんは"芸能人"です。俳優です。私ははじめからお父さんがお父さんだったのでよく分かりませんが、名前を言えばいつも驚かれます。世間では"実力派俳優"と言われているみたいです。お母さんは女優でした。そこそこ売れっ子だったみたいで、今でも大勢の誰かがくれた手紙を大切にしています。お母さんは、結婚して私が生まれるタイミングで引退しました。
大事に大事に育てられました。お父さんにもお母さんにも愛されて、何不自由なく幸せに育てられました。普通に幸せでした。普通に、幸せでした。

17歳のある時、学校に行くために家を出て少し歩いたところで、30代くらいの男の人とカメラを持ったおじさんに声を掛けられました。週刊誌の人でした。お父さんが若い女の人を妊娠させ、無理やり堕ろさせたそうです。混乱しましたが、物心ついた頃からお父さんが女の人をすごく好きだということを知っていました。浮気しているのも知っていました。だから不自然なことではなかったです。お母さんがいつも「あの人はどうしようもない人なのよ」と言っていました。何も言わないお母さんに当たってしまったとき、「家に帰ってくるだけまだマシでしょ」と言われました。仕事で朝まで帰らないことがよくありましたが、大体は女の人と過ごしていたんだと思います。それでも、地方に行ったときはお土産を買ってきてくれて、たまに休みがあればわたしが行きたいところに連れて行ってくれて、愛されてきました。そうしているうちに私も家に帰ってくるだけまだマシだと思うようになったので、お父さんが外で何をしていようがどうでもよかったです。心底気持ち悪いとは思いますが。
週刊誌の人には「分かりません」と答えて、逃げました。この日のことは一生忘れません。
次の日、ニュースでお父さんを沢山見ました。ネットでもトレンド入りしていました。Twitterを見ていたら、顔も名前も知らない大勢の誰かにクソメソに書かれていました。写真も載っていました。気持ち悪すぎるLINEのスクショもありました。
家の前に沢山の車が停められて、外に出られなくなりました。学校も休みました。お父さんから、しばらく帰れない、ごめんと連絡が来ました。大迷惑です。
記者の人たちからはお母さんが守ってくれたので私は何もされていませんが、近所迷惑だし、お母さんもすごく疲れているし、本当に、すべて最低だと思いました。でも、お母さんはお父さんのことを何も言いませんでした。言う気力がなかっただけかもしれませんが。

しばらくして、偉い人の愛人問題がニュースに流れました。トレンドにも入っていました。Twitterでも大騒ぎです。歴代のやらかし有名人や偉い人が並べられて、この国は終わってると書かれていました。お父さんの名前と写真もありました。新しい話題が出るたびにターゲットが移り変わって、何も関係しない他人が叩いて、叩かれて。どうでもいいけど、みんな同じなんだなと思いました。

学校に行ったら、教室でも廊下でもジロジロ見られて、陰口を言われるようになりました。口を聞いてもらえなくなりました。グループワークなんて最悪です。私以外で話し合いをして、メモを書いているかと思えば私の悪口を書かれてコソコソと笑われていました。心臓がぎゅっと痛みました。ズキズキと、ジリジリと、だんだん痛みが増していきました。「性欲モンスターの娘」「殺人犯の娘」「犯罪者予備軍」と書かれた紙が机に、下駄箱に入っていました。はじめはどうでもいいと思っていましたが、毎日続いて辛くなってきました。自分は性欲モンスターの娘で、殺人犯の娘で、犯罪者予備軍なんだと思うようになりました。実際そうなのかもしれません。それがすごく怖かったです。教室にいると心臓が痛いので、トイレによく行くようになりました。毎日、涙がボロボロ出てしまいました。
全部お父さんのせいです。

お母さんが私を心配していました。お母さんに余計な心配をかけたくないので黙っていたけど、黙っていることで心配をかけていることに気付いたので、話しました。涙が出てしまいました。お母さんも泣いていました。
少ししてからお母さんが部屋に来て、「あなたにそんなことを言う人たちは、あなたとあの人が別の人間であるということを分かっていない、まだ物事の分別がついていない子どもなのよ。あの人の娘でもあなたはあなた、お父さんとは別の人間よ。嫌なことを言ってくる人には、傷ついてるフリでもしてあげて無駄な時間を与えてやりなさい。」と言いました。たしかにそうだと思ったその時、初めて私がお母さんの血を引いた娘だと思いました。傷ついてるフリしてあげる、無駄な時間を与えてあげる、絶対に気付かせてあげない、そう思いました。

次の日から、何を言われてもトイレに行かないようにしました。直接悪口を言われたら、うつむいて傷付いているフリをするようにつとめました。そうしているうちに、本当に涙が出てくるようになりました。お父さんのせいでこんな目に遭わされているということ、それでもお父さんに愛されて育ってきたこと、お父さんを信じたかったこと、信じられなかったこと、そして私を欲求のはけ口にしている目の前のこの人たちが哀れで、可哀想で、涙がポロポロ出るようになりました。私が泣くようになったら、どんどんエスカレートしました。上履きがなくなって困っていると川に捨てたと言われて、新調したら次の日に切り刻まれて。体操着がなくなりました。財布も盗られました。体操着が教室のベランダの排水に水浸しで見つかったときは学年集会が開かれましたが、私は傷付いているフリをしているだけなのでどうでもよかったし、もっともっと無駄なことをし続けて、それに気付けないまま朽ちていけばいいと思っていました。
そうしているうちにいじめのターゲットが私じゃなくなりました。ここまで何もなかったかのようにだんだんと自然に話しかけられるようになり、相変わらず、みんな同じなんだと思いました。

お父さんが帰ってきて、いつのまにか3人で普通に生活していました。お父さんが帰ってきた夜土下座して謝っていて、お母さんが命をなんだと思っているんだと泣きながら怒鳴っている光景は初めて見ましたが、結局お母さんは、お父さんが好きなんだそうです。私にはよく分かりません。お父さんのことは許さないし、許されるべき人間ではない、死んでも償えないと思います。他人を傷つけて小さな命を殺したこと、死ぬまで苦しんで、私やお母さんといることで思い出させられながら苦しみ続けるべきです。お父さんはガリガリに痩せ細って変わってしまいました。外にも出なくなりました。笑わなくなりました。それでもお父さんはお父さんの人生を、罪を償うために、生きています。私はお父さんに愛されて育てられたことに感謝はしているし、毎日涙を流しながら死にたくても生きるお父さんを見て、この人が私の父であることを初めて、実感として知ってしまいました。

卒業したら何になりたいとか、人生とか、あの時は心底どうでもよかったけれど、24歳の今、私は女優をやっています。泣く芝居をしたあと、いつもあの時のことを思い出してしまいます。
親の七光りだとたまに言われるけれど、私は私の人生を生きているだけなので、誰がどう思っていてもいいです。嫌なことを言いたい人はいつまでも言い続けて、無駄な時間を過ごせばいいと思います。お父さんが偶々私のお父さんであったからあの時があって、お母さんが偶々私のお母さんであったから強くなっただけです。私の人生は私のものです。死ねと言われても生きる権利がある。あなたのために私は死なない。人生に意味なんてないけれど、私には嫌な言葉に心を使って無駄な時間を過ごすヒマはありません。本当に傷つくときは、正しく傷つきます。
そして残念ながら、私は普通に幸せです。
ただ、親の七光りはあながち間違いではないのかもしれません。」

『私が女優になった日。』

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