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お別れの歌

「人生で大切な曲三選」とか「思い出に残っている曲」とか、答えなんて出せなさそうな楽しいことをよく考える。それは昔、将来子どもが出来たらどんな名前を付ける?と考えたあの時の感じと似ている。

………
お別れの歌/never young beach

この曲は2016年にリリースされた「fam fam」というピンク色のアルバムに収録されているのだけれど、小松菜奈さんが出演したMVが一時期話題になって、それで知った人も多いだろうと思う。

初めて聴いたときはいい曲だなくらいの感覚だったけれど、いつのまにか、人生を歩いていくほどに、大切な曲になっていった。この曲が素晴らしいのはもちろんだが、この曲の収録されているアルバムが本当に素晴らしい。
誰にでもある日常のどこにでもある物語だけれど、本気で泣けるくらいには愛している。どこにでも誰にでもあるものを、自分も持っていると気付かされたときの感動たるや。

大学生の頃、何が気に入っているわけでもなく、なんとなく通っていた美容院があった。
というのも、初めて行った時にたまたまこのピンクのアルバムの「fam fam」という曲が流れていて運命を感じた(痛)から通うことにしたという不純動機客だった。
美容師さんにこのアルバムの話をすると、「このアルバムの最後の二曲(「明るい未来」と「お別れの歌」)どっち派?みたいな話あるよね〜」と言われた。初めて聞きました、と思ったが、間髪入れずに「どっち派?」と聞かれたので咄嗟に考えて「んーーー明るい未来ですかね〜(ゴニョゴニョ)」と答えると、まさしく解答として正解だったみたいな顔で頷きながら「俺も俺も!!(ゴニョゴニョ)」と言われた。
その時はお別れの歌より明るい未来をよく聴いていたし良いと思っていた。いや、今もそうかもしれない。だから明るい未来だと答えただけで、どっちも好きだった。

ピンクのアルバムには、
「Pink Jungle House」
「Motel」
「自転車に乗って」
「fam fam」
「なんもない日」
「雨が降れば」
「夢で逢えたら」
「明るい未来」
「お別れの歌」
の順で曲が収録されている。

以下、物語概要。

どこへ行こうか」「ジャングルの奥へ行こうか」好きな人に弾んだことを言ってしまう単純さが情けなくも楽しい、そんな道の途中にはたいていMotelがあって「君の横顔風に吹かれて妙にかわいいね」って、その辺りで何気なく気付いたものが一番大切な核心を突いたものだったりする。好きだと思ったその時あなたとしたいことといえば結局自転車に乗ってちょいとそこまで歩きたいというちっぽけなことで、この日々を止めたくないから何かあるなら話そうとして、話せなくて、ろくでもないジョークが僕は大好きなのさ怒らないでくれよ淋しいだけなのさ、ってなってしまう。ごめんね愛しい人よ。そんなこんなでなんもない日をくり返すけど、なんてことのない日になんとなく窓を開けて髪がなびくその光景を妙に覚えていたりして。結局振り出しに戻るのよ。同じことの繰り返しだよね。「雨が降れば古ぼけた帰り道が僕らを笑うから踊ろうよマイガール」なんつって。うける。うけるんだよ本当、でも今は当たり前に、ジャングルの奥に行くよりいつかの話をしよう、だって今なら笑えるでしょう
あなたは夢じゃない、これは夢ではない。当たり前にいる。なのに。あなたに夢で逢えたら、と思う。贅沢だね。幸せだね。夢で逢えたら溢れる言葉を繋ごう淋しいなんて言わないし、僕なら元気でいるし。手を振るよ、なぜならまた逢えるから。いや待てよ、強欲だと思われてもあなたに夢で逢えたら素敵なことだと思うわ届くかな聴いてておくれあなたに歌を歌うわ
でも、本当は分かってる。私たちまだまだだから。今は忘れたことにして、とりあえず明るい未来の話しでもしようよ。ろくでもなくていつもごめんね。そう思ってる。愛しているよ言えやしない。
だから「流れ行く日々を過ごして変わりゆく街に驚かされても二人で並んで歩こうそれすらもきっと歌になる。明るい未来で、どんな寒い夜でも君と二人でふざけたダンスを踊ろういつまでも側にいてくれよ。」


これがこのアルバムの「お別れの歌」までの物語。太字は歌詞引用。
運命みたいな出来事も奇跡みたいなきっかけも何もない。ただ、いるだけ。繰り返して、繰り返して、それでもまだ夢で逢えたらいいなと思う。いつまでも側にいてほしいと思う。それだけでいいのに、いつまでもこのままが一番難しい。ちょっとしたことでよかった。いるだけでよかった。私だってあなただってそう。
それなのにいつのまにか理由を探して、でもダメなことなくて、なのに、だから?
このままじゃいけなくなっていって、言えないことも増えて秘密も何もかも自分だけのものになっていってあれ?って。
贅沢。意味分からん。情けない。
そしてこうなる。

あー君には 言えやしないよ
あー君の目を ちゃんと見て話したいよ

うまくは言えないが
聞いてはくれないか
眠れない夜が増えてきた
僕はダメだな

あー君の前で 泣きたくないよ
あー君の目を ちゃんと見て話せないよ

お別れのときだよ
君とはいれないな
2人だけの秘密は全部
日々に溶けたよ

いつかまた会えたら
聴いてはくれないか
陽気な歌でも歌うから
愛していたよ
お別れの歌/never  young beach

「いつかまた」なんてないって分かっておきながらそういうこと言う。言えなかった「愛してた」を最後だと思うから言えてしまう人間のこの醜さっていうか愚かさっていうか美しさっていうか。本当にばかだなぁ。
全員もれなくどう転んでもばかだと思っちゃうよね。

でも、最終的にはそこに本物があると思ってしまう。
この一曲で全部、私の、私たちの醜いだめなところも、誰が触れても壊せないくらい綺麗で残酷なところも全て、表されているように思える。



追記:
関係ないと言えばないしあると言えば盛大にあるのだが、MVの構成と演出がすごい。
音源は3分14秒なのにMVは7分31秒ある。
まず画角は一番近くにいる人が携帯で撮ったであろう縦画面で、二人のなんてことないつぎはぎの日常が映される。
他愛ないことしか話してないし映されてないけど、それが逆に「うわぁまじで好きだったんだなぁ」って感じさせてくる。世界にたった一つの、ホームビデオに子どもが映されるのと似たような愛だ。
ざーっと日常が流されて3分40秒あたりで曲が始まる。
日常と「お別れの歌」が同時に流れて、6分50秒あたりで曲が終わって最後は日常の映像に戻って終わるという構成なのだけれど、音をよく聞くと、MVの0秒地点からずっと、【水の音】が流れている。
川みたいなザーって音ではなく、生活の中でよく聞く、残った水が流れていくようなチョロチョロした音。
蛇口回し切れてない時の音。
その音が、曲が終わって日常の映像に戻って10秒くらい後、7分00秒あたりでピタッと止まっている。
そのあと30秒余りは無音の日常。
生活の音から入り二人の時間とともに流れていく、最後は音のない思い出と化す。
ただの一個人の考察だけれど、なんて味のあるMVだと感動してしまった所存だ。
ちなみにこれ貼るの二回目。

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