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中世フランス、冬の終わりの恋物語~「オーカッサンとニコレット」(作者不詳)

1000年に及ぶ「暗黒時代」とも呼ばれた中世ヨーロッパですが、その終盤には徐々にルネサンスの曙光がさしてきます。
 
12世紀ごろになると、南フランスで「宮廷文学」が流行しました。
それは、宮廷に雇用された騎士の中で、才能のある者が詩をつくり、王侯貴族の前で披露したものでした。

彼らは「トルバドゥール」(宮廷詩人)と呼ばれていました。
騎士道精神にのっとり、女性を高貴な存在として崇め、その人にとこしえの愛を捧げる・・・彼らはそのような「恋愛詩」をうたったのでした。

もともとカソリックには、現世は来世のための修練の場であり、地上的な娯楽や快楽は認めない、という厳格な前提があります。
恋愛も基本的には邪道とされ、特に貴族たちの結婚はロマンスとはかけ離れたものでした。
結婚相手は自分の意志で選べるものではなく、政略的に決定されるものだったのです。そのため、身分の高い女性は年配の貴族に嫁ぐことが常識とされていました。

トルバドゥールの聴衆の多くは、このような貴婦人たちでした。
若く精悍な騎士に愛され崇められる・・・そんなロマンチックな歌は、彼女たちの心に甘く響くものだったのでしょう。


宮廷や貴族館の外の民衆には、娯楽や恋愛はさらに遠いものでした。彼らの日々は、現世の掟に縛られた過酷なものだったのです。

彼らは、領主によって統治された荘園に小さな土地をあてがわれ、厳しい契約のもとで酷使を強いられていました。その土地から出ることが許されない、実質的な奴隷の身なのでした。

荘園の中心には教会があります。それは、ヴァチカンを頂点としたヒエラルキーのもとで徹底的に統制され、その戒律は絶対的なものでした。
小さな世界に閉ざされ、聖書を読むことさえできない住民たちは、いわば洗脳状態にありました。

それでも、彼らはささやかな楽しみやロマンスを求めていたはずです。
領主らとしても、ある程度の気晴らしを民衆に与える必要を感じていたのでしょう。
やがて、詩や芸能は宮廷内だけでなく、祭りの余興などとして、一般民衆の前でも催されるようになりました。

そして、吟遊詩人「ジョングルール」が現れたのでした。

 ジョングルールは、町から町へとさまよい歩く大道芸人たちです。
彼らは歌や踊りや曲芸、人形芝居等も披露し、辻から辻へと渡り歩きました。
その身分は王侯貴族からは蔑まれていましたが、彼らの芸は素朴な庶民を楽しませてくれるものでした。

パリ国立図書館に所蔵されている
「オーカッサンとニコレット」の
唯一の写本(楽譜つき)。

12~13世紀に書かれたとされる「オーカッサンとニコレット」は、現存するフランス文学唯一の「歌物語」です。

作者は不詳で、アラビアが出自という説もありますが、これも不確かです。ただ、内容を鑑みると、あるジョングルールが一般民衆を対象に演じたものと思われます。

形式は、歌(詩)のパートの後に散文による物語部分があり、このセットが繰り返されながらストーリーが展開していくものです。

それは一人の演者が弦楽器を携え、「流し」のように村や町を巡って大衆の前で独演していたものと推測されています。
 


明るい南フランスの、城主の息子オーカッサンが、ニコレットという美しい娘と燃えるような恋に落ちます。

ところが、ニコレットはもともとイスラム教徒から買い求められた、奴隷の娘だったのです。この恋愛が叶うはずはありません。
城主の命により、二人は厳重な監視のもとで隔離されてしまいます。

処刑される危険を察したニコレットは、城を脱出します。
オーカッサンは、ニコレットからの伝言を頼りに彼女の行方を追って旅立ちます。

こうして二人の冒険物語は、美しいメロディがついた韻文と、セリフや説明による散文が交互に綴られ、ドラマチックに展開していきます。

父への反抗から、オーカッサンはこう言い放ちます。

天国などにゆくのは、おいぼれた坊主や傷を負った者
ぼろを着て寒さにふるえている者
昼も夜も祭壇の前で咳きこんでいる者たちです。
私は地獄へこそゆきます。
なぜならそこには
決闘や戦争でたおれた美しい騎士たちや弓の達人
そして、主人の他に愛情を交わす男を何人か持った美しい婦人たちがおり
この世の財宝や毛皮があり
竪琴の奏者や吟遊詩人のような、楽しい連中がいるのです。
私もニコレットをたずさえてそこへゆきます。

あまりにも身分が違う二人の恋、そして神を冒涜するようなオーカッサンの物言いも、許される時勢ではありませんでした。

それでもこの歌物語は、町から町へと聴衆の心にときめきを残して行ったのではないでしょうか。

永く続いた「冬の時代」に、あたたかい光が生まれつつありました。
新しい時代は、もうすぐそこに来ていたのです。

(文庫版は、漢字の書体が古いので、少し読みづらいかも知れません)

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