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四十八文字の話『フ』② -2「復刻本 ( ふっこくぼん )❗」。伝説の教師「前波仲尾」氏の名著を紹介させて頂きます。

( 前回からの続き )
引き続き著者「前波」氏の業績を記していきます。

⚪そして、佐賀へ


前波氏は鹿児島の次に、大正九年 (1920 )、佐賀県の旧制中学「 三養基 ( みやき ) 中等学校」( 現  佐賀県立三養基高等学校 ) の初代校長となります。
そして前波校長はこの学校で、今までにない大胆な「教育実験」を試みます。


  佐賀県立  三養基高等学校


業績の一端を詳しく紹介しているのは、「佐賀県立三養基高等学校」の同窓会サイトです。これを見て頂ければ、日本教育界においての前波氏の業績が明確に分かります。

ですがここでは敢えて、その内部の一部だけ述べさせて頂きます。

🌕全国から優秀な「教師」を招く

前波校長が行った教育の内容は「生徒」を対象としたのは勿論ですが、更にその「生徒」達を指導する「教師」達にも向けられています。

例えば外国語に関しては教師達に翻訳本ではなくその言語の「原書」を読ませてその感想を聞いたり、また月一回研究発表会を催して、教師達が自らの思うところを研究させ、各々の得意分野に磨きをかける事の一助としました。
ある教師は「物理学者アインシュタインの相対性理論について」、ある教師は「筑後川について」、ある教師は「サボテンの栽培法について」等々。
また前波校長は生物の教師に標本収集のため東京に出張させたり、地理の教師には中国の大河「揚子江 」( ようすこう ) 視察のため何と❗三週間の出張を許可しました。


🌕当時の文部省の検定「教科書」は一切使わせず。

:前波校長談
「すべての教科は生徒の身辺にある物について学ばせる」

教師達には「教科書」を一切使わせず、各教師が生徒達の身近にある物や出来事に関し、観察、実験、実地調査を行って、その結果を纏めた資料を「教材」として授業の中で活用。

ある地理の教師は学校の近くを流れる「筑後川」( ちくごがわ ) を題材にし、河川の一般論から入り、蛇行、デルタや風化、侵食、堆積作用を学ばせた。
またその後は、福岡県久留米から大分県の日田まで徒歩で遡り、実地調査させた。

「筑後川」の地図



🌕新聞等からの目新しい情報を「教材」に活用。
新聞の記事を取り上げ、これらを教材として生徒達に議論させ、考えてさせての授業。

この時代、現在のネット、YOUTUBEなどは存在などしてません。当時の最新情報は「新聞」からです。


当時の三養基中等学校の教頭は毎朝その日の新聞を生徒達に配って、

「お前ら新聞はどこから読むんだ?  三面記事か?、それとも小説か?。どっちにしろ、そんなの安っぽいところばかりだ。新聞社が一番金をかけるのは外電、いいか外電だぞ」
「新聞には沢山広告が載っているが、少し考えてみろ。広告は売れないから出すのか?、それとも売れるから出すのか?」
「新聞には日本銀行の帳簿が載っているが見たことあるか?あれで日本経済が分かるんだぞ」、等々の言葉を生徒達に投げ掛けながら授業をしました。

そして私が特に「スゴい❗」と思ったのは以下の点です。

🌕「平均点主義」に真っ向から反対。

:前波校長談
「人間は何か一つできれば結構ではないか」

前波氏は生徒募集に関しても自ら優秀な生徒を探し出し、小学校を五年で、所謂「飛び級」で優先入学させています。
何か特殊な才能がある児童は早くから専門の学問をさせたほうが良い、との判断です。

そういう生徒にはその得意科目は自由に学べさせ、不得意科目の授業は受けなくともよい、と。
( 現在の教育環境では難しいでしょうね☹️☹️☹️ )


🌸この学校出身の「宮地享」画伯。

この人物は正に前波氏の「得意分野を伸ばす」という方針の基、入学してきた人物です。

「絵を描く」その才能は早くから評判で、小学五年生では両親を始め、多くの大人達を驚かせていました。
ですが算数が不得意、片足が不自由とのハンディがあり、進学は諦めていた様です。

ですが前波校長は
「入れてやろう。美術学校に入学するには中等学校を出てないと入れない。せっかくの天才を埋もらしてしまう。」

更に前波校長は宮地氏に「自分を生かした絵を描く事に専念しなさい」と激励され、数学と体育の授業は免除されます。

そんな後押しもあってその後、当時の東京美術大学  ( 現「 東京芸術大学 」) の「西洋画科」へ優秀な成績で合格しました。
同級生には世界的な画家「藤田嗣治」氏、大阪万博の「太陽の塔」で有名な鬼才「岡本太郎」氏らがいました。

在学中に帝展入選 ( 昭和六年 : 1931年 )、卒業時に文展入選 ( 昭和九年 : 1934年 )、日展特選 ( 昭和三十二年 : 1957年 ) と活躍したのち、フランス国際展ル・サロンへへ初出品 ( 昭和五十一年 : 1976年)。
その作品は、見事金賞を受賞。初出品での金賞受賞は、100年以上の歴史を持つ同サロン始まって以来の快挙だったそうです。それでこの作品は世界最高の殿堂パリ国立美術館グランパレ(大宮殿)に毎年秋の国際展サロン・ドトンヌに陳列されました。
更に昭和五十四年 ( 1979 ) にはギリシャ美術展で金賞。

ほかにも、嘗て内閣総理大臣を務めた「鈴木善幸」氏、「福田赳夫」氏、「中曽根康弘」氏の肖像の依頼も受けて描かれたそうです。

それらの活躍が評価され、昭和五十八年 ( 1983 ) に「ヨーロッパ 科学芸術文学アカデミー」の会員にも選ばれ、文字通り画家として世界最高の栄誉を受けます。



佐賀県で開かれる「宮地  享」展  


「宮地  享」画伯  作



⚪晩年に「満州」へ

前波氏は七十歳の時、嘗ての部下であった教師の招きで「満州」、現在の中国東北部の「奉天」( ほうてん ) にあった「満州教育専門学校」に校長として赴きます。昭和三年 ( 1928 ) の事です。
ここでも数々のエピソードが有る様です。

「満州教育専門学校」


「奉天」周辺地図





更に昭和十二年 ( 1937 ) からは、「南満州鉄道」( みなみんしゅうてつどう ) 株式会社、所謂「満鉄」( まんてつ ) の教育顧問となります。


⚪まるで「水を得た魚」

前波氏が元来興味を持っていた分野は「 支那 = シナ 」( 現在の中国 ) の古代史、であったそうです。

そこへ知り合いからの誘いで、海を渡り、満州へと向かった前波氏。
平穏に日本国内で生活していれば、まずは手に入らない「古文書」類などが、ここでは 豊富有り、手に入る環境です。

学校業務の傍ら、日夜「古代支那」の研究に没頭した姿が想像出来ます。

このブログで紹介しようとしている復刻本「復原された古事記」が書かれたのは正にこの時期です。

そして日夜「古代支那」に関する文献を研究しているう前波氏は、ある事に気が付きます。

「前漢時代に書かれた歴史書【史記】( しき 作成されたのは紀元前108~89年。他にも諸説有り ) 。

この史書以前に書かれている古代支那の史書は【中国語】ではなく【外国語】で書かれている❗」


ではその外国語とは何か?

それは『スメル語』 ( シュメール語 ) 及び『チュルク語 』( 古代トルコ語 ) です。

🌕「スメル語」とは古代メソポタミア文明を担った「スメル人」( シュメール人 ) が話していていた言葉。

メソポタミア周辺図


🌕「チュルク語」とは古代大陸中を疾走していたトルコ系騎馬民族の言語。突厥 ( とっけつ )、ウイグル、キルギスが代表的。 

「唐」時代の地図


前波氏の思考はこれだけでは止まりません。

「太古から支那だけに限らず、それこそ大陸中からの影響を受けてきた日本。では、これらの外国語と全く無縁なのか?いや、そんなはずはない」


そこで前波氏が注目したのが【日本神話】でした。
【日本神話】が書かれている「古事記」や「日本書紀」。
この書物は漢字で書かれていますが、大陸ではその「漢字」が登場する以前に語られていた「スメル語」「チュルク語」。当然、漢字自体がこれらの言語からの影響を受けていたではないか、と想像します。



「では【日本神話】はこれらの外国語で書かれているのではないか?」


ご自身は独学で、「英語」「フランス語」「ドイツ語」をマスターしていた前波氏。
語学力のセンスも有ったのですね。


🌕「秦の始皇帝」が中華を統一するまで時代、春秋戦国時代  (  紀元前770~221年  )。
この時代に書かれた文書が中国語ではなく、「スメル語」又は「チュルク語」だったと言うことは



【その当時の標準語がそれらの言語だった】という事になります。



更にその当時の大陸で活躍していた人々は、今で言う「中国人」などではなくそれらの言葉を話していた西方異民族だ、と言う事にもなります。



今公開中の映画「キングダム」。
ここに登場してくる人物達。

上記の様な事を考慮すれば、この劇画で描かれている人物達はみんな西方からやって来た異民族の末裔❗、って事になりますよね。
「中国語」を話す人々はいたしても、歴史舞台の蚊帳の外 ( かやのそと )、当時の外交や政治の世界には全くの無縁状態だったと思われます。






戦復刻本を紹介する前にあまりにも世に知られていない著者「前波」氏の人柄を伝えようと思っていましたら、思いの外、長いブログとなりました。


今一度、改めて前波氏の残した言葉を記させて頂きます。

「人間は何か一つできれば結構ではないか」



次回【復原された古事記】を紹介させて頂きます。



「復原された古事記」


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