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5月19日(土)あたりまえだけど、人は、生きている場所で死ぬ

今日、1本の映画を観た。

クメール伝統織物研究所ーInstitute for Khmer Traditional Textiles(以下IKTT)という、カンボジアの伝統的なシルクを作っている団体についてのドキュメンタリーだ。

このIKTTは、京都で友禅の工房をやっていた森本喜久男さんという日本人の方が1996年に創設し、昨年の7月に森本さんが亡くなった今も続いている。

このIKTTの活動は、私はこちらに来るまで知らなかった。2017年には森本さんの情熱大陸も放送されていたようだから、知っている人もいるかもしれない。伝統技術、ファッション、映画、という私の興味を引くいくつかのキーワードがあって上映会に足を運んだけれど、魅了されるまでは一瞬だった。

これはIKTTで作っているシルクの布なのだけれど(画像はIKTTホームページのスクリーンショット)、こういう柄を糸の染めの段階で表現していると言われて、すぐに理解できるだろうか。紙の設計図などはなく、作り手の頭の中にだけ図面があって、この柄になることを想定して糸に色をつけているのだ。

その手作業の様子が丁寧に紡がれているドキュメンタリーは、終始穏やかながらわたしに大きな衝撃を与えてくれた。

そしてこの映画は、IKTTという組織の物語であるとともに、創設者の森本さんの物語でもある。この映画が撮影されている時期、森本さんは末期の癌で闘病中だった。何度も治療のために日本へ一時帰国していたけれど、何度だって日本での治療は最低限だけで、カンボジアへすぐに戻ってきていた。

余命宣告の期間も終わりを迎えようとしていて、いつ亡くなってもおかしくない状況だった。それでも森本さんは、「カンボジアが自分の死に場所だ」と心を決めていた。日本で、病院の中で治療し続けながら死ぬのは違う、カンボジアで死ぬとカメラに向かって話す森本さんの言葉が、今のわたしにはとても重く響いた。

「生きる場所を決めるということは、死に場所を決めるということ」だとわたしは思った。森本さんは、カンボジアに住み、村をつくり、伝統を紡いでいくという生き方を選んだ。だからカンボジアが自分の死に場所。あたりまえのことだ。

生きることは、死ぬことの裏返し。

森本さんだって、カンボジアに住むと決めたときに、終わりのことなんて考えてなかったかもしれない。自分は何をして生きていきたいか、自分の行動を決めるときに、死ぬときのことまで覚悟を決めている人はそういないと思う。

わたしは死ぬまでに何をしたいか考えたことはあれど、いつか終わりが来るという事実にリアリティは無かったと、この映画を観て知った。

ぼんやりと想像したことがある。いつだかわたしは友人に、「死ぬときには誰も側にいなくていいから、わたしが知らないような大勢の人に悲しんでもらいたい」という話をした。

今は、今日のわたしは、こんなに悲しくて寂しいことはないと思う。最期は、大切な人に、親しい人に、想われていることを感じたいと思う。

この日のnoteに、

いろんな場所に思い出を作っていくのが、人でもモノでも、ひとつに肩入れしない自分の性格にあっているのかもな。

ということを書いたけれど、今日、確かにわたしはどこでも生きていけると思っている、だけど、どこでも死ぬことはできないな、と気づいてしまった。今のわたしに、そんな覚悟はなかった。

今日この映画に出会えたことを運命だと言ったら大袈裟だろうか。自分が決めた生きかたの先には、いつか終わりがある。このことを、わたしは一生忘れない。

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